126.こっそりダンジョン
パドマは、しばらくヴァーノンの機嫌取りのために浅階層をウロウロして、良い子の暮らしをしてきた。だが、同時に子どもたちからの羊パーティーは楽しかったなぁ、という圧も感じていた。羊の頭を嫌がる子どもたちに、ミミズを持って帰ってる選択肢はない。奥へ奥へ行かなければならない。
否、ウソだ。肉が欲しければ、買えばいい。部下たちに持って来てもらえばいい。パドマの荷物運び能力は大したことがないのだから、パドマ本人が行く必要などない。言い訳にしたいだけだ。
ああ、ダンジョンに行きたい。52階層にいるという、変なあいつを見てみたい。食べてみたい。あぁああぁあぁあ!
などと、考えてしまえば、パドマが止まるハズはない。また夜中にこっそり抜け出して、パドマは、52階層手前の階段に座って、タテガミヤマアラシを見ていた。52階層には、いろんな種類のヤマアラシが沢山歩いている。だが、パドマが戦いたいのは、タテガミヤマアラシだった。
タテガミヤマアラシは、しっぽまで入れると、体長はパドマとほぼ変わらない。全身が黒っぽい毛で覆われており、頭から背中にかけてタテガミのように白黒しましまの毛が逆立っている。このタテガミは体長の半分くらいの長さがあり、中空になってはいるが、とても硬く針状になっていた。目と耳は小さいが、大型齧歯類特有の可愛らしい顔をしている。だが、その見た目とは違い獰猛で、探索者を追い回して殺しにかかるのだ。針を広げて後ろ向きに体当たりをしてくるのはいい方で、ダンジョンのヤツらは、針を飛ばしてくる。3万本も生えてるそれを飛ばしてくるなんて、豪快だ。是非、見てみたいと思っていた。
手前にいたなんだかわからないヤマアラシの後ろ足をつかんで、そぉーれぃ! と投げてタテガミヤマアラシにぶつけてみたら、何事も起きなかった。ぶつかった方と、ぶつけられた方が、それぞれイテテみたいな動作も見せずに、スッと体勢を整えただけだった。争いもしない。獰猛とは?! パドマは、不満に思って、走ってツッコミに行った。
「戦えよ!」
脳天から思いっきり一撃を入れると、首がコロリと転がった。つい癖で、うっかり抜き身の剣で、殴ってしまったのである。周りにいた沢山のヤマアラシは、パドマを見て、他の部屋へ逃げていった。
「逃げんなよ!」
パドマは、ヤマアラシたちを追いかけて走った。
隣の部屋に入ると、右方向から針が飛んできた。タテガミヤマアラシの毛だ。幸いにも、ヤマアラシが目測を誤ったようで、飛んできた時には、パドマはその地点は通り抜けていた。だが、ヤマアラシも向きを変えて、追撃してくる。3万本は、そんなにすぐには使い切らない。
パドマは、ヤマアラシからずっと同じ角度にならないよう走りながら、ヤマアラシと距離を詰めて、首を斬った。
そして、ヤマアラシの足を掴んで、階段まで戻った。
「いったー」
パドマの右足に3本、脇腹に1本、針が刺さっていた。フライパンだけでは防ぎきれず、服の防刃機能と鎖の着込みを突破されてしまったのだ。だから、ひとまず安全地帯に逃げ込んで、手当てすることにしたのだ。
防具を通過されてしまったが、防具を着ていて良かった。多分、傷は深くない。おかげさまで、パドマの力で引き抜くことができたし、針の残骸等も傷口に残らなかったと思う。ボトムスはダブダブなため、足は服を脱がずともむき出しにできる。状態を目で確認し、一応水で流してから、下着の右袖を破いたものをきつく巻き、圧迫止血した。
すると、残る面倒は、脇腹の傷である。これは流石に脱がなければ見えない。夜中だから、誰も来ないとは思うが、来たら嫌だから、脱ぎたくない。だが、着込みの上から縛ったところで、止血ができるとも思えない。
諦めて、上衣と着込みと綿入れを脱いで、下着をめくってみたら問題なさそうなので、左袖を引き裂いて腹回りをぎゅうぎゅうに縛った。そして、綿入れを着直す。本当なら、着込みも着るべきだが、1度脱いで楽を覚えてしまえば、着たくなくなった。持って帰れないので、帰りには着るとして、ひとまず放置する。
