136.可愛いの末路
何かがおかしい。パドマは、悪意を感じている。
スタートは、小パドマの可愛いおねだりだった。お姉ちゃんとお揃いの服を着てみたいとか、お花の髪飾りが欲しいとか、綺羅星ペンギンでもらってきたぬいぐるみのお友だちが欲しいとか、そういうパドマも昔、ヴァーノンに言っていそうな話をされた。しょうがないなぁ、とせっせとパドマは20着ほど狩衣を作って、欲しい子がいたらどうぞと配り、パドマの頭に造花の蓮を挿した。ペンギンのぬいぐるみは、いくらでも綺羅星ペンギンに置いてあるだろうと連れて行っても、これではダメだと言う。パドマが作ったのじゃないと嫌だと言われた。
「なんで?」
と問えば、テッドが、
「パドマは、赤が好きだから」
と言った。
確かに、お土産コーナーに、赤いペンギンはいなかった。赤いペンギンに需要があるとは、思わなかったからだ。盲点だった。即座に、赤いぬいぐるみを発注しようとしたが、お姉ちゃんが作ってと言う。
パドマが可愛いから、作るのは構わないが、なんだかおかしい。そもそも、今まで何も言わなかったパドマが、急に次から次へとパドマにおねだりを始めるのが、変だ。数少ないパドマが自作できる物ばかり欲しがるのが、奇妙だった。
それが終わり、やれやれと思っていると、肉の注文が入るようになった。肉の発注は、全て百獣の夕星に譲ったハズなのに、在庫切れで困ってるから、急ぎでハジカミイオ1匹とか、キスイガメ5匹とか、ものすごい少量の発注が、毎日入った。マスターや、ヴァーノンに頼まれれば否やはないのだが、本当に急ぎなら、パドマが行くより、ヴァーノンが行った方が早いし、兄がパドマにお使いを頼むこと自体が、変だった。なので、パドマは悪意を感じている。
今日も、ムササビ1匹の発注が入った。パドマは支度して、急いでダンジョンに向かった。
急いで行くのだが、フル装備で行くので、走れない。ミミズステーキを食べて、カエルレッグを食べてとのんびりのんびり下って行った。
やっと39階層ムササビだ! というところで、パドマは弁当を広げた。今日の愛兄弁当は、牛豚鶏の串焼きと、芋餅が入っていた。パドマのおふくろの味、ただ焼いただけ肉と、チーズ入り芋餅だった。パドマは、懐かしさに涙がこぼれた。あの頃は、ずっと兄と一緒にいられて、幸せだった。ずっとずっとあのままだったら、良かっただろうか。
「ご馳走様でした。お兄ちゃん、ありがとう」
普段のパドマは、そんなことは言わない。後ろにいる師匠は、ぎょっとした顔をしているが、包み紙を丸めて片付けると、ヤマイタチを1度抱きしめてから、パドマは立ち上がった。剣を抜き、走る。
2部屋目の通路前で、師匠が立ちふさがったので、対オオエンマハンミョウ用の技である全力斬りをしかけた。
「やっぱり、あんたがダンジョン行きを邪魔してたのか」
後方に避けた師匠に、パドマは、フライパンを投げつけた。師匠は、それを右に避け、蝋板をかざす。『ネズミに食われたら困る』
「そんなのウチの勝手だろ!」
パドマは、突きを放って、左に薙いで、斬り上げて、とガムシャラに師匠に攻撃をたたみかけた。師匠は、ひょいひょいと避けるばかりで、武器も手にしない。パドマでは、師匠のスピードを上回ることはできない。どうやっても勝てる気がしないから、パドマは、雷鳴剣を出して振った。
辺りに光が発生し、縦横無尽に駆け巡り、光に当たった物は、黒焦げになる。対人には、絶対に使うまいと思っていた攻撃を、パドマはとうとう使ってしまった。禁断のカードまで切ったのに、師匠は黒焦げにならなかった。モモンガとムササビは、すべて黒焦げになって、焦げ臭い部屋になったのに。
師匠は、剣を見た途端に顔を青ざめさせて、パドマに向かって飛んできて、しがみ付いてきたのだ。どうにも回避できない攻撃だと思っていたのに、避ける方法があったとは、がっかりだった。これを避けられてしまえば、勝つ見込みなどない。相手は、水中戦でクラーケンを倒せる男だ。
「離してくれない?」
いつまでもしがみついていられても、不愉快だし、動けない。だが、師匠に力で勝てる訳がないので、抜けられなった。師匠は、泣きながらイヤイヤと首を振って、パドマにぎゅっと抱きついている。
「泣きマネとか、いらないんだよ」
せめてもの抵抗で、足をぎゅうぎゅうと踏んでみたり、雷鳴剣をグサグサ背中に刺してみたり、抜き身の剣でベシベシ足を叩いてみても、たいした反応は返って来なかった。
「いつか死ぬ時は、喉笛を自分で掻っ切って死ぬなんて、無駄死にはしたくないんだよ。どうせ死ぬならさ、誰かに食われた方が、有意義じゃない? 折角なら、自分の気に入った可愛い生き物にあげて、夢みせてもらったダンジョンの中で終わりになる方がいいな、って思っている。だから、ダンジョンで死ぬなら、不満はない。ワガママかな」
パドマが話し始めたら、師匠は少しずつ拘束を解いていって、最終的に抱きつくのをやめてくれた。両腕はつかまれたままなので、どうせ動かせてはくれないだろうが、くっつかれているよりはマシになった。驚愕に見開かれている目を真っ直ぐ見つめて、パドマは言った。
「今日は、食べられてやらないから、先に進ませて」
パドマは真摯にお願いしたつもりだったのに、師匠は、首を横に振って、また抱きついてきた。
「行っちゃダメだとして、ここでこんなことしてたって、しょうがないよね。離せよ!」
