134.さよならイライジャ
パットは、その後、2日寝ていて、起きた。そして、師匠に戻った。まだイライジャが帰ってないのに、いいのかな? とパドマは思っていたが、しばらくすると、もう忘れていいよ、と伝令にヴァーノンがやってきた。
「なんで? あの人、全然、アーデルバード語を理解してなかったよね?」
「アーデルバードも、シャルルマーニュも、言語は大して違わないらしいぞ。
そうじゃなくて、お前にそっくりなパドマのことを2人の子どもだと、誤解したらしくてな。子持ちの女はいらん、と言ったらしい。会頭は、パット様に勝てるものがないから逃げたんだ、と仰っていたが」
「そうだよね。王子の肩書きがあって、姫と踊れない男が、道を歩くだけで行列を作る男に勝てる訳がない」
「やっぱり」
ヴァーノンは、パドマの目を覗いた後、視線を外してため息をついた。
「?」
「正式に縁談をまとめてくるから、それまで待てよ」
「何が?」
「師匠さんのことが、好きになったんだろう? 俺に任せておけ。絶対に落としてくるから」
ヴァーノンの言葉を聞いたパドマは、顔から色をなくした。ちょっと会話をしただけで、すぐに誰かに惚れたと誤解する、兄の特性を忘れていたことに、気が付いたのだ。また聞きではなく、目の前でおでことはいえ、キスシーンがあった。だから、病気が再燃してしまったのだろう。
「違うよ。あれは、夫婦を装う演出上の出来事だよ。実験だって説明されたし」
「実験? 殺そう」
「いやいやいや、おでこなんて、どうでもいいじゃん。ただの仲良し演出だよ」
その後にあったアレに比べたら、おでこなど、大したことではなかった。衆目の前のただの小芝居だ。パドマはいたが、人目を避けてのアレの意味のわからなさに比べたら、すぐに納得できるものだった。
「どうでもいいのか?」
「いいよ」
「そうなのか」
ヴァーノンの誤解が解けて、安心したパドマのおでこに、ヴァーノンが唇を落とした。相手がヴァーノンなら嫌ではないが、何を思ったらそうなるのかがわからなくて、パドマは困惑した。
「なんでだよ?!」
「ただの仲良し演出だが」
ヴァーノンは平然としたものだが、周囲からは悲鳴が上がった。変だと思ったパドマが正しいと思うのだが、兄の顔を見ると自信が失せる。
「まぁ、いいか」
どっかの誰かの意見より、兄の意見が我が家のルールに違いない。パドマは、気にしないことにした。兄成分補充のため、パドマは思いっきりヴァーノンに組みついた。
変な男が片付いたなら、パドマのやりたいことは、ダンジョンにしかない。抜き身の剣でバトントワリングをするくらいノリノリで、パドマはダンジョンを駆けていった。
トカゲもヘビも、頭の位置も気にせず胴を割りながら走り抜け、カエルは意味もなく爆発させた。カメが出てくれば、宙返り斬りを成功させて、「曲芸習得!」と、喜んだ。オオエンマハンミョウ用の装備のおかげで、ハチグマの特攻にも弾き飛ばされることはなくなった。ただ。
「はしゃぎすぎて、疲れた」
まだタカを倒してる最中なのに、パドマが大の字に倒れたので、師匠が引き継いだ。
「やっぱり、ダンジョンで遊んでるのが、楽しいね」
パドマがへらりと笑うと、師匠から、ナイフが飛んできた。蹴るのを辞めた結果、今度は、ナイフを飛ばされるようになったらしい。
一応、加減はされている。投げるぞ! という無駄なモーションを入れて、柄の方をパドマに向けて投げて来たのだ。だから、今回は避けれたが、段々と回数を重ねれば、師匠の手加減がなくなっていくのは体験済みだ。そのうち刃を向けて投げてきたり、10本まとめて投げてきたりするのだろう。常人の投げナイフなら、当たったところでケガをする程度だろうが、師匠のナイフは狙いが正確な上で、破壊力がある。勢いでぶっ飛ばされるようなナイフが飛んでくる。今度こそ殺されてしまいそうだが、まぁいいや、とパドマは跳ね起きた。師匠なら、それなりに弔ってくれるだろう。妙なイタズラをされることもないだろうし、死後の心配はいらない。
「ちゃんと働けばいいんでしょ。でも、そろそろ休憩させて。この服の重みだけで、沈みそう」
血の臭いに誘われるのか、次々と隣の部屋からやってくるタカの駆除をパドマも手伝った。
次の階段で、休憩をもらえた。パドマは、ヤマイタチに預けていた弁当と水袋を出し、師匠にも渡した。弁当は、その辺の屋台で売っていたカツサンドだ。昼を過ぎてから買ったし、恐らく一般的な夕飯の時間も過ぎている。もうすっかりしっとりしてしまっているのに、師匠は嫌そうな顔をしているが、パドマは構わず、かぶりついた。ソースの味がない。これは師匠が怒りそうな味だな、と思いながら、パドマは気にせず食べた。火種まで戻るのは、面倒臭すぎる。行くなら、師匠1人で行ってきて、好きな物を食べてきたらいい。
パドマは、自分だけさっさと食べ終えると、返信されなかった質問をもう一度した。
「月と星は、どっちの方が明るいの?」
