120.ヤキモチ
何かをぷーぷー言っているイレを適当にあしらって、「さようなら」して、パドマは家に戻った。部屋に戻って、兄に愚痴ろうと、怒りをふつふつと溜め込んでいたのだが、扉を開けると幸せそうに笑うヴァーノンがいたので、言葉が引っ込んだ。
師匠がベッドサイドに腰掛けて、ヴァーノンの口に匙を入れていた。師匠の顔はほんのりと色付いていたし、ヴァーノンの目も蕩けていた。パドマが見たのは、一瞬だけだ。パドマが姿を現してしまったから。すぐに、2人の視線は、パドマにうつった。
「おかえり。朝ごはんは、ちゃんと食べたか?」
「うん。魚とかエビとか、いっぱい食べた。美味しかったよ」
「そうか。それは良かったな。俺の世話は、師匠さんにお願いすることにした。こちらは気にしなくていいからな。但し、1人でダンジョンに行くのはやめておけよ。師匠さんが、イレさんに引率を頼んだと言っていたから、、、大丈夫か?」
ヴァーノンが心配そうな顔をパドマに向けている。ヴァーノンに、心の動揺を見透かされた気がして、パドマは慌てて逃げ出した。
「うん。大丈夫。わかった。じゃあ、出かけてくるね」
パドマは、2人を邪魔しないように、部屋を出た。
今日は、ずっとヴァーノンの世話をするつもりでいた。だから、パドマの1日の予定が、何もなくなってしまった。白蓮華に行ってもいいし、ダンジョンに行ってもいいのだが、そんな気分にはなれなかった。タランテラの所為で、未だに身体がギシギシいうからだ。
うじうじと歩き、城壁を越え、なつかしき森に着いた。そのままズンズンと真っ直ぐ進んでいく。滅多に来なくなってしまったが、植生はほぼ変わっていなかった。柿をもいで、栗を拾い、即席スコップを作り、穴を掘った。何も考えたくない時は、コツコツと作業をするに限る。稀にイノシシ型魔獣や大型猫型魔獣や猿型魔獣の襲撃も受けたが、剣と投げナイフを持っていたから、問題なかった。森の魔獣は、スピードが大したことがないし、自らの命を大切にする。イノシシ型魔獣だけは引かないので倒してしまったが、他の魔獣は、ナイフで浅く傷付けると逃げて行った。
しばらくすると、パドマの荷物はいっぱいになった。いっぱいになりすぎて、持ち帰れない。イノシシ型魔獣が重すぎるのが敗因だ。だが、イノシシは、狩りたくて狩ったのではない。勝手に向こうからやってくるのだ。どうにもならなかったとはいえ、命を奪ってしまったので、ダンジョンのように捨てる気になれず持って行こうと思ったのだが、重すぎた。城壁の門には、閉門時間とかいうのがあった気がする。間に合わなかったら、何人に怒られるかなぁ? と思ったが、急ぐ気も起きなかった。間に合わなければ、間に合わないで別にいいじゃん、と思った。お腹が減っても食べ切れないくらいに、食材は持っていた。だから、遠慮なく休憩することにした。
パドマは、街道脇で堂々と昼寝を始めた記憶があるのに、目を覚ますと箱の中にいた。そこまでは良いのだが、誰かに抱かれている。不思議と恐怖は感じないが、ピンチだろう。こんな状況は、いくらか覚えがあるが、いつだってロクでもなかった。ヴァーノンの言いつけを守らなかった罰だ。今はヴァーノンの助けを期待できないのだから、自力で脱出しなければならない。まずは、意識が戻ったのを気取られぬように気をつけて、武器を探さねばならない。きっと、この袖の中には、何かが入っているだろうから。
そこまで考えて、やっとパドマは気付いた。パドマを抱いているのは、師匠だ。パドマを抱いて、メソメソと泣いている。また葬式の主役になってしまったような気分だった。師匠が見つけて連れ帰ってくれたのかなぁと思いかけたが、それにしては、ここが何処かわからないし、もう1人いる人物の説明がつかない。誰だったか、ヴァーノンの友だちだ。見た目だけは、綺羅星ペンギンにいそうなくらいかっちりとしたいい身体つきに育っていたが、少々どつき倒しても怒らないいい人に似ている気がする。亜種かもしれないが、恐らく育った本人だろう。
