105.身投げ
パドマは、変な緊張感のある会議に出席していた。会議が始まる前から、ずっと絶えずにジロジロ眺め回されているのが、気持ち悪い。人から見られることは、もう慣れていたと思っていた。なのに、背筋のぞわぞわが、まったく止まらない。グラントに抱きついて隠してもらおうか、と思ってしまうくらいに、いたたまれなかった。
昨夜、唄う黄熊亭で、お手伝いをしていたら、ハワードが飲みにやってきた。ただ飲んで帰るだけなら良かったが、明日、イギーの両親と商談をするのでついて来て欲しいと頼まれて、商談内容を聞いた。もうすでに大筋は決まっていて、最後に判を押すだけらしい。付き添うだけで、商談中は意見は言わないことを条件として、付いていくことにしたのだ。
そして、当日、グラントとハワードのおまけとして、イギーの実家の会議室に来た。綺羅星ペンギンを作る時に通った時以来である。まったく部屋は変わっていなかった。
長机が平行に2つ並べられていて、窓側に商家側の人間が座り、廊下側に綺羅星ペンギンの人間が座った。本来なら、パドマは綺羅星ペンギン側に座るべきなのだろうが、グラントから向かって左側にある丸机に師匠と一緒に座っている。みんなの席には飲み物しか置いてないが、パドマの席にはお菓子がいっぱい置いてあった。接待してくれているのだと思われる。
イギーの両親は遅れてくるそうで、代わりにイギーが商家側の代表のイスに座っており、執事おじさんが補佐で立っていた。
基本的には、執事おじさんとグラントの話し合いで進む。たまに難しい言葉があると、ハワードがこっそり補足してくれた。ほとんどは、イギーとパドマに状況を知らせるための議事録の読み合わせのような、聞いていればいいだけの会合だ。パドマと師匠は、部外者面で、お茶とお菓子を楽しんでいた。
で、あるのだが、イギーの隣に座っているお姉さんが、議題に関係なくずーっとパドマを見ているのが、気になって仕方がない。どう考えても、話し合いの途中で、顔が向いている方向がおかしい。
切れ長の瞳にぽってりとしたくちびる、アッシュブロンドの髪を左サイドでまとめている。きっちりと油断のない服を着こなした女性は、パドマも名前だけは知っているイヴォンさんだそうだ。師匠の活躍により、無事イギーとの婚約は済んだそうで、挨拶に来たと説明を受けた。パドマは特に思うところはないのだが、あちらは何か言いたいことでもあるのだろう。睨まれてはいない。だが、師匠とは違う種類の微笑みを浮かべられているのが怖い。
「白蓮華だ」
ただ聞いていればいいだけの会であるのに、イギーは突然、発言した。
「坊ちゃま、主語や述語をきちんと使って下さい。それでは、誰にも伝わりません」
イギーの失態は、執事おじさんの教育不足として扱われるのかもしれない。とても苦々しい表情で注意した。綺羅星ペンギンは、半分、商家の傘下のようなものだから、取り繕わなくても良さそうな物だが、練習台になっているのだろうか。
「託児施設の名だ。何でも星を付けるな。パドマが、迷惑するぞ」
グラントの話では、真珠星という名前だった。パドマは名など、どうでもいいと思う。そんなことより事業内容を詰めた方が有意義だ。決定事項にケチをつけようとして、名前くらいしか理解できなかっただけかもしれないが。
「蓮を冠したいのであれば、紅蓮華を頂きましょう。それならば納得いたしますよ」
グラントは、つまらなそうに応戦したが、イギーは、怒り出した。
「ケンカを売ってやがるのか、あり得ないだろう」
「事業計画案が、ほぼ新星様人気を土台にしている方があり得ません。これだけ威を借りておいて、何故そちらの名を名乗るのですか? 恥ずかしくないのですか?」
「時期が悪い。パドマを守るためだ。俺の婚約者にする気がないなら、もう名は広めない方がいい」
