13.師匠さん
あっという間に、ロビーまで戻ってきたので、佳人をイスに座らせて待たせて、火蜥蜴の換金をお願いした。1匹が小さいからだろう。倒すのが大変な割に、ダンゴムシより安いのだが、収入がないよりマシだ。帰り道に佳人が倒した分も、可能な限り拾ってきたので、半分よりは多めに分けて、お金を渡そうとしたのだが、受け取ってもらえなかった。
受け取ってもらえたのは、パドマだけである。膝の上に乗せられて、ずっと頭を撫でられている。微笑んでいるだけで、言葉を発してくれないので意思の疎通が難しい相手だが、助け起こした感謝の気持ちを表現しているのかもしれない。そうは思うものの、どうしたらいいものやら困って、助け船を求めて男たちに視線を送るも、そちらこそ佳人にとろけた顔を向けているばかりで、およそ役立つようには見えなかった。
「師匠?!」
佳人に頭を撫でられて、どれくらい経っただろうか。途方に暮れているところに、ダンジョンから出てきたらしいイレがやってきた。
「パドマ? 何やってんの?」
イレは歩いて近寄ってきただけなのに、佳人の袖から糸付きナイフが飛び出した。標的になったイレは、近くのイスを盾にして逃れたようだが、ナイフは何度でも飛び出てくることをパドマは知っている。
「ダメだよ。探索者同士のケンカは、禁じられているんだよ。やめて!」
止められる気はしなかったが、腕をつかんで止めたら、イレから視線をハズし、パドマに微笑みかけた後、抱きしめてきた。意味がわからなかった。
「その師匠、どこから出てきたの?」
イスを抱えて、イレが近付いてきた。
「ダンジョンに落ちてたのを拾ってきたんだけど、言葉が通じないみたいで、困ってるの。イレさんの知り合いなの?」
「どこからどう見ても、うちの師匠にしか見えないけど、師匠は死んだハズなんだ。でも、こんな美人、そうそういるとは思えないし、挨拶代わりにナイフを投げてくる人間性といい、師匠だとしか思えない。
師匠、何やってんの? パドマが困ってるよ。解放してあげて。パドマが、お腹すいて倒れちゃうよ」
イレが発した言葉を理解したのかはわからないが、師匠は、パドマを抱えたまま立ち上がり、外に向かって歩き出した。
「こっち、こっち。こっちがおいしいご飯屋さん」
イレが誘導し、唄う黄熊亭に着いた。
唄う黄熊亭に着いたが、師匠が離してくれないので、パドマのお手伝いはお休みだ。ヴァーノンだけでも仕事をしてきて欲しいのに、美人と離れたくないからか、手伝いに行かなかった。
必要ないだろうイギーやレイバンまで含めて、酒場の客になって、同じテーブルを囲んで座ることになった。パドマは、今でも、師匠に抱えられたままだ。ひざに座らされているだけでどうかと思うのに、隙あらば口に食べ物を入れてやろう、と狙われている。イレが、倒れると言ったからだろうか。そうだとするならば、言葉が通じていることになる。話せるのか、話せないのかは、まだわからないが。
「で、師匠、何やってんの? パドマを気に入っちゃったの? そうだとしても、そろそろ離してやってくれない? パドマの仕事の時間なんだけど」
今のところ、イレは自称知り合いのままだ。ナイフを投げた以降は、見向きもされていないので、師匠と弟子というようには、まったく見えない。そもそも何の師匠なのか。美人に近寄ろうとしているヒゲ面オヤジにしか見えない。
「この人と、どういう関係はぐぅっ」
口を開けば食べ物を入れられるので、まったく話が進まない。本当に知り合いだと言うのなら、イレに止めて欲しいと思うものの、ナイフを向けられる間柄では、期待するだけ無駄だろう。
「前に言わなかったっけ? ダンジョン攻略監督をしてくれた師匠だよ。まぁ、師匠と呼ぶべきか、育ての親と言うべきかはわかんない人なんだけど、師匠以外の呼び名を許してくれないから、師匠なんだ」
イレは通常営業で、エールをぐびぐび飲みながら話をする。少年たちは、果実水を飲んでいた。パドマも、そろそろ飲み物が欲しい。睨んでも誰も気付かない。
「嘘吐きジジイめ。何が育ての親だ。こんな若くてキレイな人が親のハズがないだろう」
