100.タランテラの真実
唄う黄熊亭のいつものお手伝い時間を終えて、パドマはいそいそと外に出た。ダンジョンに行こうと、ヤマイタチを抱いて行く。るんるんと、スキップしながら出かけたのだが、ダンジョンセンターが視界に入ったところで足が止まった。約束をした記憶は一切ないのに、いなくていい人が大量発生していた。
師匠とイレと真珠部隊以外にも、綺羅星ペンギンメンバーが、ざっと30人はいる。いっぱい居過ぎて、他の関係ない人が混ざっているかもしれない有様だ。パドマは、関わり合いにならないように、遠回りをしてこそこそと入場したが、気付かない人間などいなかった。口々にあれやこれや言いながら、ついてくる。夜中なのに、やかましい。
「姐さーん。なんで置いてくんだよー」
「酔っ払いは、ダンジョン禁止。帰れ! 飲んでないヤツは、酔っ払いを連れ帰れ!!」
パドマは、ヤマイタチを下ろしてリュックを背負わせると、師匠の背中に飛び乗った。
「師匠さん、猛ダッシュ! あいつら振り切って!!」
師匠は、今までの超ダッシュがダッシュではなかったかのような、すさまじい速さで走り出した。たいしてつかまっていなかったパドマは落ちそうになって、慌ててつかまった。落ちてしまったら、きっとそれだけで、またベッドに縛りつけられるようなケガをするに違いない。
師匠が止まったのは、44階層のタランチュラ前だった。
「師匠さん、速すぎるよ。気持ち悪い」
すっかり乗り物酔いをしたパドマは、師匠の背中からずりずり降りると、階段に座った。
「ひぃっ」
酔いを覚そうと休憩をしようとしたら、とても見たくない光景が目の前で繰り広げられていた。タランチュラが、タランチュラを食べている。共食いだ。ダンジョンでは、わりと頻繁に見るよくあることではあるが、見ていて気持ちが良かったことはない。今回もなかなか目を逸らしたくなる状態だった。もぐもぐ食べる系も好きではないが、ちゅーちゅー吸う系は、もっと苦手だと思った。後ろからついて来たイレが蹴飛ばしたので、それほど長くは見ないで済んだが。
「タランチュラの毒が、身体を溶かすようなのだったら、踊ったところで意味があるのかな」
「あれは毒じゃなくて、消化液の仕業だよ。でも魔法さえ発動すれば、溶けた部分も戻るんだよ。毒で麻痺した身体で踊れる踊りじゃない、とは思うけどね」
イレは、師匠の走りについて来れないヤマイタチを持って来てくれたらしい。パドマの横に置いてくれた。
「そっかー。それは。そっかぁ」
魔法の力はすごいと思うが、発動条件が狭き門のようだ。一生懸命練習はしたが、活躍することはなさそうだ。パドマは、辛かった練習を思い出して、遠い目になった。
「それより、パドマは師匠に触れるようになったんだね」
「触れるようにはなってないよ。なんでかわからないけど、おんぶ限定で大丈夫になった」
「おんぶ限定?」
「ただし、調子に乗って長いこと乗っかってると、神秘の力で寝ちゃう」
パドマの最新の悩みである。師匠タクシーを利用すれば、ぼろ儲けできてしまう。なるほど、だから、この人たち金持ちなのか、とパドマは納得したのだが、師匠のお許しが出ても、パドマには向いていないと判明した。そんなにべったりと頼りたくもないのだが、少し残念だった。
「ああ、それで」
「それで?」
「さっきいっぱいいた子たちがね、パドマの寝顔が可愛すぎるって話してて、なんでそんな話になってるのか、不思議に思ってた」
「もうぜっっったいに寝ない!」
パドマは、拳を震わせて激昂した。
ちょっと見てみたいなぁ、と思っていたイレは、残念に思いつつも、何処でも寝てしまう娘もどうかと思うので、これで良かったのだろう、と思い直した。
「カマキリより速いパドマなら大丈夫だと思うけど、タランチュラも相当速いから注意してね」
「え? カマキリって、速いの?」
「速いよ。カミツキガメより、タカより速いよ」
「そうなんだ。知らなかった」
