三顧の非礼 一
参考書籍 三国志ナビ
長江の波に揺られながら蒋幹は目の前の難事に暗澹たる気持ちだった。
蒋幹。字は子翼。故郷では俊才と呼ばれたものだが蒋幹自身は全くそんな気はなかった。若い頃は天下に打って出ようと野心を抱いたこともあったが、そんな野心はさらなる英傑を目の当たりにすればいとも容易く粉砕される。
やがて世に出る頃には自身は凡庸に過ぎないと思い知らされ、かつての野心は羞恥でしかなくなった。凡才は凡才に相応しい生き方があると諦観するのにさして時を要さなかった。
そんな自分がなんの因果か、天下の趨勢を決めかねない重大な任を帯びて長江を渡っている。乱世は凡人にかくも過酷な重荷を背負わせるのかと、蒋幹は嘆息せずにはいられない。
蒋幹はいま一度、今回の密命を反芻する。
ひとつ、呉軍大都督周瑜公瑾を弁舌でもって説得し、周瑜の主君、孫権に降伏を決意させる。これを最上とする。これが叶わぬ時は、
ふたつ、呉軍大都督周瑜公瑾を弁舌でもって籠絡し、対岸に陣を張る曹操軍に引き抜く。これを次善とする。これが叶わぬ時は、
みっつ、呉軍大都督周瑜公瑾を弁舌でもって恫喝し、呉軍の戦意を挫く。これを最低限の成果とする。これが叶わぬ時は、
よっつ、呉軍大都督周瑜公瑾に弁舌でもって取り入り、呉軍の内情、戦力の情報を可能な限り引き出す。それさえ叶わぬ場合は生きて帰ることも許されない。
蒋幹はため息が出た。およそどれも実現可能とは思われない。もちろんその所見は召し出した曹操に説いた。が、まるで聞く耳を持たなかった。有無を言わさず引っ立てられたかと思えばこんな無理難題を申し付ける。曹操という人物の強硬なやり方は耳にしてはいたがこれほどの無理筋を押し付けられるとは正直思っていなかった。自分のような小物にそんな大それた真似ができるものか、と、蒋幹は心中で反論するのがやっとだった。
もちろんそんな反論など許されるはずもなく、蒋幹は庶民の体で夏口から呉郡、会稽へと渡らされる羽目になった。