127.ヤマアラシ顛末
「あねさ、ぎゃあぁあぁ」
テッドが部屋を出て行ったからだろうか。ハワード他数名が部屋に入って来ようとして、師匠に撃退されていた。師匠は、パドマの横に座っていたのに、腕の力でドアの前まで跳んで、着地と同時に立って、その時には既にハワードをドアの外に蹴りだしていた。早わざだった。どうしたら、あれを迎撃できるだろう、と思いながら、パドマはしゃくしゃくとレタスをかじっていた。
師匠は部屋に戻ってくると、パドマから皿とフォークを取り上げて、綿入れを2枚着せて、また部屋の外に出て行った。
ドアがノックされたので、パドマは「はーい」と返事をすると、「失礼します」という声が聞こえた。ハワードが、顔を引き攣らせながら、部屋に入ってくる。その後ろからも、「失礼します」「失礼致します」とゾロゾロ男が入ってきて、最後に短木刀を持った師匠が入ってきた。師匠が短木刀を左手に当て、ペシペシと音を鳴らす度に、男たちがビクビクするのが、不思議な光景だった。師匠は外面だけはいいので、そんな顔をするのはパドマだけだと思っていたのだが、どういう風の吹き回しなのだろう。
「姐さん、お、おはよう御座います。お加減は如何ですか?」
ハワードは、涙目になっていた。見たことがない顔ではないが、キャラが違う。
「おかげさまで、完全復活したみたいだよ。ありがとう。別にかしこまらないで、いつも通りでいいよ」
「いえ、ハワードは、目に余ります。少しずつ改善させます。本人のために」
「そっか」
ハワードのノリは嫌いじゃないし、それに助けられたこともあった。それがなくなるのは寂しいが、本人のためと言われると、パドマには止められない。ルイの言う通り、お前、そろそろいい年なんだから、ちゃんとしろよ、とパドマも思ったことはあるからだ。
「申し訳御座いませんが、あの折、52階層で何をなさっていたか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「やっぱり現実だったか。別にいいよ」
あまりにもキレイさっぱり傷がなくなっていたから、もしかしたら夢ではないかと思っていたのだが。パドマは、赤紫蘇ジュースを一息に飲み干してから、話し始めた。
「ヤマアラシを子どもたちに振る舞おう、って思ってさ。仕留めることはできたんだ。でもさ、ちょっと遊び過ぎちゃって。針が飛んで来るのが、面白くてさ。わざわざ後ろから攻めたもんだから、何本か針攻撃をくらっちゃってね。針を抜いてみたら、1本ぴゅーって、すごい血が出て止まんなかったんだ。血止めの方法は、知ってたんだよ。だけどね、残念なことに力が足りなくてさ。圧迫したら痛いし、嫌になってそこそこで諦めて放置して、狩りを続けてたのが、いけなかったんだと思う」
パドマは、自分なりに自分の考察をして、答えは導きだせていた。強いて言うなら、やる前から結果も見えていた。だから、あえて好きなことをして、帰らなかったとも言う。助かったことの方が、意外だった。師匠が、想像以上に万能過ぎた。
「刃物が刺さった場合は、抜いてはならないのですが」
ルイは、パドマの失態を責めないように、教えてくれようと、配慮してくれているようだ。パドマは、師匠の顔を見て、申し訳なくなった。
「うん、知ってる。初めてじゃないんだ。前も、お兄ちゃんにクソ怒られたし。だけど、魔がさす時って、あるじゃん。死んだら、本当にダンジョンに吸い込まれるのかな、って気になっちゃったんだよ」
ふふふー、となるべく明るく話したのに、皆の顔が怖くなった。ただでさえ怖い顔なんだから、勘弁して欲しい。ボスとしての体裁を保てなくなる。
「貴女が失われれば、全てが終わるのに。ご存知の上で、そのようなことをなさったと?」
