第2話 『エストールの来訪』
――あの方が、やってくる。
約束の日。私は窓から外を眺めやり、すぐに分厚いカーテンを閉めます。
一月前のあの日にはまだ冬の足音も聞こえていなかったのに、今や街路は分厚く積もった雪で化粧をほどこされているようでした。
「お嬢様、エストール様がお目見えになられました」
「入っていただいて」
扉越しに、侍女イザベルの昏い声を聞くのにも慣れました。罪悪感があったのは最初だけ。私は、私の行動によって引き起こされた家の者の心境変化に関しては、随分と鈍感になったようでした。
木の階段が軋む音、外套を脱いでイザベルに預ける音、私のいる小部屋へ歩む靴音――ひとり小部屋にこもり続けることで鋭敏になった聴覚が、扉を挟んだすぐ向かい側にエストール様が到着されたことを知らせました。
髪をとかすことに意味はなく、身嗜みを整えることにも意味はない。
しかし私はそれをしました。なにせ、久方ぶりの来客だったのです。
「……イザベル」
「はい」
「少し外に」
当家に長く務める侍女が場を後にするのを見計らって、エストール様のお声を聞きました。
「噂は伺っていました。ラセーヌ家は王都に別邸を持つと。まさかこの豪華なお屋敷がそうだとは思っておりませんでしたが」
「隣の応接室に椅子があります。お手数をおかけすることになりますが、お持ちになって扉の前におかけください」
「承知しました」
再び足音。エストール様は応接室に赴かれると、私の申した通りに椅子を運んでその上に座られたようでした。
「申し訳ありません、大切なお客様に」
「構いませんよ。実家じゃ、なにからなにまで自分でやれって躾られてましたから」
こちらを気遣ってのお言葉とは理解していました。しかしふだん学園で聞くものと同じトーンでエストール様が話してくださったので、私の緊張もいくらか楽になりました。
「あなたも、俺と同じようになさってください」
「……わかりました」
どうやら、見透かされていたようです。扉の正面に直立不動で立ち、そのままの姿勢で受け答えしようと思っていたのですが。
私も椅子を運んでくると、扉一枚を挟んで向き合うかたちになります。無論私と殿方では目線の高さが違いますし、お互いの顔が見えないので見つめ合うということにはならないでしょうが。
「土産話があるんです。近況報告からで構いませんか」
「はい」
「メリア殿の助命嘆願が通りました」
ここにこもり始めてからの胸のつかえが取れ、思わず胸に手を当てます。
「そうですか……では、国外追放処分に?」
「なるでしょうね。他国にすれば御輿として担ぐ意味も薄いでしょうし。捲土重来の恐れも低いでしょう。なにせ王家との血縁なんて最初から存在しないんですから」
そう、それはあの場で私とエストール様が完全否定しましたから。
「しかし、追放された元王妃と元王子っていったいなにをするんでしょうね? 親父に倣ってハンマーでも振って、愛する母上を養ったりするんでしょうか……失礼、いつもの調子で舌が回りすぎました」
軽口をおっしゃってしまって気まずそうなエストール様でしたが、私は少し吹きだしてしまいました。
一生懸命鍛冶職人の仕事に精を出すパトリック殿下の姿が、リアルな感じで脳裏に浮かんでしまったからです。
「笑った?」
「す、すみません。ちょっとおかしくて……不謹慎ですよね?」
てっきりお叱りを受けると思って確認を取ったのですが、エストール様は至って真剣な口調で返答されました。
「いや、あなたはその方がいい」
「ええと?」
私、どのように反応すれば?
