132.パット眠る
白蓮華の娘の正体は、パドマだった。紅蓮華でヴァーノンが働いている関係で、その妹であるパドマは白蓮華で手伝いをしていたのだ。白蓮華は、紅蓮華の慈善事業だからだ。
パドマは、年若い少女にしか見えないが、実はもう18歳だった。少々早めに結婚したので、3年前から既婚者になっている。
結婚相手は、貴族風の男だ。名をパットという。明らかに偽名というか、愛称だった。パットはパドマのことは愛しているし、2人は恋愛結婚なのだが、扱いは愛妾に近い。パットの家にはパドマを近付けず、通い婚を続けていた。だから、パットの正体は、パドマも知らない。だが、簡単には直答を許さない習慣といい、金回りの良さといい、高位の貴族にしか見えなかった。
という設定をイヴォンが作った。
パドマは、どこまで真面目に受け取ったらいいかわからず、困惑するしかなかった。
「これならば、ボロが出ても、パドマさんは騙されていただけですし、しっかり傷物になっているので、求婚は取り下げられるでしょう。
パドマさんの夫の名は、パット。それだけ覚えておいて頂ければ、他はそのままでいいと思います。紅蓮華や綺羅星ペンギンには、そのように伝えますので、ヴァーノンさんは、唄う黄熊亭をよろしくお願いしますね」
というと、去って行った。
パドマとパットは、それを見ているしかできなかった。
パットは、貴族の設定に合わせて、ジュストコールを着せられていた。金糸銀糸に彩られた黒のコートが、とてもよく似合っている。後ろで束ねられたゴールデンブロンドの髪は豪奢で、精悍な顔つきは王者の貫禄すら秘めているように、パドマには見えた。
実際は、皆にパドマの夫役を押し付けられて、師匠がスネているだけなのだが、相変わらず見た目だけなら、完璧だった。いつものふわふわとした微笑みは、なりを潜め、化粧によって、眉毛や目元が鋭く調整されている。鼻筋や口元に幼さは残るが、パドマの横に立つなら、充分年齢相当だった。出会った頃からおっさんだった可愛い師匠は、あれから寸分変わらず可愛いままだった。パドマやヴァーノンや、他の沢山の人間は加齢を続けて、成長したり、老けこんだりしていたので、知らぬ間に、パドマは師匠と見た目年齢が同じくらいになっていたのである。身長は、まったく追い付く気配がないのだが、それも直に追い付くかもしれない。パドマの成長が止まらなければ。
パドマが、ヴァーノンに頼んだのである。師匠を夫に仕立てあげるのがいいんじゃない、と。
パドマは、ヴァーノンと師匠以外に触れる男がいないのだ。ヴァーノンは、パドマの兄役が決定しているのだから、もう師匠しか余っていない。それ以外の男を代役に立てた場合、全身に鳥肌を立てて、泣きながら愛してると言わねばならないような惨状が待っている。それでは、イギーだって騙せる気がしない。
テッドのような子どもを巻き込むことはできないし、師匠なら闇討ちされても自力でどうにかできる。仮装も得意だし、これ以上の適任はいないだろう。いつも一緒にいるのだ。街の人だって、実は結婚してましたと言えば信じてくれる人もいると思う。
問題は、本人が嫌がるという一点だけなので、そこはヴァーノンが突破した。妹のためだと思えば、ヴァーノンにはできないことなど何もない。
「嫁に出すことになれば、パドマは必ず死にます。あの言葉は、ウソだったのですね?」
と、言っただけで、師匠を陥落させた。意味がわかる人間はいなかったが、気が変わらないうちに、師匠をパットに変身させて、しばらくパットとして暮らしてもらうことになった。師匠が師匠に戻るためには、イライジャをどうにかするのが、最低条件となる。
本当に、そんな適当な出まかせで騙せるのかは知らないが、パドマのすることは、何もない。ただヴァーノンの妹として、白蓮華の手伝いに行くだけだ。英雄様であることがバレると、また面倒臭そうなので、ダンジョンに行くのを控え、白蓮華の子どもたちに「お姉ちゃん」と呼んでもらえるよう、お願いするだけだ。
それと、ついでに小パドマも隠すことにした。元々、家に帰ったりしないから、入り口に近い部屋に行かないだけでいい。テッドに、こっそり説明して協力してもらうことにした。
「という訳で、変な人がウロウロしてるから、念のためパドマを晒さないようにしよう、と思うの。相手が普通の人だったら、そんなことしないんだけど、お兄ちゃんが危ないって言ったから。気にしてもらってもいい?」