ルイが、瞬きをするのを辞めた。表情をなくしている。その上で、一歩前進し、ひざをついた。
「貴女がいなければ、誰もペンギンなど見には来ないでしょう。孤児院に金を落とす人間もいない。我らと対等に話をしようとする人間もいなくなる。わたしたちの全てが失われるのをご存知の上で、その疑問の解消をせねばならなかったのですか? そんなもの、今すぐに解き明かして参りましょう。失礼致します。ハワード、死ね」
「承知」
「待って」
ルイは、立ち上がり、ハワードを連れて去ろうとしたので、パドマは慌ててルイの裾をつかんだ。すると、男たちの目がたちまち泳ぎだし、あっという間に全員、師匠に吹き飛ばされた。師匠がパドマを元通りに座らせて、エリを直したところで、パドマも何がいけなかったか、気が付いた。寝巻きがゆるんでいたから、中身が出てしまっていた。ちゃんと着直したつもりだったが、構造上の問題で、そんなにかっちりと着れる服ではない。だから、師匠は上に重ね着させてくれたんだろうに、パドマの行儀の悪さは、それを超えてしまったらしい。腹掛けがあるので、露出はないと思うが、腹掛けが見えてしまっている時点で、大分はしたない。パドマが無作法なのは今に始まったことではないが、そんな方面まで気にしないでいる予定はなかった。ひぃ、と声が漏れ、血が顔に集まってくる感覚を覚えた。
「ごめん。皆、今見た物は、即刻忘れて欲しい!」
パドマは、服の前をかきあわせて叫んだ。もうボスの威厳なんて、どうでもいい。
「無理だ」
つい本音をもらしたハワードは、ルイに厳重に踏まれていたが、パドマも身動きが取れないほどに、師匠に布をぐるぐる巻きにされていた。
「姐さんが特攻かますのは、死んでも構わないから、なんだな」
ポツリとこぼされた言葉に、パドマも同じ調子で答えた。
「多分、そう。死にたくはないのに、たまに誘惑に負ける時がある。お兄ちゃんと約束したから生きなきゃいけないし、お兄ちゃんと一緒にいたかったら生きてなきゃいけないんだけど、全部から逃げたくなる時があるんだ。ごめん」
「血止めをした我らを恨んでいますか?」
「会えて良かった。戻ってこれて良かった。だけど、そのうちまた魔がさす時が来ると思う」
パドマは、自分の身体を抱いて、袖をぎゅっとつかんだ。詳細は語りたくない。どう説明したらいいのかわからないが、そういう瞬間がたまに訪れる。死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。それなのに、生きていることにも絶望しか感じない瞬間がある。
「姐さん、俺たちを存分に使えよ。人数多くて困ってんだろ? だったら、どんどん使えよ。交代で姐さんの護衛をするくらい簡単だ。欲しい物があれば、全部取ってきてやる。嫁に行きたきゃ、もらってやる。嫁に行きたくなけりゃ、もらったフリして放置してやる。なんでもやってやるから、遠慮なく言えよ。ダンジョンで死ぬとこ見たいなら、見せてやるし?」
ハワードは、いつもの調子でニヤリと笑った。パドマは、胸が苦しくなって、布団をかぶって転がった。
「ウチは、ずっとお兄ちゃんの妹でいたいの。守ってくれる?」
「やっぱりお兄ちゃんなのかよ。確かにすごいお兄ちゃんだったけど、なんなんだよ、マジで。
姐さんと、お兄ちゃんの警護係作るぞ」
その日は、ずっと白蓮華で寝て過ごし、次の日は、またみんなでバーベキューをした。残念ながら、パドマが取ってきた肉は、全部売られてしまったようだが、綺羅星ペンギンのお休みメンバーの総力を上げてしまえば、肉などいくらでも集まる。肉屋の経営までしているのだから、肉の加工も思いのままである。定期的にバーベキューをするから、1回あたり30人までにして、順番に来てね、という約束で、バーベキューの参加も認めてしまったので、とんでもない量の肉が集まった。バカがバカなのは、いつものことなので、仕方がない。