ダンジョンに通い始めた当初は、顔にびびっていたし、確かに色々気をつけていた気がする。あのカマには絶対に当たってはダメだと思っていた。だが、今はカマに当たってもケガする程度だ、気にするな、の精神で雑に相手にしている。勝負には勝っていると思うが、スピードで勝っているかは、謎だ。今のパドマは金属鎧以上の重装備をしているのが普通なので、特攻スタイルに磨きがかかっている。素肌に食らわなければ、やられてもケガをしないし、素肌が出ている部分など、ほぼ顔だけだ。首をやられたら困るが、顔など傷付いてしまえばいい。以前の傷は、いつの間にか師匠に治されていて、がっかりしたものだった。
「じゃあ、ちゃんと服を着た方がいいね」
1人で走ろうと思っていたパドマは軽装で来ていたので、ヤマイタチのリュックから重い服を出して、重ね着した。
そんなことをしている間に師匠は、先程イレが蹴飛ばしたタランチュラを剣で刺して持っていた。それをパドマから見て前方のよく見えるタランチュラの前に差し出した。
タランチュラは、基本的にどれも動かずじっとしている蜘蛛だ。獲物を狙っている時も、食べている時も、さして動かない。移動する時は、のしのし歩いているが、基本は点在して動かない。だが、師匠にタランチュラをあてがわれたタランチュラは、素早い動きで抱きついた。抱きついているところを見たから、抱きついたんだろうな、と判断しただけで、速すぎてどう動いたかは見えなかった。一瞬の早技だ。抱きついた後は、まったく動かなかった。何もしていないように見えるだけで、かじりついているのではないか、と思われるが。
その状態になったところで、師匠は、剣を振ってタランチュラを吹き飛ばした。タランチュラは、壁にぶつかって下に落ちた。あまり動かない蜘蛛だから、生死は不明だが、ひっくり返ったままなので、死んだか気絶したか、どちらかではないかと思う。
「速いねー。あれはちょっと帰りたくなるね」
「ちなみに、後ろからやっても、あんまり変わらないよ」
「くっ。ウチだけの得意芸を取るな!」
パドマは階段の上からナイフを投げた。タランチュラの頭を狙ったのだが、腹に刺さってしまった。深く突き刺さってしまったようで、引っ張ってもナイフが戻って来なかった。
「なんてこった」
糸を切って、ナイフを諦めるか、切り刻んでナイフを取り出すかしないといけなくなった。パドマは後者を選んで、剣を抜いた。青眼に構えたまま、ナイフを刺したタランチュラに寄って行く。
いつ襲われたのか、わからなかった。パドマは、気が付いたら、タランチュラに抱かれていた。目の前に口があった。とても恐ろしく、気味が悪かった。
「ひっ」
師匠によって、タランチュラの足が切られると、タランチュラの身体は、ポロリと落ちた。前に剣を構えていたおかげで、剣がタランチュラに突き刺さり、パドマは齧られずに済んだし、恐らくそれが相手に致命傷を与えている。すぐに解放はされたが、ちょっとした恐怖体験だった。パドマは、その場で膝をつき、放心していると、頭からだくだくと水をかけられた。
パドマの頭の上に、師匠の水袋が掲げられているのだが、バケツをひっくり返したような水量が、いつまでも出てきた。絶対にあり得ない現象なのだが、誰も何も咎めなかった。
パドマが動かないことをいいことに、師匠は背中から引き裂いて、パドマの服を1枚剥いで捨てた。前方に回り、パドマの顔や手の様子を観察する。
「ええと、助けてくれて、ありがとう。何してるのかな?」
パドマにくっついていた個体以外のタランチュラを仕留めて、隣の部屋に蹴り飛ばして掃除をしていたイレが、残念な顔をした。
「タランチュラの毒は、牙から注入されるのが主だけど、お腹の毛も危ないんだ。その人の耐性によるけど、超かゆくなるよ。タランテラを踊っておいた方が、無難だと思う」
「マジか!」
