三顧の非礼 三
蒋幹もまた孫権の、周瑜の意を計りかねていた。一体なぜにこの2人は主戦論を唱えるのか。それが君子の判断ではないことなど孫権はともかく周瑜が分からぬはずがない。
いや、あの周瑜のこと、自分程度では到底その高みに至ることなどできないのは分かっている。それでもなお理解ができない。
曹操は赤壁と呼ばれる地域に船団を集結させつつある。上陸作戦を敢行する気などないのは誰の目にも分かる。ただの示威行為に過ぎない。これに火計でも仕掛ければ曹操は呉に侵攻する足掛かりを失う。これが蒋幹の考えうる最も現実的な作戦だろう。これなら十に一つくらいの勝算はあるかもしれない。が、そんなことをすれば完全な敵対行動になる。後はもう食うか食われるかの潰し合いになるのは明白なのである。あるいはそのドサクサに乗じて益州でもぶん盗れば多少の格好もつくだろうが結局のところ勝ち目はない。蒋幹の頭で考えられるのはそこまで。抗戦するメリットが何も見えないのだ。
メリットを追えば恭順の姿勢を示すのが最大の上策だろう。降伏の憂き目には遭うが勢力の保持と独立自治の権限を外交によって勝ち取れば良い、それが叶わないなら面従腹背もひとつの手だ。それができない周瑜でもあるまい。
ましてや曹操は才能ある人物の登用に余念がない。周瑜ほどの人物を引き抜ければ大軍を用いての示威行為にも十分利があると考えているフシがある。それならば周瑜は曹操の手足となり曹操の打倒に動く、要は獅子身中の虫になるわけである。姑息な手段ではあるが赤壁にて抗戦の構えを見せるよりはずっと現実的だ。戦いは勝ちきれる見込みがないならやってはいけない。そんなことは周瑜とて百も承知であろう。
それとも周瑜にはそれがあるのだろうか。そんな天変地異とも言える奇策が仮にあったとして、自分ごときに理解できるわけがない。興味もなくもないがそれを教えてくれるはずもない。知りたければただ座して見ていればいい。それが今の蒋幹の感慨でもあった。
しかし曹操に召し出され、周瑜引き抜き工作の任を帯びていればそんな呑気なことも言ってはいられない。ましてや蒋幹と周瑜の接点など幼少の頃、学友だった程度に過ぎない。周瑜が蒋幹のことを覚えているかどうかすら怪しい。
その程度の接点で曹操は周瑜を孫権から引き抜けなどと無理難題を言う。断れば三族の生死は保証しないと恫喝までして。
いや、曹操の気持ちも分からなくもない。天下の帰趨を決め、荊州はほぼ戦わずして手中に収めた。ほぼというのは劉備玄徳が不可解な抵抗を見せたからだ。が、それも難なく退け、曹操は余勢を駆って江東に降伏勧告を突き付けた。戦っても孫権に勝ち目がないのは明らか。ならば平和的に収めようというのが曹操のスタンスになるのは当然と言える。多少目端の効く者ならそこに付け入ろうと考えるものである。曹操はそれを認めようと言っているのだ。ならば堂々と付け入ればいいのである。誰が考えてもそういう結論になる。抗戦の意志など示そうものなら勝ち目のない戦いに数十年も費やすことになる。その負担を領民にも、天下にも強いることになる。周瑜にそれが分からないはずがない。なのに抗戦の構えを見せているという。
まさか周瑜も劉備玄徳の漢室復興などという絵空事に感化でもされたのか。いやいや、周瑜ほどの英明がそんな愚かな影響など受けるはずがない。ましてや曹操にまともに抵抗して勝ちきれると思うほどの夢想家でもないはずである。現実的に考えれば恭順して内側から食い破るのが最も安全確実である。というより、本気で曹操を打倒したければそれしかない。抵抗すればその可能性すら潰してしまうことになる。
恐らく曹操も同じ疑問に囚われているのだろう。抗戦する理由が見えない。見えないから人は畏れを抱く。そこで蒋幹のような在野の人間まで引っ張り出し、その真意を掴みたいというのが本音ではあるまいか。本気で引き抜こうなどとは考えていない可能性もある。あるいは、単なる自尊心程度で抗戦を試みるような愚鈍であればもう引き抜く価値もないと考えているのかもしれず、その見極めのために自分は派遣されるのだと考えれば蒋幹にも理解できなくもない。しかし周瑜の思惑は依然闇の中である。
周瑜は本気で曹操に抵抗するつもりなのか。本気ならばなぜ抗戦という最たる愚策を採るのか。まずこれが掴めなければ自身の命も、妻子親族に至るまで命はないのだろうなと蒋幹は思った。