血止めが済んだら帰ろうと思うので、まずは、帰り支度をしようと思う。パドマは、ナイフを抜いて投げた。
パドマがフロアからいなくなったら、ヤマアラシがジワジワと戻ってきたので、その1匹にナイフを突き刺したのだ。糸付きナイフが刺さっている限りは、逃げられることはない。パドマは、追いかける必要性を作らずに、次々とヤマアラシを仕留め、階段に撤退をし、血抜きをした。
そうして、作業を終えて、ヤマイタチのリュックに獲物を詰めて帰ろうとして、パドマは、自分の出血が止まっていないことに気付いた。大人しくしていられなかったからだろう。止血のために巻いた布の湿り気が、気持ち悪い。新しい布に変えたいが、衛生面を無視しても、そんなに使える布はない。服を割くにも限界があった。放っておいたら、乾くかなぁ? と期待して、今度こそ大人しく座って休憩することにした。
パドマは、嫌な予感がして、剣を振り抜いた。
「うお、あっぶね!」
パドマの周りには、どこかで見たような男が6人立っていた。うち1人は、転がっていたが、無傷のようだ。
「ちっ、仕損じたか」
パドマは、跳ね飛んで立ち上がると、剣を脇に構える。
「ちょ、寝ボケんのもいい加減にしろよ。ダンジョン内のケンカ厳禁は、あんたが言い出したルールなんだろ!」
「そうだった」
パドマは、ダンジョンマスターの制裁を思い出して、剣を収めた。そして、階段に戻って座り直す。
「つかぬことを伺いますが、ボスは、どうして顔色が悪いのでしょうか。どこか、ケガをされていますね」
パドマの前にルイがヒザをついて、パドマに問いかけた。ルイの顔色も悪い。誤魔化そうと思っていたのに、パドマは観念した。自力で階段を登るのは、とうに嫌になっていた。
「ちょっと皆には見せられないような、すごいトコに穴が空いた。見せられないから、見ないで欲しい」
「見ません。場所だけ教えて頂けますか?」
パドマは、傷の箇所を指でさして、目を閉じた。
ハワードは、上着を脱いでフロアに広げた。ルイは、パドマをその上に寝かせた。ギデオンは、上階に向け、走り出した。
空も雲も家も道路も、世界のすべてがだいだい色に包まれる、その時間が、パドマは何より嫌いだった。覚めるような青空は好き。白い曇天も、嫌いじゃない。月の明るい空は好き。でも、だいだい色は嫌い。遠くから、群青が迫ってくるのが、何よりも嫌い。夕方は、大好きなお兄ちゃんと、バイバイする時間だった。
「お兄ちゃん、もっとお話しして。おうちに帰らないで」
お兄ちゃんは、いつでも優しかった。おなかがすいたと言えば、干し肉をくれるし、楽しいお話しをいっぱいしてくれる。文字を教えてくれたのも、お兄ちゃんだった。いじめっ子に囲まれたら、絶対に助けに来てくれる。知らないおじさんに、お酒をもらった時は、ダメだよ、と優しくおじさんを絞め落としていた。
だけど、夕方になると、パドマの話を聞いてくれなくなるのだ。家に帰らないとダメだと言う意見を、どうしても変えてはもらえない。家の前まで連れて行ってくれて、また会いましょうと言って去っていく。
家に帰れば、優しいお兄ちゃんがいる。いつでも優しいお兄ちゃんだ。このお兄ちゃんは、夕方でも朝でも昼でも夜でも優しい。優しいだけのお兄ちゃんだ。今日も、優しいお兄ちゃんは優しかった。一緒にパンを食べて、寝た。
「お兄ちゃん、大好き」
「イィやぁだぁ!! 離せええ!!!」
パドマが、目を覚ますと、男が上に乗っていた。最悪の目覚めだ。何がなんだかわからないが、必死に腕を振り回した。足が動かないならば、腕を動かし続けるしかない。パドマの腕は、空をきるばかりだが、他にできることがない。
「ひでぇ」
左から可愛い声が聞こえた。思わず、そちらを向くと、両腕をつかまれた。
「テッド? と、し、しっしょーさん?」
パドマは、ヴァーノンと1つ布団に寝たハズなのに、白蓮華のパドマ兄弟お泊まりルームの布団に寝ていた。前後の記憶が繋がらない。この部屋にテッドがいるのは、よくあることだった。パドマがこの部屋に泊まると、高確率でパドマを起こしにくるのはテッドだった。すると、今日は、テッドが起こしに来て、あんまり起きないから、師匠が助っ人に来たのだろうか、と考える。ならば、騒ぐような事態ではない。パドマはそう考えて、冷静になった。
