1.ダンジョン潜りをはじめました
新連載をはじめます。
よろしくお願いします。
美味い肴を出すマスターと、朗らかに会話を回すママさんが名物の店、唄う黄熊亭は、今日も盛況だった。10席しかないカウンターと、その倍ほどのテーブル席しかないこぢんまりとした店だが、常に満席だ。そして、次から次へと注文が飛ぶ。少しでもマスター夫妻の助けになりたいと、パドマは懸命に働いた。
「マスター、エール2つ!」
注文を取っては金を受け取り、マスターに渡す。エールをジョッキに注いで客に運ぶ。マスターの料理を客に運ぶ。食べ終えた皿を片づける。それくらいしかできないが、マスター夫妻と客の評価は悪くない。泡の比率を美しく注ぐので、あえてパドマに頼む客もいる。
一見の客は、ほぼ来ない店だ。店主も客も、働き者のパドマを好意的に見る一方で、パドマの境遇を憐れんでもいた。
パドマは、ほぼ捨て子だった。元々は、母と兄の3人家族で生活していたのだが、母がいなくなった。時折訪ねてきて金を置いて行くこともあるが、普段は何処で何をしているのか、わからない。たまたま置いて行かれた場所が、唄う黄熊亭だったのである。
本来なら、店から叩き出されて終わるところなのだが、マスターは、住まうことを許した。子ども部屋が余っているから、そこにいても良いと言ったのである。部屋に住めるというだけで、食事の提供はなかったが、兄妹にとっては有難かった。兄のヴァーノンは、すぐに近所で仕事を見つけてきて、家賃を払うことにした。妹のパドマは、年齢的に就職が難しかったので、店の手伝いを申し出たのである。
「パドマ、今日のオススメはなんだ」
「今日は、クリームチーズ豆腐かな?」
店のオススメではない。パドマが今食べたい物だった。
「よし、それを2つ持って来い」
太っ腹な客がいると、微力ながら店の売り上げに貢献しつつ、ご相伴に預かって、休憩時間になる。客に善行を働いた満足感を与え、腹を満たし、さっさと仕事に戻る。小さい身体は、すぐに満腹になるが、くれる人がいれば、意地でも食べた。食べすぎた日は、朝ごはんが入らなくて、ちょうどいい。
「ほら、1つ食え」
「おっちゃん、ありがとう」
いつものように、その場で立ったまま食べる。席が空いていれば座ることもあるが、空いてないのだから、仕方ない。たまに膝に座らせてくれる客もいたが、あまりそれは好きではなかった。
「奢った時くらい、お兄さんと呼んでよ」
「おっちゃんがくれた仕事も、頑張ってるよ。ありがとう」
パドマは、毎日奢ってくれる大切な客に笑顔で答えた。愛想を振り撒いて、お兄さんと呼ぶくらいの知能は有しているが、そんなことをしていたら酔っ払いに絡まれて、仕事に差し支える。その学習を経てのスルーである。毎日1回チャレンジしているお兄さん呼び交渉は今日も失敗し、太客はがっくりとうなだれた。
「意地でも、おっさん扱いか」
「ヒゲが生えてる人は、みんなおっちゃんだよ」
「そうだな。くっそ」
いつも通りのお手伝いをして、いつも通りの夕食を食べて、眠気の限界まで働いたら、部屋に戻って寝た。
少し前までは、酒場のお手伝いしか仕事がなかったパドマだが、客の1人であるヒゲのおじさんの紹介で、昼の仕事を始めた。
港街アーデルバードは漁業も盛んだが、ダンジョンがあることで有名な街である。ダンジョンは、地下に広がる洞窟状の迷宮だ。そこには魔物が住んでいて、それを倒して素材をはぎ取り、地上に持ち帰ると金になる。それらを元手に商工業も発達し、街が栄えているのだ。街の中心は、海ではなく、ダンジョンだった。古代の魔法使いが作ったものと言われているが、詳しくは誰にもわからない。
ダンジョンセンターに登録をすれば、誰でも入れる。浅層で小遣い稼ぎをする者、深層で己の実力を試す者、ダンジョンに挑戦する者に傷薬を売りつける者、街はダンジョン関係者で溢れていた。
パドマも、先日、ダンジョン関係者になった。本来なら、10歳を越えるまで登録を認められず、ダンジョンに入ることはできないのだが、特例として認められたのだ。