「失礼、またしてもいらんことを……少し補足します。元王妃並びに元王子に対するあなたの助命嘆願の承諾は、王家の本意ではありません。特に王はあの2人を処刑したがっていた」
「そうなのですか?」
問いながら、無理もないという気持ちも湧きます。パトリック殿下をその手で抱き上げてから成人を迎えるまでの20年、ずっと王は騙されていたのですから。
「ええ。なので、助命嘆願が通ったのは王の意思でなく、『救国の聖女』であるあなたの意向が無視できなかったからだとお考えください」
「私の、ですか」
「それだけ人気者なんですよ。それこそ王国中でね」
お褒めのお言葉なのでしょうが、嬉しくはありませんでした。
できることならあんなことはしたくなかったし、人気なんていらなかった……。
「勝手ながら、こちらで間者はつけてあります。他国に渡って数カ月は動向を報告するよう命じました。暗殺の危険性が無くなるまでの間はね」
「あの、ありがとうございます」
「お礼など構わず。アフターサービスの範疇ですよ。ところで……」
おっしゃりにくいことなのか、少しだけ間を挟んでから。
「お聞かせ願いたいんですが、どうして相談相手に俺を?」
寝耳に水の質問でした。咄嗟に言葉にできなかったことをエストール様が早読みされます。
「言いにくいことでしたら」
「いえ、そのような風には……ただ少し、意表を突かれてしまって」
てっきり本題に入られるものと思ったものですから――。
それは、言葉にはしない本音。
「エストール様なら信頼できると思ったから、ではダメでしょうか」
「構いませんが、根拠をお訊ねしているので……あの、重ねますが言いにくいことでしたら」
「い、いえ大丈夫です!」
とは言ったものの事実を口にする勇気が足りず、逆にエストール様にお話しさせることになってしまいました。
「見ての通りと言いますか、学園での俺は軟派の極みです。『王家の懐刀』なんて言われて、実家の看板こそ立派だが、やってることは周りに女性をはべらしてヘラヘラしているだけだったでしょう。だから疑問に思ったわけですよ。どうしてマキャベリのヤツじゃなく、俺だったのかってね」
軽い口調のエストール様に、お腹の内側を探られている心地がします。
お言葉とは裏腹に真剣なご質問であるのでしょう、嘘は吐けません。
「……前に、マルグリット元王妃の髪の色についてお話しましたよね」
「ええ、あなたにはそれが二重に見えていた」
金と青の交互の点滅。チカチカと瞬く不気味な色彩。
私はそれに、マルグリット元王妃をお見かけした瞬間に気づいた。
「自分なりに考えてみたんです。どうして私にだけ、あのような不可思議な色に見えるのかと。そうしたらひとつ仮説が生まれて……」
「仮説? ああ、魔力容量ですか!!」
優秀な頭脳の持ち主であるエストール様は、さわりを語っただけですべてを理解されたようでした。
「盲点でした。それならあの鬼畜眼鏡に相談するわけにはいかない。なにせあいつは、あなたに次いで学園内序列2位の魔力容量の持ち主ですからね」
感心してくださっているところ非常に申し上げにくいのですが……。
「あの、鬼畜眼鏡とは?」
「深い意味はありません、ちょっとした私怨で」
私怨なんて物々しいものに、ちょっとしたなんて程度のものはあるんでしょうか?
「ともかく理解しました。あなたと同じ光景を見ながら、公にはしない。もしそうなら、マキャベリは元王妃一派に丸め込まれている公算が大きいわけだ」
王国を司る公爵家の一員として、御三家のご子息は疑えません。己の微妙な立場から表現を濁したのですが、エストール様は特に屈託されなかったようです。
「結果論ですが、相談を持ちかけたのが俺でよかった。マキャベリだったらおそらく握り潰していたでしょう」
「えっ?」
王家への忠誠心を疑う物言いに思わず声を上げると、エストール様は続けざまに根拠をあげつらわれました。
「自分を曲げて、パトリックに取り入っていましたから。立場の弱いあなたに助力して働きを無にするより、偽王子の片腕であり続けることを選んだでしょう」
「偽王子だとわかっていても、ですか?」
「蛇のような男ですよ、あいつは」
これも私怨です、とエストール様は念押しされます。
「しかし俺かあのマキャベリかは、際どい天秤でしたね。多少怪しかろうがあいつの方に行っててもおかしくない」