イギーの言う通りである。師匠は、精々15、6にしか見えない。見た目おじさん、自称18歳のイレの育ての親になるには無理がある。
「その人、見た目は可愛いけど、お兄さんより5つは年上だから。強いて言うなら、女でもないからね。見た目に騙されちゃいけないよ」
イレの言葉に、みんなで師匠をガン見した。パドマだけでなく、周囲の席の客も一緒だ。ふわふわとした天使のような微笑みを浮かべる人形じみた可愛らしい人である。年齢もそうだが、絶対に女性だと思っていた。服装や体型は、どちらともわからないようではあったが。
オーバーサイズのだぼだぼとした服は、無駄に布地がびらびらしていて、裾も袖も広がるデザインなので、見た目ではまったく体型がわからない。パドマは抱かれているのだから、触れればまた情報が増えるだろうに、至るところに暗器が仕込まれているらしいことしか気付けない。これは剣かな、棍棒かな、鎧かもしれないな、と思うだけだった。
「男の人なの?」
口を隠して尋ねても、微笑みを浮かべて頭を撫でてくるだけで、答えを返してもらえない。
「男なのでしたら、妹を離して頂けませんか? まだ子どもですが、一応、嫁入り前なので」
ヴァーノンが言うと、師匠はヴァーノンのイスを持ち上げ、下に落としてから、パドマをイスに座らせた。
「男なのか?」「男なんだ」「嘘だろ」と、周囲はざわついてるが、師匠の微笑みは変わらなかった。
まったく話がわからなかったものの、そろそろ就寝時間も近い。パドマの部屋に泊める訳にもいかないし、イレの家は本人が嫌がったので、ごはんを食べさせたら、宿屋に泊まってもらうことになった。宿泊費は、火蜥蜴代で足りる。明日以降は、イレに支払ってもらうことにして、パドマは酒場で少しだけ手伝いをして、部屋に帰った。
ダンジョンに出かけようと家を出たら、外にイレと師匠が立っていた。いるんじゃないかなぁ、という気がしていたが、気が滅入った。一日中抱っこは、嫌だ。美男なのか、美女なのかわからない人だが、鬱陶しいことには違いない。隣の兄も、鎧を着ているし、パドマの手に余る事態だった。
「お兄ちゃんだけでも、仕事に行ってくれないかな」
「イギーのお守りは、仕事のうちなんだ。あのピンク頭が戻るまでは、仕事に行けないことになっている」
どうやらヴァーノンは、いつもの仕事をしたいようだ。残念そうな顔をしていた。髪の色だけが問題なら、解決手段があるのに、実行してはいけないのだろうか。パドマは、不思議に思う。
「全部、刈り上げちゃえよ」
「俺からは言えない。お前が言ってくれ」
「師匠さんがしゃべれたら、言ってもらうのに」
「そうだな」
今日の師匠さんも、天使の微笑みだ。着替えなんて持っていたのか、昨日とは色違いの服を着ていた。意匠はまったく同じに見えるが、紺色の服に変わっている。そして。
「なんで目の色が違うの?」
翡翠の瞳が、紫水晶に変わっていた。
「あー、師匠は、髪も瞳も色がコロコロ変わる人だから、気にしないで。これのおかげで、やっぱり師匠だったか、って確信したトコだから」
「人違いかと思っていたのですか?」
「だって、師匠は死んだんだよ。お兄さん、葬式にもしっかり参列したからね」
そういえば、昨日も死んだと言っていた。死んでいたから、イレより若いのか。そっくりさんで、こんなにキレイな人が現れるなんて有り得るのか。ダンジョン産モンスターだったりしないか、考えてみるが、まったくわからなかった。
歩いていくと、ダンジョンセンター前には、あの2人がいる。パドマには、一か八か、言わなければならない言葉があった。
「おはよー、イギー」
「お、おはよう。今日は無視しないんだな?」
何故か、ファイティングポーズでこちらを見ていたが、話しかけたら、構えを解いた。
「あのね、師匠さんの好きな男性のタイプは、丸刈り頭だって」
「そうか。それは意外だな。お前は?」
「ピンクのまだら模様よりは、丸刈りが潔いと思う」
「わかった。切って来よう」