ダンジョン1階層は、魔物が出ない。正確には、出ないこともないが、みんなが通る道なので駆逐されている。出たとしても、たいしたものは出ない。魔物は出ないが、傷薬を作る薬草が採れた。この薬草を集めてくる係として、雇用されたのである。薬草は、二束三文以下でしか売れない。ジメジメとした洞窟内で、半日こそこそ苔はがしをする仕事は、まったく人気がなく、なり手がいなかった。でも、他所でも兄が許してくれる仕事には就けなかったので、飛びついた。
毎日働くことは、雇用主も求めていなかったが、可能な限り毎日出かけた。
「じゃあ、今日も行ってくるね」
商家に働きに行く兄と途中で別れて、パドマは今日もダンジョンへ行く。
背中には、マスターにもらったもう料理には使えないフライパンを背負っている。働き始めは、みんなにフライパンについて聞かれたが、万一のための護身用と言ったら、誰も何も言わなくなった。もう少しマシなのを買えと、小遣いをくれた人までいたが、やめる気はない。一応、武具を扱うお店を見学させてもらったこともあるが、扱いやすさや攻撃力を鑑みて、これ以上の品を見つけることができなかったのだ。大体、剣や斧なんて買ってみたところで、使い方がわからないし、切った相手が血が出たら怖い。だから、買う必要を感じられなかった。もらったお小遣いは、フライパンのお礼にマスターに渡した。
「おはようございます。今日も、お世話になります」
誰も何も返事を返してくれないが、一応挨拶をしてから薬草採取セットを借りて、ダンジョンにもぐる。自分はお情けで入れてもらっているだけなので、他の利用者の邪魔にならないように、通行の妨げになるようなことにならないよう、注意して入り口を抜けた。この先は、2階層の階段への通路以外では、同じ薬草採りをしている人にしか会うことはない。
薬草採りは、割りのいい仕事ではないので、同僚には滅多に会わない。少なくとも、奥の奥に行ってしまえば、そんなところまで足を運ぶ人はいなかった。奥まで歩けば、宝の山がひそんでいるのに。
昨日は右の通路に行った。一昨日は左の通路だ。じゃあ、今日は真ん中か? 過去の自分の行動履歴を思い出し、最近行ってないだろう通路を選び、パドマは1階層の最奥を目指して歩いていく。
「うっふっふー。みーつけた」
今日は、運がいい。最奥まで行かずに目当ての物を見つけることができた。
パドマが探していたものは、芋虫である。緑や黄色のボディに赤の斑点模様がある、まるまると肥えた芋虫が、石レンガの壁にくっついてゆっくりゆっくり歩く姿を見て、パドマはうっとりと笑った。
ダンジョンセンターで発行される登録証は、魔道具の一種だ。ダンジョン内で魔物を倒すと、登録証にポイントが加算されるようにできている。ダンジョン外では、何をしてもポイントは増えない。そのポイントを貯めると、ダンジョンセンターで、景品がもらえることになっていた。景品は、基本的には、武器や傷薬などのダンジョン内で使える物だ。中には、美術的価値のありそうな宝飾品や、子ども向けのぬいぐるみなんて物もあるにはあるが、それらはあまり人気はない。
パドマは、そこで欲しい物を見つけてしまった。1億ポイントなんて、とんでもない価値が付いている物を数点。すぐには手に入らないのはわかるが、死ぬまでには手に入れられないものかなぁ? と考えている。
だが、フライパンしか持っていないパドマには、魔物を倒す術がなかった。最低ポイントと言われるニセハナマオウカマキリだって、倒せる気がしない。差し違える覚悟なら、1匹くらいなんとか倒せると仮定して、それを3000万回以上重ねるのは無理だと思った。痛い思いもしたくないし、現実味もない。
だが、そこにきての芋虫だ。