「お言葉ですが、それはありえません。エストール様は良い方ですから」
確信を持って申したのですが、少し驚かれたようです。
しばし無言の時間が流れます。やがて呆れられた風に。
「学園でも有名な、無類の女好きですよ? メリア殿のような貞淑なご令嬢からすれば天敵のようなものでは?」
「女性に人気があるのは、女性におやさしいからでしょう。むしろ味方側かと」
「そのような斬新な捉え方をされたのは初めてです……」
図らずも私が一本取ってしまったらしく、扉の向こうで唸られました。
「それに、エストール様にとってはお仕事の範疇ではないでしょうか」
「買い被りですよ。半分は趣味です。人生の伴侶は早いうちに見つけるに越したことはありませんからね」
『王家の懐刀』に連なる御方は照れ笑いされ、垣間見えていたご自分の刃を隠されたご様子です。
「あの、この節は本当にありがとうございます」
「どうなさったんです、急に?」
お心当たりがないはずがありませんのに、わからない振りをされている。
それがわかるからこそ、私は伝聞の体を用いることにしたのです。
「疑惑の裏取りのことです。相当の危険を冒されたとか……」
「ちょっとした冒険を冒さなかったと言えば嘘になりますね。ガードの固い王近辺ではなく、元王妃の家筋から証拠を得られたのは僥倖でしたが」
最後のエストール様の苦笑に、痛感します。『王家の懐刀』に連なるこの御方に助力を乞い、動いてくださるようお願いしたのは他ならぬ私なのだと……。
マルグリット元王妃の、金と青に点滅する髪色の謎。
正体を知ることになったのは学園の禁書庫でのことでした。
調べに入るのに、苦労しませんでした。皮肉にもパトリック殿下の婚約者という立場は権威あるものでしたし、禁書庫も名ばかりの古書室でした。古びた本の処遇などどうでもいいというのが、学園側の意向だったのです。
マルグリット元王妃の髪色の謎が、魔法的なものであることに疑いは挟みませんでした。であれば問題となるのは手法。学業は優秀な方だと自負していますが、人間の生体部位の色を恒久的に変化させる魔法など聞いたことがない。
調べ物は一昼夜に及び、翌日の朝に私はそれを発見しました。
「……青は金を打ち消す。この遺伝の法則に倣うなら、パトリック殿下が金の髪を持ち得るはずがありません」
王の髪色は金、王妃の髪色も金。
であれば自然、その子である王子の髪色は金色となりましょう。
けども事実は違う。王の髪色は金、王妃の髪色は金と青の点滅です。やや強引ながら、青が強い因子ならば王子の髪色はやはり青となったはず。
パトリック殿下の髪色はしかし、見事な金色でした。そして――。
「鍛冶師ブランドンもまた青髪、だった」
「はい。調べ物を始めたときには知る由もありませんでしたけれど」
「そりゃそうです。不貞の事実は隠蔽しないと」
場を和ますエストール様の軽口に、私もつい苦笑して。
「私は隠してもらえませんでしたが」
「…………」
「す、すみません!」
笑ってもらえると思ったのですが、少し自虐的すぎたでしょうか?
内心そわそわしていると、実際エストール様は困った風でした。
「失礼。どう反応すればあなたのお眼鏡に叶うかわからなかったもので」
「いえ、こちらこそ。慣れぬことをしてしまいました……」
「俺の不明のせいですよ。それより話を戻しましょうか」
禁書庫にて根拠薄弱ながら推論を得た私は、その日の授業終わりにエストール様の元へ相談に参りました。
当初は、一笑に伏されると思っておりました。いいえ、むしろその方が良かった。私の思い込みが物のない箇所にある影を見ようとしているだけなら、すべては行きすぎた妄想の産物でしかないのですから。
「……このことは、他に誰かに?」
「エストール様にしかご相談しておりません」
「探りを入れます。なにかわかれば報告するので、絶対に他言無用で」
このとき、いつも学園で聞くものと違う真剣な声音に、抱えた不安がいや増したのを覚えています。
最初の相談から3週間が経ち、エストール様の使いの方から呼びだしの手紙をいただきました。集合場所は、指定された時刻には既に閉店しているはずの学生街のカフェでした。
「申し訳ありません、夜分遅くにお呼び立てして」
「このお店、エストール様がお開けになられたのですか?」