「ああ。できる限り、外には出さない。別に今までも出てないから、問題ない。だけど、お、おねいちゃんは、大丈夫なのか? どこへも行くなよ?」
「行かないよ。ウチは、ずーっとお兄ちゃんから離れないし。パット様とも、用が済んだら別れて、テッドのところに帰ってくるからね。ふふふー」
パドマが、テッドを捕獲して撫で回すと、テッドはジタジタと暴れて逃げようとした。だが、いろんな人に力負けするパドマでも、流石にテッドには負けない。時折くすぐり攻撃を混ぜながら、可愛がった。
「くっそ、卑怯だぞ。ははははは。絶対、どっちも誰にもやらないからな、っくくく」
パドマの生活は、ダンジョンに行かないくらいで大して変わらないが、パットの生活は大分変わった。調子に乗った紅蓮華が、貴族らしく過ごせと、いらない仕事を回してくるようになったのだ。アーデルバードがパットの領地という設定ではなかったのに、何故か街議会の仕事をやらされていた。やっとパドマのところに戻れたと思ったら、エスコートして歩かねばならない。ストレスが溜まっているのが、傍目からもよくわかる。
その上、夜はパドマと2人で過ごせと言う。ヴァーノンが気を遣って部屋を移ろうとしたので、パットはとうとう腹を立て、ヴァーノンを簀巻きにして部屋に転がした上で、ヴァーノンのベッドで寝た。
パドマは、ヴァーノンの縛を解こうとしたが、パットの怒りは相当の物だったらしく、ナイフを使っても解放できなかった。
人目があるうちは、パットはパドマに優しかった。爽やかな笑みを浮かべ、細やかな配慮をしてくれて、無駄に歩きやすくしてくれるのだ。とても自然な動作でしてくれるので、これは奥さんしか受けてはいけないサービスなのでは、とパドマは戦々恐々としている。パットの魔法がとけた後が怖いのだ。今でも、人目がない時は、冷えた顔に急変する。その落差に、パドマはドキドキしていた。絶対に、後でイジメられる! 怖いモンスターの前に突き飛ばされる!!
「パ、パット様? 今日は、白蓮華に泊まらない? テッドが待ってると思うから、ね?」
外で話しかける分には、優しい微笑みで頷いてくれるのだが、白蓮華に着いてパドマの兄弟部屋に入ってすぐに、師匠はフリーズした。部屋の隅っこに陣取って、座ったが最後、動かなくなった。
白蓮華では、ほぼ調理スタッフとして働いてくれていたのに、元のサボり魔に戻ってしまったようだった。
「お仕事大変なの? 甘いもの食べる? それとも肉がいい?」
パドマは、パットの前に座って尋ねると、腕が伸びてきた。とうとう我慢の限界を越えて、血祭りにあげられるのだ! パドマが、そう覚悟をしたら、抱かれただけだった。どうして、師匠がそんなことをしたのかも、すぐにわかった。ドアの方から、野太い悲鳴が聞こえたからだ。
「いや、あいつらの前まで、芝居しなくていいし。ツライなら、明日はダンジョンに行く? ウチは何もしないけど、パット様は、ちょっとくらい暴れても、いいんじゃない?」
すると、パットはパドマを脇に置いて、手に文字を書き出した。
「今日、は、クラーケン、を、倒した、から、もういい? クラーケンて、海の? あれ、冗談じゃないの? 本当にいるの?」
パットは、力なく頷いた。
「もしかして、普通に疲れちゃっただけ? じゃあ、寝る? ごはんの時間になったら、起こしてあげるし」
パットは、横に首を振り、立ち上がったのだが、倒れてしまった。寝ているだけのようだったので、人を呼んで、ベッドの部屋に運んでもらい、休んでもらった。
パドマは、以前、オサガメの時に寝てしまったのと、同じ症状だと思った。しかし、そうだと思っても何の確証もなく、日を跨いでも白い顔をして、寝ているパットの顔を見るのは、辛かった。あの時のイレも、こんな気持ちでいたのかなぁ、とヒゲ面を思い出した。
しばらくすると、巨大なタコ足が1本、白蓮華に届けられた。1本と言っても、パドマの身長8人分くらいの長く太いタコ足だった。噂のクラーケンの足かもしれない。調理場にも入りきらないし、太い部分は廊下も通らない。
倒したらしい本人が寝ているのに、勝手に処分するのはどうかと思ったが、ナマモノな上に巨大過ぎて、保管のしようがないので、太い部分を優先的に、おすそ分けしたり、人を集めてきて食べた。
食べ切れない分を保存のために、茹でたり燻したりするだけで、大変な作業量になった。
次回、クラーケン退治祝いの宴