入り口に近いところはみんながいつも利用するから、薬草は少ないけれど、奥まで行ったらもっと沢山あるかもしれない。そう思って、試しに少し奥まで入ってみたら、まあまあ歩いた先に、ちょっと多めに薬草が茂った場所を見つけた。思った通りだと喜んで、熱心に薬草苔をヘラで壁からはがしている時に、急に視界に入ってきたのが、芋虫との出会いだった。
急に視界に入ったこと、あまりの見た目の気持ち悪さにびっくりして、反射行動でヘラで潰してしまった。芋虫は、何も悪いことをしていない。ちょっと天井辺りを散歩していて、滑って落っこちただけだった。だけど、そんな物がいるとも知らなかったし、それを急に目にしたパドマは、これ以上ないほど驚いて悲鳴をあげた。
落ちてきた芋虫も気持ち悪かったが、2つに割れた芋虫は、更に気持ち悪かった。潰した感触も、何の悪さもしていない生き物を殺してしまった罪悪感も、気持ち悪かった。パドマは、あまりのショックで店に逃げ帰った。動転し、薬草の換金も忘れ、採取セットの返却も忘れ、すべて持って帰ってしまう有様だった。もう薬草採りの仕事は辞めようかと、涙目で登録証を手に取ったところで、1ポイント付いていたのに気が付いたのだった。
芋虫を見るのも嫌だし、それを潰すなんてあり得ない。だが、無傷で何の危険性もなく倒せそうだと思った。ニセハナマオウカマキリを3000万回以上倒すより、芋虫を1億回つぶす方が、現実味がある。密集している場所があれば、一撃で5ポイント稼ぐことだってできるのだ。どう考えても、こちらの方が効率的で、ノーリスクだった。そう思って、フライパンを持って出かけるようになったのである。
多分、マスターは、そんなことのためにフライパンをくれたのではないことは、わかっている。だけど、壁や床に叩き潰す道具として、とても絶妙な使い心地だったのだ。芋虫潰しに、大した力はいらない。フライパンが壊れない様、大事に使っている。
芋虫潰しの効用は、ポイントが得られるだけではなかった。つぶれた芋虫から売れる素材が取れると思われなかったため、そのまま放置していたら、薬草がよく茂るようになったのだ。だから、今となっては、一階層の入り口で集めるよりも全方向の最奥の部屋こそ、薬草が茂っているのだが、薬草取りをしている人にやる気のある人材がいないため、気付かれていない。定期的にパドマが採り尽くしているからかもしれないが。
1人だけ奥に行くことに気付いた人も、その理由を追求することはなかった。薬草取りは、人に見せたい仕事ではない。地上の仕事をできない人が、仕方なく就く職業である。人付き合いが嫌だから、離れた場所に行くのだな、としか思われなかった。実際、そういう人は、パドマ以外にもいた。一部屋二部屋奥にいる程度で、最奥までは遠かったが。
沢山生える場所ができたので、いつもと同じ量を収穫するのに時間がかからなくなった。芋虫つぶしの仕事を増やしても、薬草収集の時間が少し短縮できて、前よりも少し量が採れるようになった。売値が安いので、お給料としては微々たる変化しかなかったが、パドマにとっては、充分な成果だった。
だから、見た目の気持ち悪さと、つぶす行為の気持ち悪さを差し引きしても、有り難い生き物だと思うことにした。
「芋虫さん、今日も有難う。そして、ごめんなさい。どうか祟らないで下さい」
昼は、毎日芋虫潰しと薬草採取をして、夕方はお店で給仕のお手伝い。薬草の上がりは、全額マスターに渡している。お店のお給料はもらっていない。だが、ポイントだけは、どんどん貯まっていた。まだ芋虫つぶしを始めて10日たったかどうかというところだが、もう11万を越えるポイントが貯まった。目で見てわかる成果があるのが、パドマのやる気を起こさせた。どこまで貯められるか、楽しみにしている。
ポイントの数だけ芋虫を潰したことに、多少の罪悪感と気持ち悪さを感じるが、気にしてはいけない。
近頃は、見つけても悲鳴をあげずにいられるようになったし、より効率的なつぶす手順を考えるようになってきている。人とは順応する生き物なのである。だから、大丈夫だ、とパドマは何度も呪文のように口にした。
次回、酒場の客のおじさんとのふれあい