108.多足類
パドマは、復讐を誓った。そのために、今日は46階層に行く。ミイデラゴミムシを倒して、臭くなってやるのだ! 臭くなって、師匠とイレに嫌がらせをしてやると、心に決めたのだ。師匠とイレは、嫌がらせをされている最中しか臭くないが、自分はずっと臭いことだけが唯一の懸念なのだが、尊い犠牲だ。やむを得ない。
臭い以外の問題は、対ヒクイドリ用の目を出さない帽子をかぶれば、なんとかなるのではないかと期待している。別に顔を火傷しても変色しても、どうでもいいのだから、突っ込めばいいのだ。失明さえ免ればそれで良い。皮膚が茶色くなろうと、どうでもいい。
そういうつもりで来たのだが、46階層に、ミイデラゴミムシはいなかった。一緒にいた亜種もいない。階段を繋ぐ通路だけでなく、誰も行かないような部屋を覗いてみても、いない。こんなことは、初めてだった。ダンジョンモンスターを全滅させて遊ぶような人間は、パドマくらいしかいないと思っていたのだが、他にもストレス解消でダンジョン内で無駄に暴れるような人がいたらしい。
諦めきれず、あちこち覗いたのだが、1匹もいなかった。不思議だ。
「まぁた、全滅させて遊んだの?」
と、イレはパドマの仕業だと思っているので、犯人ではない。ゴミムシは売れないこともないのだが、単価はそれほど高くないし、40階以上の階段の上り下りは大変だ。個人的に利用するとして、そんなに沢山はいらないと思うし、ガス攻撃があるから、絶滅遊びにも向いていないと思っていた。相手にすれば、よりストレスを溜めそうだ。
変だなぁと思いながら、47階層に下った。
そして、パドマは、泣き出した。またしても、強敵が現れたのだ。
ゲジゲジが、大量発生している。
正確には、そこにいるのはゲジゲジだけではない。ムカデもいるし、ヤスデもいる。だが、パドマにとっては、どうでも良かった。あんなものは、全部ゲジゲジで、構わない。直視したくないのだ。分類なんてしたくもない。
街の中で見かけるゲジゲジも、森の中で見かけるヤスデも、パドマは大嫌いだった。ヴァーノンがいたら、絶対助けてくれるのに、今はヴァーノンはいない。探索者なら、自分で殺らねばならないのはわかるが、指先サイズのゲジゲジでも嫌いだった。指サイズのゲジゲジも嫌いだった。それが、腕サイズやら、脚サイズやらになって、ゴロゴロいるのだ。アシナシイモリは大量発生してもプールができるだけだったが、ゲジゲジは、壁にも天井にもみっしりといた。足の数を数えたら、1億なんて簡単に突破するくらい、うじゃうじゃウネウネしていた。
「ミミズに、足がうじゃうじゃ生えた!」
パドマは、壁にへばりつき、力一杯叩き始めた。それをイレは、にこにこ見ている。
「ヤスデかな。ミミズに似てるよね。でも、あの子は、毒はないし、比較的マシだと思うよ。斬ると臭くなるけど」
「臭くなるの?」
嫌だと泣いて壁と親しんでいたパドマが、らんらんとした目で、イレを見上げた。
「臭くなるの? 臭くなるの? 臭くなるの?」
近寄るだけで嫌われるので、イレは遠慮してパドマから離れるのに、パドマがずんずん迫って来るので、壁に追い詰められた。パドマが小さすぎてまったく圧はないのだが、壁ドンされて、逃げた方がいいのか、判断に困って師匠を見たが、助けにはならない。師匠は、ゲジゲジを見て、何かを悩んでいる様子だ。
「臭くなるの? 臭くなるの? 臭くなるの?」
「う、うん。ヤスデだけだけど。あのミミズに似てるぷっくりしてるヤツね」
イレは、困って、とりあえず返答をすると、パドマの顔がぱあっと明るくなった。
「ちょっと行ってくる!」
「え?」
ムカデの見た目を嫌がるのは、想定内だった。どうせまた、引き返していくと思っていた。場合によっては、送り返すことも予定していた。なのに、臭いと聞いたパドマは、喜んで行ってしまった。止める間もなく、突撃して行ってしまった。臭いって、嫌なことじゃないの? 臭いのが好きなの? またイレは、パドマのことが理解できずに呆然と、その活躍を見守った。