「テッド、おはよー。師匠さんも、おはよー」
師匠に腕をつかまれている間抜けな状態のままで、ひとまず正気になったことをアピールすべく、パドマは挨拶をした。
「やたらと甘甘な声で、大好きとか抱きついといて、離せはひどいぞ」
「しょうがないじゃん。寝ぼけて人間違えしたんだもん」
「兄ちゃんだと思ったのか」
「違うよ。テッドだよ」
「うそつけ」
師匠は、ため息を吐くと、パドマの腕を持ったまま、パドマの右脇腹を撫で回した。そこまででも嫌だったが、寝巻きをむかれた。
「!! やめろ!」
パドマは、また暴れようと試みたが、すでに腕は掴まれている。師匠のバカ力には勝てない。下着1枚でも、肌は一切見えないのだが、だからと言って、このままこんな状態ではいられない。
「諦めたらいいのに。それ着せたのも、師匠さんだし、今更だろ。あんまり騒ぐと、バカ男が部屋に乱入してくるかもしれない。静かにしろよ。そっちの方がダメだろ」
「やだやだやだやだ! やめて!!」
パドマは、下着もむかれてしまったが、まだ腹掛けが残っている。その右腹辺りをテッドがめくった。
「すげぇ。キレイに治ってんじゃん。師匠さん、完全にふさがったよ。跡も残ってない。しまっていいよ」
テッドがそう言うと、師匠は、パドマにばふっと布団を被せて手を離した。そんな状態ではキレイに服を着れないのだが、パドマは急いで服の前をかき合わせた。その間に、足がむかれていた。ここまで来て、ようやくパドマの記憶が繋がったので、もう暴れるのは、やめた。
「おお、足の穴もふさがった。師匠さん、ありがとう」
テッドがそう言うと、師匠は部屋を出て行った。
布団から顔を出し、師匠がいなくなったのを確認すると、パドマは、布団から出て、服を着直した。着直すと言っても、寝巻きだが。布団から出て着直してみると、腹掛けから何から、記憶にない色だった。師匠が着せたと言うなら、もう泣くしかない。泣いても、今更、どうにもならないが。
テッドの言う通り、今更だ。ここ数年、下着を含め一式服を用意してもらっていた。その前は、ヴァーノンからもらった物を着ていたので、似たようなものだと思って気にしていなかったが、よく考えたら、そこから既におかしかったのではないか、と気がついた。今更だ!
「弟との大事な約束を破るから、悪いんだ。死にかけてたんだぞ。服を脱がされるくらいなんだってんだ。俺はずっと見てたけど、変なことなんて、されてなかったからな。すげぇ、魔法みたいな裏技で治してくれたんだぞ。感謝しろよ。
それより、バカヤロウたちの方がわかんねーからな。何されてても知らねぇぞ」
「大丈夫だよ。何もないよ。わかるから、大丈夫」
「わかるのか?」
「うん。自分でも多少はわかるし、お兄ちゃんが怒ってなかったから、絶対ない。バイバイは悲しかったけど」
「なんの話だよ」
パドマとテッドが話していたら、バタン! と、すごい音を鳴らして、ドアが開けられた。突然のことに、パドマとテッドは、ビクッと反応するほど驚いたのだが、部屋に入ってきたのは、師匠だった。むっつりとした顔で、膳を抱えて歩いてくる。師匠は、パドマを見て睨んでいた。
「え? 何? あ、ごめんなさい」
寝巻きを直すために立っていたことに気付いて、パドマは、布団に座った。すると、師匠も座って、パドマの横に膳を置いた。
「師匠さん、それ、俺たちの分もある? 食べてきていい?」
師匠の不機嫌を察したのだろう。テッドは速やかに部屋から出て行った。
「ああぁー、半分こで食べたらいいのにー」
1人残されたパドマは、追い詰められていた。
師匠が持ってきた膳には、いつかどこかで見た料理が乗っていた。海藻サラダ、貝入り野菜スープ、ツナの血合い炒め、レバーの唐揚げ、ポンデケージョ、きなこケーキ、赤紫蘇ジュース、、、。出血すると食べさせられるメニューだ。師匠手製のごはんはとても美味しいのだが、また際限なく食べさせられるのであれば、歓迎できない事態だった。
次回、ヤマアラシ階で、なんで倒れていたのか。