師匠の動きが、ピシリと止まった。そして、両手の指を使って、丸を作って見せてくれた。微笑みに華がない。パドマの知りたかったことは、おおよそ知れた。
月は好きな人、この場合は師匠の奥さんで、星は新星様、パドマのことを指す。パドマは、どちらの方がより好きか、と尋ねたのだ。
師匠に惚れてしまったから、告白しようと思った訳ではない。アーデルバードには、そんな隠語を使った告白はないようなのだ。それなのに、パドマは、そんな訳の分からない知識があった。思い返せば、いろいろおかしかった。ヴァーノンは字が読めなかったのに、パドマには読めたのである。パドマに知識を吹き込んだ誰かがいる。
近所に住んでいたお兄ちゃんだというのは、なんとなく思い出しているのだが、その記憶もいろいろおかしいのだ。見た目だけならば、ヴァーノンよりも余程お兄ちゃんらしかった。記憶違いでなければ、近所のお兄ちゃんは、髪色も肌色もパドマと同じだったし、顔も少し似ているような気がした。なのに、あちらが近所のお兄ちゃんで、まったく似てないヴァーノンが兄として一緒に暮らしていた。ヴァーノンは、ただ巻き込まれていただけだが。当時は気にも留めていなかったが、今ならば変だと思う。
師匠は、アーデルバード出身ではない。そうイレが言っていた。だから、月と星の隠語に気付くか、試した。師匠も、最近まで字の読み書きができなかったのだが、パドマの中では、それも怪しいとしか思えない。師匠は何でもできる男なのだ。
師匠は髪色も自在に変えるし、パドマの影武者に変装する技術を持っている。今の姿が少々違くても、問題にはならない。ここ数年見ていて、成長した気配も感じないから、当時が何歳くらいの見た目だろうと、関係ないと思った。師匠が、お兄ちゃんの正体だったとして、別に何をしようとも思っていない。だから、師匠には触れるのか、と納得するだけだ。
「うん。ウチも、月の方が明るいとは思ってるんだ。だけどさ、比較したら、どのくらい明るいか、わかる? 月も日によって形が変わるし、星も沢山あるから難しいと思うんだけど」
師匠は、指を3本立てた。心なしか、微笑みが穏やかになっている。単純に、月と星の質問だったのか、と油断しているのだろう。パドマは、その正解は知らない。お兄ちゃんと同じ答えが返ってくるか、聞きたかっただけだ。
「3倍? 30倍? 300倍? 3000倍? 3万倍?」
師匠は、ずっと首を横に振っていたが、パドマが3万と言ったところで、首を縦に振った。お兄ちゃんと同じ回答だった。それだけでは確定できないが、パドマの知り合いの中でなら、最もそれらしいのが師匠だと言うのは、わかった。
「そっか。そんなに差が開いてるなら、ウチには勝ち目はないねぇ」
パドマは、ケタケタと笑った。ただの戯言である。深い意味などないつもりだった。なのに、言った途端に視界が暗転した。そんなにすぐ殺されるのかよ、とパドマは驚いた。
パドマは、唄う黄熊亭の自室で目覚めた。どうやら、死んではいなかったらしい。特に、ああ良かった、とも思わなかった。
のそりと起き上がり、窓から外を伺えば、太陽がそれなりに高く上がってるのが見えた。
「あれじゃあ、今日もダンジョンは、無理かな」
昨日は、可能ならば56階層まで行く予定でいた。だが、そこに行き着くまでに、意識を刈り取られてしまったのである。パドマが余計なことを言ったのが悪いのだろうが、パドマは悪いのは師匠だと決めつけている。
とりあえず、連れ帰られていたヤマイタチのリュックの中身を片付けたら、外に出て屋台の串焼きで腹を満たし、明日に備えて寝直した。
そう。またパドマは悪癖を起動して、夜中に家を抜け出した。護衛が3人も張っていたところで、知ったことではない。寒すぎていられないのかもしれないが、さして熱心でもないヤツは、油断してすぐに小用のフリをしてどこかに消える。ドアだけ見てればいいなんてぬるい輩を出し抜くのは、簡単である。パドマは2階の廊下の窓から、音もなく飛び降りた。消音対策をしていれば、造作もないことだった。そして、そこに隠しておいた荷物を持って、ダンジョンセンターに歩いて行った。
1階層に着いたら、まず着替えだ。防刃服と着込みは、ヤマイタチに預ける。パドマは、綿入れ姿になって、走り出した。
基本的に敵は避けて通り、トリバガのようなどうにもならないものだけ、斬り捨てる。20階層手前で1度水分補給をして、また36階層まで走った。そこで、また休憩がてら着込みを着たら、もうそれほど速くは走れない。やはり嫌になって、37階層手前で脱いだ。そして、また走る。
43階層を走っていると、急に腕をつかまれた。目隠しをしているので、犯人を視認することはできないが、この階層主は蝶だ。蝶は、絶対にそんなことはしない。だから、探索者なのは確定である。パドマに気取られぬ様に、気配を殺してそこにいたのだ。絶対に、ロクなヤツじゃない。
次回、ダンジョン! やっとダンジョンに行ける。ところで、この話は、ダンジョンとそれ以外とどちらが需要があるのでしょうか。。。迷走しています。