最恐の男グラントに睨まれて引かないとは、イギーも意外とやるなと思いつつ、パドマは、カエル大福をまふまふと食べていた。横では、師匠が持参の梅干しを食べている。おやつに梅干しだと?! と、パドマはツッコミたかったが、イギーとグラントがバチバチしているところに梅干しの話題はないなと思ったので、大人しくしていた。
パドマは、存在を消しているつもりでいるのに、お姉さんに話を振られてしまった。
「決まらないようですから、パドマさんのご意見を伺ったらよろしいのでは?」
「ウチ? いや、ここに呼ばれた理由も正直わかんないし、何も発言する気はないよ」
手を前にかざし、こっちを見るな、と意思表示をしているつもりなのに、給仕を含め、部屋にいる全員がパドマを見ていた。
「パドマさんは、この街を出て、他国へ嫁ぐお気持ちは御座いますか?」
「は?」
蓮の色は、白か紅かという話だと思っていたのに、結婚の話が降ってきた。パドマの存在が目障りだから、外国に嫁いで消えろという牽制なのだろうか。そのくらいうとまれても仕方がない立場なのかもしれないが、まったくパドマの所為じゃないし、勘弁してくれよ、とパドマは思った。
「ふざけんな。姐さんは、どこにも嫁がねぇよ。この年になっても、お兄ちゃんが大好きなんだからな」
「え?」
ハワードが、勝手に返答した。大筋では間違ってはいないが、人聞きが悪すぎる。目が点になっている人もいるし、また変な噂が出回って、ヴァーノンが困るに違いない。パドマは、頭を抱えようとして、師匠に睨まれているのに気付いた。怖い。
「あなたには、聞いていません。パドマさんに伺っているのですよ」
この部屋には、協調性を大切にしようという精神に欠ける人間しかいないらしい。また無駄なバチバチが追加された。イヴォンは、大男に睨まれても平然としていた。パドマは、是非、そのコツを教わりたいものだ、と思った。
「外国でも何処でも、お兄ちゃんが引っ越すなら、ついて行くしか選択肢がないんだけどさ、ウチは嫁に行くのは禁止されてるらしいよ」
「なるほど。至急ヴァーノンを連れ戻せ。奪われたら、終わる。必要なら、客人を何人でも迎え入れろ」
イギーが、命令すると、給仕が1人廊下に出て行って、別の人が給仕に補充された。
「お前をここに呼んだ理由は、守るためだ。今、新星様の誘拐を企む阿呆が、この街に来ている。接触させないように、朝から呼んだ。託児施設の話など、今日でなくても良かったんだがな」
「「なんだと?!」」
グラントとハワードは、知らなかったようだ。2人して、イギーをつかみ上げているが、そんなことをしても意味はないだろう。
「2人とも、手を離して。話が進まないし、2人がウチを守り切れれば問題ないよ」
「かしこまりました」
面構えはまったく畏まっていないのだが、とりあえず、イギーから手を離してくれた。離すと共に、イギーはその場に捨てられ、グラントとハワードは、それぞれパドマの斜め後ろに陣取った。
「この街は、自治都市ですが、隣の街は王国です。ご存知でしょうか」
イギーは、顔面蒼白で役立たずに成り果てたからだろうか、イヴォンが発言した。
「そんなの知らないよ。興味ないし」
師匠を除く部屋の全員が、驚愕の顔で、パドマを見ている。どうやら、一般常識らしい。だが、そんなこともパドマは興味がなかった。
「その王国のとある貴族から、パドマさん宛に求婚依頼が来ております。ヴァーノンさんでは、断れません」
以前、パドマに結婚話が来ているという話は、聞いたことがあった。近所の誰かとか、イギーとか、その辺かなと思っていたら、まさかの外国、まさかの貴族だった。貴族とは、どんな生き物なのか、パドマはよく知らないが、イギー以上に嫁いではいけない存在なのは、なんとなくわかる。
「イギー以上の大バカ野郎だな」