パドマは、もうすっかり元気なのだが、今日は人手が沢山あるので、子どもたちに混じって食べるだけにした。野郎共には、酒禁止と子ども優先は約束させたが、後者はともかく、前者は守られないだろうな、と諦めていた。パドマは既に一杯盛られた。チビにやったら殺すぞ? と、実行犯はシメたが、自分らは飲むのだろう。飲みたければ、飲めばいい。後日、グラントに言って、バーベキュー名簿から削除すれば良いだけだ。ここにいる全員が消え去っても何も困らない。見せしめに丁度いいくらいだ。
「ボルシチ美味いな。誰が作ったんだ。次回も呼ぼう」
「ああ、それならアイツ。あのテッペンしか髪がないくせに、縛ってる」
「あれかー。あれは、来なくていいかなー。顔怖すぎるよね」
「ボスのお前だけは、言っちゃダメだろ」
「いやだって、ここ白蓮華だし。なるべくマイルドなヤツを選ばないと、ダメじゃない?」
「俺たちは、わりと慣れたけど」
「マジか! 流石、部長」
ヴァーノンを呼んでもらったら、ヴァーノンは小パドマに首っ丈になってしまったので、パドマはあぶれたテッドと料理を突いていた。
テッドは、本当によく見ていた。何を聞いても大体答えが帰ってくる。もう白蓮華のトップはテッドでいいのではないかと思えてくる。幼児に仕事をさせたくはないのだが、事務作業の得意な部下を数人付けたら、それでいいのではなかろうか。ダメならせめて、後任の教育をやって欲しい。
「やっぱり、ハンバーグと芋煮は、師匠さんの圧勝だなぁ。なんとか嫁に出さずに確保したい」
「だったら、お前が嫁にもらえばいいじゃん。嫁に行きたくないんだろ? 一石二鳥じゃん」
「断る。機能は好きだが、人柄は気に入らない。そうだ。ハワードちゃんに頼もう。さっき、何でもするって言ってたし、師匠さんをもらってもらおう」
「それは、師匠さんが断るだろ」
「野郎どもは、数だけはいっぱいいるし、片っ端から見合いをさせたら、1人くらい気にいるのいないかなぁ」
「お前は、1人くらいいたんだな?」
「いない」
「じゃあ、無理だろ」
「ヤマアラシの皮だけ別に避けて、甘辛く煮てくれる人材は、他にはいないよ? ハンバーグも芋煮も臭みがなくて、牛より美味しかったんだよ? 簡単には手放せないよね?」
「だったら、料理屋でも開いてもらえよ」
「無理だよ。あのサボり魔が、毎日なんて、働いてくれる訳ないから」
次の日から、パドマが出かけると、男が数人ついて来るようになった。護衛である。邪魔にならない様、ある程度距離をあけてついてくる。家の中や白蓮華の中まではついて来ないが、ダンジョンの中ではついてくる。ダンジョンに行っても、パドマについてくるだけで、好きな敵と戦える訳でもないし、家では寝てる間も外で待っている。冬の夜の外なんて寒いのに。
申し訳ないなぁと思いつつも、裏口から逃げ出したら、護衛の数が増えた。イヴォンに捕まりそうになって、護衛を使って逃げても、また護衛の数が増えた。窮屈だ。
護衛の数を減らして欲しい、とグラントに相談に行ったら、
「護衛を廃止して、街の各所とダンジョンの各階層に人を配置致しましょう」
と、笑みを浮かべられたので、現状維持を受け入れた。綺羅星ペンギンは、そこまで人数余ってないよね? と返したら、英雄様の名があれば、議会も動きますよ。と、しれっと言われて、怖くなったのだ。英雄様にそんな力はないと思うが、お祭りのように、英雄様を見守るゲームのようなものを始めたら、付き合ってくれる人もいるのかもしれない。パドマの護衛は、街中であれば、基本見てるだけだから、子どもでも務まる。話が大きくなる前に止めた方が、身のためだ。そう思って、パドマは護衛を受け入れた。
次回、白蓮華