ムカデは、沢山ある足をカサカサと動かし、部屋中を走り回っていた。腹が減れば、エサはそこら中に転がっていた。いつでもいくらでも食べ放題ができるほどに転がっている。だが、ムカデも彼らから見れば、エサの1つに過ぎない。食っても、食われても、世界は何も変わらない。食っても満たされることはなく、食われたらまた新しく生まれ出でるだけだった。痛みも苦痛も何もなく、喜びを感じることもない。ただ食って食われるだけの日常だ。
人に踏まれて死ぬこともあった。だが、特に変わりはない。人に踏まれて死んで、また誰かに食われる。食べる側もしたことがあったし、誰にも食われず、ダンジョンに食われていくのを見たこともある。そこに大した違いはない。どうせまた生まれてくるのだ。ムカデは、永遠にムカデだ。
生きている間は、ずっと走り回っている。何か光る物が見えたら、捕らえてかじりつく。毒を入れて、ジワジワと弱らせて、食べる。美味しくも、不味くもない。いつもの味だ。満たされることもなく、大抵は叩き潰されて、またムカデとして生まれ変わる。
今日も、走り回っていたら、光るものが来た。手を伸ばしたが、触れる前に胴が2つに別れていた。「ひゃっはー!」という声が聞こえた。ひゃっはー、とは何だろうか。次の生で、解明したいと思う。
ゲジゲジは、壁にくっついて、ムカデを見ていた。ムカデは、歩くのが好きなようだが、何が楽しいのだろうか。休む時は隠れてじっとしているのだから、ずっとじっとしている方が、経済的だ。食料は、どこへ行かずとも沢山ある。食われたくないのであっても、同胞はどこに行っても溢れている。意味がない。どうせ食われたところで、またゲジゲジになる。実に無駄な運動だ。運動など、光る物が来た時だけでいい。ヤツらが近寄ってきたところで、一気に飛びついて、毒アゴをくらわせる。すると、たまに動かなくなるヤツも出る。だが、成功しても、大体真っ二つにされる。
今日も、飛んだところで半分になった。身体を切り離して逃げることもできなかった。実に、くだらぬ生だ。次こそは、ムカデのような短い足に生まれ変わらないだろうか。
ヤスデは、何をする気も起きず、ただ転がっていた。ここには、食べる物は何もなく、ただひたすら食べられて、食べられる同胞を見るだけの毎日だ。とてもつまらない。だが、食べる物があるムカデもゲジゲジも、つまらなそうだった。ムカデもゲジゲジも、食べられる時は、食べられる。ヤスデと、変わりないのだろう。
今日は、光るものがやってきて、ヤスデを踏み付けて行った。光るものが、ヤスデを食むことはない。光るものは、ヤスデを切るか、潰すだけだ。何をしてもしなくても、それは変わらない。罪がなくとも、死なねばならない。それが理であるから、今日も死ぬ。そして、明日も明後日も、ヤスデはヤスデであり続ける。
パドマは部屋を大体一掃すると、階段に戻ってきた。そして、動かない師匠の袖に手を差し入れて、何かを探し始めた。
師匠が抱きつけば、怖い嫌だと暴れる割に、寄りかかってみかんを食べたり、背中で昼寝をしてみたり、仲良しじゃないか、とイレは思う。師匠が抱きついたところで、嫌がってはいるものの、イレが触った時のような拒否反応は、体には出ていないようだ。イレの方が、パドマに気を遣って生きているのに、師匠はズルい。
イレが、師匠とパドマを観察していたら、パドマがイレに近付いてきた。斜め下を見て、何かを言いたいような、言えないような微妙な顔をしている。とても可愛らしかった。
「イレさん、あのね。お願いがあるんだけど」
イレは、パドマを見下ろした。頭がくらくらしてきた。これは、良くない流れだ。絶対に、ロクでもないことを言われる。間違いない。
「これに、あれを入れて欲しいの」
パドマは、イレに巨大リュックを差し出して、ゲジゲジを指差した。
「ああ、なるほどね。うん。そんなことじゃないか、と思ってたよ」
「ほら、女の子って、ゲジゲジ触りたくないじゃん? 持って帰りたいんだけど、袋に入れられないから、助けて」