「お目覚めになりましたか。お身体の調子は如何でしょうか。何もなければ、お茶をご用意致します」
いい人がそう言うと、部屋の隅に立っていた女性が動き出した。パドマから少し離れたところにあるテーブルセットのまわりで、お茶の準備をしている。
周囲がどう動こうと、師匠がこのままである限り、パドマはどうすることもできない。師匠の脇腹をつんつんつつくと、師匠はがばりと顔をあげた。顔がドロドロで、いつもほどは可愛くなかった。
「し、心配させちゃった、んだよね? ごめんね」
パドマがそう言うと、師匠はぶんぶんと首を横に振った。そして、パドマを膝に座らせると、懐中から蝋板を出した。師匠が文字を書く間、パドマは床に逃げようと試みたのだが、がっちりホールドされてしまい、それは叶わなかった。
「『パドマに世話を焼かせても、大して役に立たない上に遊びに行けなくて可哀想だから、仲良しのフリをした。ごめんね』?」
パドマは、師匠の書いた文字を読んで、フリーズした。パドマもわかっていた。ヴァーノンの看護において、パドマが手伝えることは、ほぼない。パドマが力がない故に、ヴァーノンを支えることはできないし、世話を焼かれることをヴァーノンが嫌がるからだ。何かのついでにまとめてやっておいたみたいなことでも、ヴァーノンは嫌がる。妹の世話をするのは大好きなのに、逆は拒む困った性分なのである。だから、師匠に看護を頼んだのだろう。もしかしたら、見かねた師匠が言い出したのかもしれない。そして、パドマの入る隙をなくすために、仲良く振る舞っていたのだ。師匠の外見が可愛くなければ、変な誤解はしなかったのに。
師匠と、そして恐らくヴァーノンは、正確に今のパドマの心情を察している。パドマは、恥ずかしさに爆発してしまいたい気持ちになった。ただむくれて家を出ただけではなく、心配をかけた上に、師匠に迎えに来させては、ヴァーノンは置き去りにされているのだろう。最悪なことをした。この上、帰りが遅れれば、ヴァーノンまで駆けつけてくる可能性がある。帰らなければならない。光よりも速く! パドマは、じたじたと暴れ出した。
「帰ろう。今すぐ帰ろう」
パドマを抱えて師匠が立ち上がると、カーティスが部屋に入ってきた。
「失礼致します」
何しに来たのかわからないが、師匠もパドマも、それを気にする性質も気持ちも持ち合わせていない。
「助けてくれて、ありがとう。ごめんなさい。ちょっと緊急事態の発生を止めてくるから、話はまた今度!」
カーティスが追っても、師匠の足には追いつけない。パドマは、そのまま帰宅した。
パドマが部屋に戻ると、ヴァーノンはまだ寝ていた。まだ、というのは、師匠がベッドと共にぐるぐる巻きにしたロープが破られていなかった、という意味だ。ヴァーノンなりには暴れた後だったので、ケガが悪化した可能性はある。
パドマは、パドマができる仕事を見つけた。横のベッドに寝転がって、ダラダラする仕事だ。パドマがその仕事をしていれば、ヴァーノンは心置きなく静養できる。どうしようもない兄だなぁ、と思った。
パドマは、森で拾ってきた収穫物をヴァーノンに見せびらかしながら、師匠と一緒に下処理をした。イノシシは、いつの間にかいなくなっていたが、しょうがないよね、と諦めた。
次の日、執事おじさんのところに遊びに行くだけだから、大丈夫だからね、とヴァーノンに念押しをして、パドマは紅蓮華に顔を出した。うっかり顔を出すと、セットでイヴォンが付いてくるので鬼門にしていたのだが、最近はあまり見なくなった。イギーの仕事を、順調に押し付けられてるのかもしれない。