ディナーショーの最初から最後まで、この踊りだけでもってしまうのではないかと思うくらい長い踊りだ。踊るために習ったのではあるが、休みなく全力で踊り続けるのはめちゃくちゃシンドイので、できたら2度と踊りたくないと思っていた。数日かゆみと戦うのであれば、ひと踊りした方がいいかもしれないが、とても気乗りはしない。
パドマがゲンナリしていると、師匠がパドマの後ろに回り、抱きしめてきた。
「はーなせー!!」
パドマは、全力で振り解こうと暴れ出したところで、天井から金の光が降ってきた。以前、見た記憶のある解毒魔法が発動したに違いない。
「え? なんで???」
パドマは、真っ青になった。悪い予感は、的中したのだ。あの踊りなんて実はどうでもよく、イレが最後にしたキスが魔法の発動条件だったに違いない。師匠に抱きつかれた直後、パドマの頭に何かが触れた。確認はしたくないが、師匠がやってくれたに違いない。
用が済んだ途端、解放されていたパドマは、また床に崩れ落ちた。
「タランチュラ怖い。タランチュラ嫌い」
パドマは、涙が止まらなくなった。
パドマが落ち込んでいるのに、師匠は、パドマを放ったらかしにして、タランチュラからナイフを引き抜いて洗浄していた。
パドマは、全身ずぶ濡れになっている。タランチュラを1匹仕留める度に、あの始末をされるのは、耐えられない。そのため、自ら即時撤退を申し出た。
「イレさん、悪いんだけど、ウチを背負って走って帰ってくれないかな」
「お兄さんは構わないけど、パドマは大丈夫なの?」
「ウチは寝てきたけど、イレさんは、昼寝してないんでしょう? この辺で寝られても、重くて連れて帰ってあげられないし、師匠さんも連れて帰ってくれない気がするし」
強いて言うなら、師匠は、ずぶ濡れのパドマを背負って帰ってくれるかも疑問だ。さっきは、自ら勝手に抱きついてきたのに、濡れた自分の服を嫌そうに見ていた。
「お兄さんは、3晩くらい完徹しても、その辺で寝たりしないから、心配いらないよ」
「合法的に、お風呂に入りたい。くそ夜中に申し訳ないけど、借りるだけじゃなく沸かして欲しい」
「そうだね。季節的に風邪を引きそうだ。どうぞ」
イレは、パドマに背中を向けて、しゃがんだ。背負って帰ってくれるという優しい人の背中に、嫌悪感を抱いて決死の覚悟で乗るのが、パドマである。
「パ、パドマ? なんか、手がすごいことになってるけど、本当に平気なのかな?!」
イレの視界に入ったパドマの手は、新種のハリネズミかと思うほど、とげとげしていた。手以外は見えないが、全身震えているのもわかる。
「本当に、鳥肌? 人間の身体って、こんなになるものなの?」
「おね、が、い。早く、行って。や、だ」
さっき引っ込んだばかりの涙まで出てきていた。パドマは、自分の限界に挑戦していた。
「わ、わかった。師匠、ヤマイタチを連れてきてね」
イレは、急いで走り出した。途中で、綺羅星ペンギンの従業員とすれ違って、何か言われたが、それどころではなかった。走って走って走って、自宅の井戸のところでパドマに話しかけたが、反応がなかった。一緒に走ってきた師匠が、パドマを降ろしてくれたが、パドマは動かなかった。
パドマのことは師匠に任せ、イレは風呂の支度をして、着替えをしてから戻ると、パドマはいつも通りに復活していた。
「あ、イレさん、送ってくれて、ありがとう」
師匠にタオルまみれにされているパドマは、にこにことお礼を言ってくれたが、イレの気持ちは、より一層モヤモヤとした。人のお願いを聞いて、罪悪感を抱いたのは、初めての経験だった。
「お風呂沸いてると思うから、湯加減を見てから、入っておいで」
「やったー。ありがとう。イレさん、最高!」
イレが、なんとか言葉を絞り出すと、パドマは上機嫌に風呂場に駆けて行った。とても元気そうだった。
「はぁ」
イレは、地下から酒樽を出してきて浴びるように飲んだ後、2人を放置してベッドに入った。
次回、酒盛り宴会に巻き込まれる。