用意されたドレスでも着て、ダンジョンに通うのであれば、なんとかなるかもしれないけれど、貴族の言葉をしゃべり、貴族の仕事をして、貴族らしく暮らすなど、できる訳がないし、やりたくもない。
「そうですね。ヴァーノンさんでは断れないため、街議会でお断りしているのですが、断らせて頂けずに困っております。そういう状況ですので、しばらくは、誘拐に気をつけて頂きたいのです。ないとは思いますが、言葉が通じない御仁なので」
「しばらくって、いつまで?」
「諦めて、お帰り頂くまでです」
なんで、どこの誰とも知れぬ阿呆のために、そこまで気を遣って生きなければならないのか。話を聞けば、自粛して生きるのはパドマだけでなく、ヴァーノンやマスター、ママさんまで巻き込まれるらしい。人質に取られたら、パドマが逆らえなくなるからだ。それは、わからないでもないのだが、そもそもなんでそんなことをしないといけないのか。隣の国の貴族とは、どれほど偉いのか。パドマは、イライラが募って、ぶち切れた。
「よし、死んでこよう」
「姐さん、ふざけんなよ!」
「やかましい。ウチの手下を名乗るなら、ボスの命令には、絶対服従だ。聞けないなら、失せろ」
パドマは、貴族への不満を乗せて、ハワードを睨め付けた。
そういう訳で、パドマは海に身投げすることに決まった。ダンジョンで死んでも地味すぎて誰にも伝わらない気がしたからだ。港街だし、海に落っこちちゃえば良くね? と、パドマが勝手に決めたのだ。賛成する人間は誰もいなかったが、身投げというのは、皆の賛同を得てするものでもないので、問題はない。
街議会に顔を出し、最期に阿呆の顔を拝んでやろうと思ったが、来ていたのは、名代とかいうよくわからないおっさんだった。40歳前後ではないかと思われる中肉中背のおっさんに、グラント級の怖い顔をした男が2人ついていた。阿呆話に加担しているので、超絶阿呆か、立場上断れない人のどちらかだろう。
「おお、麗しの姫君よ。わたしの話を是非、お聞きください。街議会の阿呆どもの話など、聞く必要は御座いません。姫の幸せは、我らとともにあります」
求婚者ではないおっさんに、麗しの姫君呼ばわりされる理由がわからずに、パドマは街議会の議員として居合わせているイギーの父を見たが、右手の人指し指をくるくると回すだけだった。仕方がないので、パドマは、
「私には、心に決めた人がいるのです。その方以外には嫁ぎません!」
と、台本通りの台詞を怒鳴り、逃げ出した。おっさんだけならともかく、後ろの男に勝てる気がしない。待合室その他にも、まだまだおっさんの手駒が隠れているのだから、バカ正直にかけっこ勝負はできない。パドマは、部屋の真ん中を突っ切り、窓から飛び降りた。
街議会の会議室は3階だった。だから、飛び降りて追いかけてくる人間はいない。いても、ケガをして追いかけられなくなるだろう。パドマは、グラントとハワードが用意した緩衝材のおかげで無傷で落ちることに成功した。パドマは、フライパンを受け取ると、そのまま海に向かって走った。
ダンジョン側の海は、港側と違い、天然の岩棚になっている。パドマは、柵を乗り越えて崖の端に陣取った。フライパンを両手に持って立っていると、ギャラリーが沢山集まった。
そのままじっと立っていると、追手が来たのが見えた。変なおっさんの後ろにいた男が柵の前に来たところで、
「来世では、共にいられますように!」
と叫んで、海に飛び込んだ。崖の途中で引っかかったら、とても格好悪いので、思いっきり飛んだ。海にさえ落ちてしまえば、重りを積んだパドマが浮かばないのは体験済みだ。だから、海の水面に触れたところで、パドマの逃げ切りが確約される、といいなと思っている。
お兄ちゃんに、これ以上の迷惑が降りかかりませんように。そう願って、パドマは沈んでいった。
次回、葬式。