「家臣の知り合いの店です。近場で2人になれるのはここしかなかったので」
エストール様は、わずか3週間の間に数多くの情報を入手されておりました。
私たちがどうしても解き明かさねばならない最大の謎のいくつかをおいて、ほとんどのパズルのピースが手元に揃っていたと言っても過言ではないでしょう。
「マルグリット様の髪色は金。ご両親は亡くなられて不明。しかし青だったという言質も取れた……かつて実家で執事をしていた男からですが」
「証人となれる可能性のある方でしょうか」
問うと、苦々しいお顔でエストール様が首を振られます。
「苦しいでしょう。勤めていたのは20年以上昔で、痴呆の気が出てる」
「逆に、痴呆を患ったからこそ話されたということは」
「俺もそう考えました。緘口令を敷かない理由がありませんからね」
仮説を前提に考えを進めてゆくと、やはり後ろ暗いことがおありということになる……。
「王妃自身の動きについても調べました。決まって金曜の夜に、不自然なブランクがある。ご自分のお部屋から出られていないのですよ」
「そ、そんなことまでお調べになったのですか!?」
エストール様のご報告より、むしろなさったことの方にびっくりしたのですが。
「そのくらいはやらないと。俺、これでも『王家の懐刀』の一員なので」
そうでした。徹底して、容赦なく王家の敵を除くのがこの御方の使命なのです。
言いだした私が臆病風に吹かれるなど、あってはならないことでしょう。
「王妃の自室に隠し通路を発見しました。王城地下の通路を経由して下町に出られるようです」
翌々週、同じく呼びだされた私を待っていたのは、衝撃的な事実でした。
「さらに抜けだした先で、人と会っている。服装からして平民、鍛冶職に身を置いた男……とんだ間男が出てきましたね」
冗談のような文言ですが、お声は笑っておられない。
当然かもしれません、王家に対する明確な裏切りなのですから……。
「あの、ともかく見つからずに済んでよかったです」
「こういったことに長けた者がいるんですよ。油断もされていたようですし」
どういった意味でしょうか、と私が軽く首を傾げると、エストール様は予測されていたかのようにお話を続けられます。
「1度や2度ではなかった、ということです。おそらくあの隠し通路を使い、年単位の以前から関係があったと見るのが妥当でしょう」
「そんなに前から……あの、男性の方の目星は付いているんでしょうか?」
不謹慎ながら好奇心を抑えきれずに申し上げると、エストール様は学園内でよくなさるよう、お口の端をニッと吊り上げられました。
「外見的特徴から、『赤龍の大槌亭』の親方ブランドンで確定かと思います。しかし変なのですよ」
「変?」
またも訊き返すと、エストール様は怪奇譚でも話されるかのように眉根を寄せられて。
「ええ、ブランドンは平民ながら豊かな金髪を持つのですが、当人は生来の青髪から染めたものと触れ回っています。しかし尾行に当たらせた者の言では、どこをどう見ても生まれながらの金髪に見えたというんです」
王妃マルグリット様の大スキャンダル。それに比べれば、不倫相手の髪色など本来なら捨て置いていい路傍の石ころのような謎だったのかもしれません。
しかし私にとっては重要な事実でした。髪色はすべての起点。であるならば、この不自然にもまた相応の理由が存在するはず。
その考えを基盤に思考を進めてゆくと、脳裏にある閃きが走ったのです。
「――まさか、そのような思惑が?」
打ち明けると、滅多なことで驚かれないエストール様が血相を変えられました。
「想像の上に想像を重ねた、妄想のようなお話ですが」
「しかし辻褄が合う。事実なら、不貞行為どころじゃない……!!!」
迷いを見せられたのは一瞬。
エストール様はかつてなく真剣な瞳で私を見られました。
「……もう、会わない方がいい」
「えっ?」
「ここから先は火の海です。あなたにまで火の粉を飛ばすわけにはいかない」
調査を継続されるおつもりなのは意思の光を湛えたその瞳でわかりました。それと同時に、そのお言葉は『王家の懐刀』に連なるお人としての心からの忠告だとも理解したのです。
ここから先、私がいれば足手纏いにしからならない。
「事態が終息し、真実が明らかになれば必ずお伝えします」
決意とともに口にされたお約束に、私は首を縦に振ることでお応えしました。