「執事おじさんいる?」
門近くにいるおじさんに話しかけると、いつもの応接室に通された。いつかヴァーノンとイレと来た部屋だ。いつの間にか、入り口に星マークが付けられていたが、パドマの気の所為だろう。
門番から交代した接客係から、昨日の顛末を聞きながら、お茶をいただいた。
パドマは、城壁外の街道脇で昼寝をしていたのだが、たまたま通りかかった紅蓮華の馬車が拾ってくれたそうだ。背負っていたリュックと本人は紅蓮華に連れて来て、イノシシは百獣の夕星に運ばれたらしい。馬車に乗せられても全く起きないとか、恥ずかしい。その後、欠勤中のヴァーノンに連絡を入れて、師匠が迎えに来て、抱きしめられる痛みで起きたのだ。肋骨骨折せずに済んで、良かった。パドマは、エビ神様に感謝した。
お茶を一杯飲み終えたところで、カーティスが現れた。挨拶を交わすところを遮って、パドマはカーティスのところまで歩み寄り、布袋を差し出した。
「ちょっと昼寝してただけだったんだけど、助けてくれて感謝する」
「あのような場所で、昼寝は感心致しませんね。こちらは頂いてよろしいのですか?」
「うん。ウチに用事って、これでしょ?」
パドマが持ってきた袋には、トリュフが入っている。採ってきた中でもキレイな物しか持って来なかったから、大した量ではないのだが、お礼のつもりだ。
「いえ、これには気付きませんでした。セープをお持ちかと思ったのです。ですが、トリュフとは、またしてやられましたね。素晴らしい」
「マジか。そっか。袋を開けてないなら、気づかなかったのか」
セープは、とても香り高いキノコの名前だ。軸が太く食べ応えのあるキノコで、昔はよくもいで焼いてもらって食べていた。高級キノコらしく、街で暮らすようになったら、あまり食べる機会はなくなった。今なら買おうと思えば買えない値段でもないのだが、ただで拾って食べていた物を買う気になれなかったのが、主な原因である。
焼かねば大した香りもしないのだが、気付く人は気付く。それに比べたら、断然トリュフは匂わない。自分が匂うから、忘れていた。
「キノコ取りが、お得意なのですね?」
「採るのは苦手。それは、お兄ちゃんの領分だったから。昨日初めてやってみたけど、何個も失敗したよ」
「採るのは苦手? すると、パドマ様がお得意なのは、探すことでしょうか」
「そう。犬代わりにお兄ちゃんがウチを連れて歩いて、キノコを採るの」
パドマは、プイッと横をむいた。言いたくないことだったようだ。カーティスは勿論、ブタも優秀らしいですよ、などとは言わない。
「ウチが探せるのは、マローネン、セープ、フィファリンゲ、パラソール、トリュフだけ。それにしたって、当たりかどうかは、そっちで調べて欲しい」
「それは勿論で御座います。キノコ狩りに協力して下さると考えて、よろしいのでしょうか」
「うん。但し、夕食までには帰ること、森を荒らさないこと、乱獲しないこと、とる人間を用意すること、魔獣退治はそっち持ち、あとキノコが間違ってても怒らない。それは守って欲しい」
「承知致しました。充分で御座います」
カーティスは、満面の笑みを浮かべた。
紅蓮華では、イギーの父を籠絡するよりも、カーティスと仲良くする方が、パドマの利益率が上がる。イギー父は、イギー可愛さに暴走することがあるが、それ以外は、まともな経営者だからだ。それに比べ、カーティスは、実利があれば、薄暗いことでも寛容である、どの季節でも行えることではないので、この機会に恩を売っておこうと思った。
師匠は自分のごはんを優先したので、やっとヴァーノンの朝ごはんの時間になったのです。
次回、きのこ狩り。