パドマは、またガツガツと足を踏み始めた。
「もう、ウチをどうしたいんだよ。何をさせたいんだよ。奥に進ませたかったんじゃないのかよ!」
すると、師匠は、パドマを担いで階段に戻ると、座って、パドマをひざにのせた。蝋板を出して、先程の文言を消して、書いた文字は『わかんない』だった。ふわふわとした微笑みとともに、そんなものを見せられても、パドマも困る。
「特に意見がないなら、それこそウチの自由でいいんじゃないの?」
『ネズミに食べられたら、悲しい』
「だから、今日は食べられないから」
『ネズミを斬る?』
「斬らない」
『食べられる』
「食べられない」
このまま自己主張を繰り返しても、平行線だろう。
「お兄ちゃんなら、絶対に連れてってくれるのに」
つい、口から不満がこぼれた。もうこうなったら、帰りにカエルに食われるところを見せてやろう、と思った時だ。師匠は、パドマを抱えたまま立ち上がり、走り始めた。
下に降ろされたのは、55階層から下る階段の前だった。
「自分で何もしてないのに、通り過ぎちゃダメじゃんよ」
と苦情を申し立てたが、師匠はまったく聞かずに、お腹が黒いキヌゲネズミと見つめ合っている。何でも魅了してしまう、師匠の必殺技だ。ズルすぎる。
眼力で勝利したのだろう。見つめ合うのをやめて、師匠は、キヌゲネズミを撫で始めた。
あーはいはい、良かったですね、自慢ですかー、と思いつつ、パドマは階段に向かったら、師匠に捕まえられて、キヌゲネズミに向かって投げられた。
「なにー」
パドマは、キヌゲネズミの背中の上に落ちた。キヌゲネズミの毛はサラサラで、横っ腹がぽよぽよだった。足の付け根近くの皮膚のたるみが、何とも言えない。『師匠さん、すごい、素敵、格好イイ!』と書かれた蝋板が、視界をぴょこぴょこ遮るので、パドマは目をつぶって、キヌゲネズミを撫で続けた。
キヌゲネズミに飽きたら、背中から落ちて、今度こそ階段を下った。相変わらず『師匠さん、すごい、素敵、格好イイ!』が付き纏ってきてウザいので、「師匠さん、ズルい、セコイ、鬱陶しい」と言ったら、師匠はまた泣き出した。
「惚れるのは禁止で、素敵でカッコイイって、どういう状況だよ」
と言ったら、やっと蝋板は片付けられた。納得した顔はしていなかったが。
そんなことより、56階層の主の方が大事だ。56階層には、ビントロングがいる。別名クマネコと言う通り、小型のクマのような見た目だが、ジャコウネコの仲間である。体長は、パドマの座高程度。そして更に同じくらいの長さの尻尾が続く。この尻尾は、第5の脚のように物をつかんだり、器用に使うことができる。頭側が黒と茶色、または灰色が混ざったような毛が生えており、尻尾に向けて黒一色になる。また、長さも尻尾に向けて、長くなる。そして、何故かは知らないが、ポップコーンのような匂いがする。さっき弁当を食べたばかりなのに、なんとなく食欲が刺激される生き物である。
だからではないと思うが、食肉としても売れるし、毛皮も売れるし、薬の材料にもなるという、パドマ期待の新商材なのである。食肉は安いが、薬と毒は、大体高価で買取される。別に、大して強くない、という評価も素晴らしい。
だが、問題があった。ビントロングは、床の上にいなかった。天井近くの竿竹のような物の上にいる。しがみついているのではなく、何本もの棒に完全に乗っているので、上にいる状態で倒してみても、下に落ちて来てくれないと思われる。
「どうやって戦うんだよ」
隣の部屋を覗いても、その隣の部屋を覗いても、やっぱりビントロングは、床にいなかった。糸付きナイフを竿竹に絡ませて、登りたいところだが、パドマは、そんな腕力は持ち合わせていない。師匠の顔をじーっと見つめたら、目を逸らされた。
「いいよーだ」
パドマは、走り始めた。ぐるぐるぐるぐる56階層を走り回り、47部屋目で、床を歩くビントロングを見つけた。
「いたーーーーー!!」
パドマは、歓喜の声を上げ、ビントロングの前まで走って行った。パドマが近付くと、ビントロングは、シャー! と言って、後ろ足で立ち上がり、猫パンチを繰り出してきたり、噛みつこうとしてきたりした。
「あれ? ちょっと可愛い?」
竿竹の上にいるうちは、なんだかよくわからない黒い物体だったのだが、床にいるビントロングは、パドマが大好きなレッサーパンダを単色にして、小顔にしたような動物だった。
また可愛いと撫でまわして齧られるのか、と師匠はゲンナリして見ていたが、パドマは、
「ま、いっかー」
と、首を半分斬った。以前、モモンガの時にも言ったが、金欠の前の可愛さなど無意味なのである。師匠は、信じられないものを見るような顔で、盛大に驚いているが、それがパドマなのだから、仕方がない。パドマは、いろんな人に甘やかされて、ワガママとご都合主義でできているのだ。
パドマは、更に駆けずり回って、計3匹のビントロングをヤマイタチに乗せて、帰ることにした。
帰り道のキヌゲネズミは、適当にフライパンでいなしながら通過する。それにも、師匠は驚いていたが、パドマは「だから、行けるって言ったじゃん」と言うのみだ。
ムササビは、「お前の発注だろ」と師匠に超特大ムササビを持たせた。
道中、くどくどと「もう2度とウザい邪魔をするなよ」と言い聞かせたけれど、師匠が聞いてくれるかは、師匠にもわからないことだった。
次回、チーズの季節。