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ダンジョンマスターの贈り物  作者: 穂村満月
第5章.14歳
138/463

138.キヌゲネズミへの捧げ物

 パドマが目を開けると、ヴァーノンがいた。もう昼は回っていそうなのに、何故いつもいつもパドマの目覚めを待っているのだろうか。パドマは、ヴァーノンの仕事の邪魔をしようなんて、思っていない。ただむしゃくしゃして、止められなかっただけだ。こんなことが続くなら、兄とも離れて暮らした方がいいのかもしれない。白蓮華に完全に引越してしまってもいいし、宿屋暮らしもできるし、森に帰ってもいい。パドマはもう、ヴァーノンの可愛い妹には戻れない。

「何を泣いてるんだ。悪いと思うのなら、やめたらいいだろう」

「心配ばっかりかけて、ごめんね。もう、いい子にできないから、出てくよ」

「な、ちょ、ちょっと待て。悪かった。もう何も言わないから、考え直せ。俺が生きていけないぞ?」

 ヴァーノンは、顔を白くして、慌てだした。何が不満で言い出したのかは知らないが、パドマは一度言い出すと直進しかできない。誰の言葉も耳に入れないのは、ヴァーノンは身に染みて知っている。

「わかってたんだ。生まれてからずっと、お兄ちゃんの足枷にしかなってなかった。役に立たないのは、小さいからじゃなかった。役に立つ気がないからなの。この先だって、協力して生きてなんていけない。ただ何もしないで部屋に閉じこもってたら兄孝行なんて、そんな訳ないじゃん。でも、それすら、やらない。こんな妹なんか、いない方がいい。ずっとわかってたんだ。なのに、ずっとズルズル一緒にいて、ごめんね。お兄ちゃんと離れたくなかったの」

「俺は、ずっと一緒にいるつもりでいるぞ。俺が立っていられるのは、お前がいるからだ。みっともないところは見せられないし、お前に何があっても支えられる人間でいなければと思うからだ。いなくなったら、困る」

「何言ってるの? そんな訳ないじゃん」

 パドマは、剣帯だけを抱えて、部屋を出た。



 パドマは、ダンジョンに来た。真っ直ぐ前を見て歩いて行く。

 だが、パドマは、失敗を悟った。護衛がついて来たのだ。ただ歩くだけのパドマの周囲に散開して、敵を蹴散らし始めた。

「何してんスか? 危ないっスよ」

「邪魔をするな! ツノゼミに当たってみたかったんだよ。どのくらい痛いか、知りたかったんだ」

「すんません!」

 パドマ相手に注意するのはやめても、護衛の手は緩めてくれないようだ。腹立たしい。ならば、逃げるまでだ。

「ちっ」

 パドマは、全速力で走り出した。護衛の方が足が速いとはいえ、護衛は護衛仕事をする際には、足が止まる。走りっぱなしで剣を振るう、パドマのような仕事をするには、経験値が足りない。強い弱いでなく、やったことがないし、やろうと思ったこともないのだろう。単純に慣れていない。それに、今日の護衛は、パドマと共闘した経験がない。日常的にダンジョン内を走り回るような生活はしていない。持久力なら勝てる可能性がある。パドマは、最短経路で走り抜けていった。護衛は、護衛仕事をする度に、脱落し始める。師匠の真似をして、斬り捨てた敵をぶつけて転ばしたり、カエル爆弾をお見舞いしている間に、護衛はいなくなった。

 それからも足は止めずに、ずっと走り続けて、あと少しで55階層に辿り着けるところで、師匠とヴァーノンが立っているのを見つけた。追いかけて来ないことを不審に思っていたが、追い越されていたらしい。

「本当に来たか」


「お前が何をしようとしてるかは、聞いた。そんなことはして欲しくはないんだが、やめられないなら、ついていく。一緒に行こう」

 ヴァーノンは、パドマを甘やかす優しい顔で、手を差し出した。

「何、言ってるの? やめてよ。やだよ」

 パドマは、ヴァーノンが死ぬな、と言うから生きていた。ヴァーノンと一緒にいたかったから、生きていた。だけど、それをやめることにしたから、キヌゲネズミに自分の身体をもらってもらおう、と来たのだ。パンダちゃんでは、3日経っても、痛いだけで食べてくれそうに思えなかったから。

 パドマがいなくなった後で、ヴァーノンには、何となくそれなりに幸せな人生を送ってもらう予定がある。それを崩されるのは、パドマには許せなかった。

「俺は、お前がいるから、生きている。お前に飯を食わせてやりたくて、そのために生きてきたんだ。お前がいないなら、何もすることはない。あの葬儀を終えたら、俺もお前が落ちた崖から落ちようと思っていた。上手くいけば、お前のところに行けるかもしれないだろう? 俺は、そういう人間だ。だから、お前が嫌がっても、この先もどこまでもついて行こう」