レイバンと2人で、散髪しに帰ってくれることに話がまとまった。付き合いで丸刈りが決定したレイバンは、とても嫌がっているが、パドマの知ったことではない。きっと似合うよと、笑顔で見送った。
「お兄ちゃん、子守りは向こうだよ」
「ああ、レイバンが可哀想だから、助けに行ってくる。お前も気を付けろよ。まだ嫁に行かなくていいからな」
ヴァーノンが何を言ってるやらわからなかったが、パドマは、もう1度、手を振って見送った。
今日の師匠は、抱っこまではして来ないが、パドマとつないだ手を離してくれなかった。線の細い女性にしか見えないのに、どっしりとして押しても引いても動かない。やはり男性なのだろうか。師匠が行く方向へ、ついていくしかできない。
「イレさん、師匠さんは、どこに行くのかな」
「全然しゃべってくれないから、お兄さんにもさっぱりわからないんだけど、なんとなくパドマのことを妹と誤認してる気がするんだよね。妹のことは溺愛してたから、悪いようにはされないと思うんだけど、どうかな。心配で一緒に来たけど、正直、お兄さんより師匠の方が強いから、助けられなかったら、ごめんね」
「前からしゃべらない人じゃなかったんだ」
「生前は、もう少し普通の人だったよ」
イレと会話をする間も、足は止まらない。進行方向に虫がいれば、ナイフが飛んで薙ぎ倒される。ナイフを飛ばしている間も、足は止まらない。どんどん先に進んで、10階層の火蜥蜴部屋の1つでようやく足が止まった。やっと手も離してくれた。
「ここが目的地? なんでさ」
イレにはわからないだろうが、パドマには心当たりがあった。
「昨日、ここで師匠さんに会ったんだよ。探索の邪魔をしちゃったと思って、ここまで連れてきてくれたのかも」
「ここに落ちてたのか。中途半端だなぁ。何か、あるのかな」
イレは壁や床のレンガを触って調べているが、何かあるようには見えなかった。でも、不思議だ。火蜥蜴にやられる人ではなさそうだし、焦げ跡もなかった。何で、転がっていたのだろう。
イレの様子を観察していたら、師匠が通路の先を指差しているのに気付いた。
「あっちに何かあるの?」
指差す方向に歩くと、師匠が後ろからついてきた。今度は、何がいても倒してくれないらしい。仕方がないから、トカゲをぺしぺしとフライパンで叩きながら進んだ。
次の部屋には、下に降りる階段を見つけた。適当に進んだ道だが、下に行く最短経路を進んでいたらしい。たまたまトカゲの少ない方へ進んだ結果なのだが、下階層へ行く人間が蹴散らして進んだ道だとしたら、そうなる確率も高かったのかもしれない。
ダッシュで通り過ぎようとしたら、後ろから襟首をつかまれた。つかんでいるのは、師匠である。じっと見上げていたら、糸付きナイフを1本渡された。刀身から柄に至るまで、1つ素材でできている透明のナイフだった。これならば、ナイフより糸が目立っていたのも納得だった。
「これを投げて、トカゲに当てるの? 悪いけど、ウチにやらせると、びっくりするくらい当たらないからね」
集中して本気を出して投げるのだが、当たらない。師匠から見たら、どのトカゲを狙ったのかすらわからないほど、ひどい有り様だったろう。一瞬でナイフを回収してくれて、5回投げたが惜しくもなんともなかった。距離的に届いているだけマシだというのが、パドマの今の実力であった。
師匠は、渋面である。とても嫌そうな顔をしているのに、それでも可愛いのだから、美人は得だとパドマは思った。
師匠は、まだパドマの投げナイフの腕を諦めないらしい。パドマにナイフを持たせると、手を後ろからつかんで一緒に振る。今度は、3回目でトカゲに当たった。当たっただけで、傷を負わせることもできなかったが。
「おー、当たった! すごい、さすが師匠さん!!」
腕の振り方が悪いというのは、なんとなくわかった。1人で投げてみて、師匠にフォームを修正されて、というのを繰り返す間に5回に1回くらいは、トカゲに刺さるようになった。階段の部屋のトカゲは全滅したので、今日のところはトカゲを拾って帰ることにした。
イレは、ずっと隣の部屋を調べていたが、収穫は何もなかったらしい。一緒に帰ることになった。
次回、11階層へ