頼んですぐ動かないイレが、気に入らないようだ。リュックを腹に押し付け、腕をぐいぐい引っ張り出したが、パドマの手周辺には、異変が起きていた。自分から触るという事象が同じでも、結果は地味に違う。イレは、それを見て、嘆息した。
「男の子もゲジゲジに触りたくないし、女の子はゲジゲジを持って帰りたがらないと思う」
イレが、そう言うと、パドマは萎れて、師匠の元に戻った。そして、師匠の顔を見ると、まっすぐ部屋に降りて、ゲジゲジに剣を突き刺し、悲鳴をあげながら、リュックに仕舞い始めた。師匠に頼むのは無駄だなと思っても、どうしてもゲジゲジを持って帰りたいらしい。
「そんなのを持って帰って、どうするの? 高値はつかないよね」
「だって。お兄ちゃん、を、助けるの。ひぃい。可哀想だから」
「お兄ちゃんが、ゲジゲジを欲しがってるの? 違うよね。あのお兄ちゃんは、パドマにそんなことをさせないよね?」
「いつもはお兄ちゃんが、ゲジゲジを退治してくれるの。お兄ちゃんが、ウチじゃない誰かと結婚したら、もうゲジゲジを退治してもらえなくなるの。だから、ゲジゲジ退治が自分でできないなら、お兄ちゃんと結婚しなさいって、言われたの!」
「ええっ? 一生、ゲジゲジを退治してやるから、自分と結婚しろって言い出したの?」
「お兄ちゃんは、そんなことは言わないよ! お兄ちゃんの周りの酔っ払いだよ。絡まれて、見てられないんだよ。英雄様なんだから、ゲジゲジくらい倒してやったけど、これ以上、関わりにあいたくないの!」
「仕方ないなぁ」
イレは、部屋に入ってゲジゲジ拾いを手伝い始めたら、パドマは、悲鳴をあげて、師匠のところに逃げて行った。パドマが師匠にしがみ付くと、師匠はうっとりとパドマを抱きしめ返している。やはり仲良しだった。
「素手で触るとか、信じられない! もうウチのことを触らないでね!!」
気持ちはわからないではないが、やりたくもないのに手伝ってあげることにしたのに、酷い言われようだった。
「形見の刀を汚すくらいなら、素手でつかむよ」
イレは、リュックをゲジゲジでいっぱいにすると、パドマに泣かれて、リュックを背負わされて、某虫愛好家の家まで運ぶのを手伝わされた。
そして、虫愛好家のおっちゃんに、お前なんかパドマの相手として認めないと、一方的に責められ、年を考えろ、と怒られた。イレは、何も言っていないのに。
パドマは、話が違うとケンカを始めたので、イレは、リュックを下ろして、ダンジョンに戻って行った。
夕方、イレが唄う黄熊亭に顔を出すと、パドマが酒を奢ってくれた。昼間のお礼らしい。
「イレさん、嫌なことをさせて、ごめんね。ありがとう。解決しなかったけど、助かった」
「うん。助けになったのなら、良かったよ」
いつもなら、そこで終わるだろうに、肴は手ずから食べさせてくれるサービス付きだった。端の方にいるペンギンの人も、周囲を取り囲む常連仲間も、すごい目で睨みつけてくるので、やめて欲しいのだが、きっと言ってもパドマは聞いてくれないだろう。
パドマがスプーンに乗せているのは、ムカデだ。そっと置いておいたら、食べる人間がいる気がしないから、逃げ道を作らないために、食べさせてくれるのだろう。きっとペンギンの人でも食べてくれるだろうから、そっちに行けばいいのにな、と思いつつ、イレは口を開けた。
「美味しい?」
聞いてくるパドマは、可愛かった。だが、食べさせてくれるのは、ムカデだ。女性に食べさせてもらうなんて、家族を入れても初めてなのに、嬉しくなかった。
バリバリと噛む歯ごたえは悪くなかったし、苦味の中に旨味もあって、味も悪くない。だが、ムカデだ。
「エールには、合うと思う。お兄さんは、自分で食べれるからさ、あっちの子たちにも食べさせてあげなよ。羨ましそうに見てるから」
「え? イレさん以外に、こんなのを食べれる人がいるの?」
パドマの漏らした言葉により、礼でも何でもないのが確定した。パドマは、カウンターに戻って、ムカデの素揚げの皿を運びだした。美味かろうと、リュック1/3のムカデを1人で食べるのは嫌だ。生贄が増えて良かったと思っていたら、イレは師匠に足を踏まれた。
次回、イヴォン会。