「いや、ちょっと、、、おかしいよね? 普通に結婚して、子どもに囲まれて、マスターたちを支えて生きていけばいいよね?」

「悪いな。俺には、普通は無理なんだ。妹が生きがいだから。

 別に、役に立ってくれなくていい。むしろ、手伝われる方が好きじゃない。嫁に行かないなんて、万々歳じゃないか。妹を取られずに済むんだ。行きたいというなら、我慢しよう。だが、行きたくないなら行くな。俺もマスターも酔っ払いも綺羅星ペンギンも、みんな喜ぶぞ。

 普通じゃなくて、いい。俺の妹は、普通より可愛いからな」

「えー? 絶対、おかしいよね。おかしなこと言ってるよね。師匠さんも、突っ立ってないで、お兄ちゃんを止めてよ。おかしいから」

 師匠は、パドマが目覚めた時から、ずっと側にいた。しゃべれないからか、2人の話を聞いて突っ立っていたのである。ヴァーノンの話を聞いても、パドマの話を聞いても、ずっと「えぇえ、何それ、マジで?」という顔で、見ているだけだった。部屋でも、ダンジョンでも変わらない。いや、ダンジョンに来てからの方が、少しだけ驚愕が大きい。

『2人ともおかしい。落ち着け。ネズミは虫も食べる。口の中に入ってるよ』

 師匠は、パドマの言を受けて、蝋板を出したが、なんだかどうでもいいことを書いた。師匠こそ、落ち着いた方がいい。

「別にいいよ。仲間じゃん」

 パドマが答えたら、師匠は蝋板を落とした。カランカランと階段を落ちていく。ヴァーノンが拾いに行った。ヴァーノンから蝋板を返却されると、師匠はまた何かを書き始めた。

『同じようにヴァーノンが死んでも、楽しく暮らせるというなら、死ねばいい。後を追う者の気持ちはわかる』

 蝋が割れて、若干読みづらかったが、そう書かれていた。意味がわからなかったヴァーノンの言い分が、パドマにも少しわかったような気がした。

「お兄ちゃんがいない世界なんて、絶望しかない」

 想像しただけで、嫌だった。周りに優しい人は、沢山いる。だが、パドマが安心して甘えられるのは、ヴァーノンだけだ。家に帰ればヴァーノンがいる、そう思うだけで心の安定がはかれる。ヴァーノンさえいれば、ごはんも寝床もない森でもついていく。どこへ行ってもヴァーノンの顔が見れないとしたら、発狂するしかないと思った。

「お前には、まだチーズが残ってるだろ?」

 絶望感に打ちひしがれているパドマに、ヴァーノンは言った。仮令、ヴァーノンが死んでも、目の前にチーズが積まれたら、幸せそうにチーズを食べて顔を蕩けさせるパドマが、容易に想像できるからである。

「お兄ちゃんだって、テッドやパドマがいるじゃん」

「あいつらは、お前の弟妹だ。俺は精々血が繋がってるだけだ」

 パドマは、自分だけ血が繋がっていないのが悔しいと思っているし、ヴァーノンは氏より育ちだと思っている。血を分けた兄弟と言われても、まったく実感もないから、目の前でブスくれている妹の方が愛しい。

「それを弟妹って言うんだよ」

「俺の妹は、お前だけだよ」

 ヴァーノンは、パドマの頭を撫でた。

「だから、言ってることがおかしいんだって!」

「そうだな。俺は、おかしいんだよ」

 ヴァーノンは、パドマ可愛さにこれ以上ないほどに笑み崩れていた。パドマの最も大好きなヴァーノンの表情だ。久しぶりにそれを見て、パドマはそわそわした。大きくなったんだから自重しろ、と言われるのはわかっているのだが、力いっぱい甘えたい。

「じゃあ、兄妹だし、ウチもおかしくてもいい?」

「お前は何もおかしくない。おかしな俺が育てただけだ」

「あのね、今着込みを着てないんだけど、ぎゅーしても、怒らない?」

「怒ったことはないだろう? ただ背徳感に苛まれているだけだ」

「うん。じゃあ、これからも苛まれて」

 パドマは、ヴァーノンにしがみついた。



 兄だ妹だと言っているくせに、イチャイチャしてるのを見せつけられて、あーあ、やだね、と師匠が地べたに座って途方にくれていたら、パドマが前方にやってきた。

「師匠さん、ありがと」

 パドマは、師匠の右頬に唇を落とした。師匠は、びっくりして飛び退いた。

「な! やっぱり、お前。そうなんだな。だな?」

 ヴァーノンは、顔を真っ青にして、震え出した。

「嫁には出さないからな!」

「なんか、さっきと話が違うな。でも、違うよ。勘違いだよ。ずーっとモヤモヤしてたんだ。師匠さんのあそこにね、お母さんが、かなりどぎついチューしてたの。嫌じゃない? なんか気持ち悪いよね。でも、してみてわかった。別に口がどこかにぶつかったところで、何もないね」

 パドマは、1人で満足しているが、男2人は大いに困った。パドマは、恋愛方面の知識がないわけでもなさそうなのに、その機微に疎すぎる。目覚めて欲しいとは思っていないので、詳しく教えたくもないし、教育上、どうするのが正解なのかが、わからなかった。

「確かに何がどうってこともないことかもしれないが、一応、愛情表現の1つだ。また変な噂が止まらなくなるから、誰彼構わずするなよ?」

 ヴァーノンが、当たり障りのないような注意を捻り出すと、パドマの顔が輝いた。

「ああ、ムカつくヤツにしたら、嫌がらせになるのか」

 シシシ、と悪い顔をして何事かを企んでいるパドマに、ヴァーノンと師匠は慌てた。パドマは行動力だけはある。外見はキレイなパドマがそんなことを始めたら、皆が喜んで受け入れるだろう。最悪な結末が、何パターンも予測がつく。ヴァーノンは、頭を抱えた。

「大抵の男は、キスされたら喜ぶから、やめておけ。ただでさえ、えげつない人数の求婚が来てるのに」

「え?」

 パドマから表情が抜け落ち、動きが止まった。

「嫌になって、数えてもいない。適当に所属ごとに仕分けて、責任者経由で突き返しておいたが、誰だか分からないヤツは、放置しっぱなしだ」

「所属?」

「紅蓮華関係者はカーティスさんに、ペンギン関係者はグラントさんに、という具合にな。ちなみに、俺は、10や100くらいなら、簡単に数えられるんだが、意味はわかるか?」

 ヴァーノンは、パドマの両肩をガシッとつかんだ。いい機会だから、言い聞かせようと思ったのである。パドマは苦手な話を振ると、適当に誤魔化して逃げていくから。

「巨大生物を斬り殺して戯れる女に求婚は、有り得ないんだよ、ね?」

「本人からでなく、親から来ているのもあったから、色気はどうでも良かったんだろう。新星様人気に乗じた面識のない相手もいた。だが、そうではなさそうなのも、いっぱいいた。とりあえず手を上げないと、売り切れるかもしれないと思ったんだろう」

「誰?」

 パドマが、震え始めた。先程までは、目を丸くしているだけだったのだが、ようやく内容を飲み込んだのかもしれない。

「全部、断るから、知らなくていい」

「気持ち悪い!」

 とうとうパドマの涙腺が決壊した。やだやだと言って駄々をこねる時のように、首を振って拒否を示している。

「だから、知らなくていい。この街の人間もおかしいからな。なんだかんだ言っても、たかが11階層だ。巨大トカゲくらい女だって殺れるだろう、という層がいたんだろう。それに、ダンジョンモンスターのことしか考えてないお前は、ある意味で可愛いからな」

「は?」

「男を手玉に取る方法とか、興味がないだろう?」

「手玉? いや、そもそも男なんていらないし」

「でも結局、天然で習得済みなんだがな。周りに男が何人いるか、数えたことはあるか?」

 ヴァーノンは、ため息をついた。パドマの周りの男の数は、ヴァーノンには数えられていない。結婚の申込みも、どこまでがパドマの知り合いなのかもわからないし、知り合い全員から申込みは来ていない。来ていないだけで、惚れていないとは、言い切れない。恋をしているのと、人として惚れるのは別問題だし、相手が街の英雄様なら諦めるのが普通だと思うからだ。

「男なんて、お兄ちゃんとテッドだけいれば、充分だ。他はいらない!」

 パドマの腕に力がこもった。

「そのテッドを連れてきた男のもあったな。パドマへの求婚が来た時だけ、俺の物だとしゃしゃり出るだけで、他は何をする気もないし、そのまま唄う黄熊亭で兄妹仲良くやってればいい、とかいうものだった。一考の価値はあるかと、一応、保留にしている。どうする?」

「そういうのは、パット様でこりた。あれも、そこそこいい年だから、早目に断ってあげて」


 折角、こんなところまで、ヴァーノンと師匠連れできたので、レッサーパンダ(パンダちゃん)を愛でてから帰った。兄さえいれば、師匠は自由に使えると、パドマは思い込んでいた。

「お兄ちゃん、ありがとう」

 帰りがけに、そうパドマが師匠に言ったら、満更でもなさそうだった。やはり、師匠は、あのお兄ちゃんだったのかもしれない。パドマは、もう用済みだよ、という意味でそう言ったのだが。

次回、遠足に行く

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