08:無邪気な少年と第三王子
茂みを掻き分けているのだろう葉擦れの音と話し声。それが次第に近付いてくる。
そうして現れたのは少年と青年の二人組。
「ルーファス様、ブラッドさん、今戻りました! お魚が捕れましたよ!」
茶色の髪に葉っぱをつけ、明るい声をあげるのは年若い少年。あどけない顔付きにはまだ幼さが強く残っており、年齢は十歳にも満たないだろう。些か細く華奢にも見えるが、その仕草や声色は元気いっぱいだ。
そんな少年に続くように現れたのは、金の髪を軽く揺らし爽やかな印象を纏う麗しい青年。
「やっぱり罠が無いと動物は無理だな。だが幸い川で魚が捕れた。人数分ギリギリだけど、なかなか肥えた魚だから大丈夫だろう」
話す内容こそワイルドだが、口調や仕草は穏やかで品の良ささえ感じさせる。
並みのモデルや俳優は並んで立つことすらも嫌がりそうな麗しさ。この森の中でさえ輝いて見え、それでいて彼の手には造りの荒い汚れた麻袋がある。ブランドバッグでも持っていそうな見目なのだが。
会話から察するに二人はどこかで魚を捕ってきて、あの袋の中には魚が入っているのだろう。
そんな二人は話しながら現れたかと思えば、揃えたように足を止めて目を丸くさせた。
もちろん、そこに想定しない人物がいたからだ。
いわずもがな柚香と、柚香の隣で香箱座りをする、この世界には存在しない『猫』のニャコちゃんである。
「ルーファス、そちらの女性は?」
「ブラッドさん、そのふわふわした子はなんですか?」
二人が不思議そうに尋ねてくる。
それに対して柚香はどうして良いのか分からず、ニャコちゃんを一度見て……、
「はじめまして、聖女とニャコランティウス……、です?」
と、自分でも確証を持てない返事をした。
元より三人と一匹が座っていたところに新たに二人が加わる。
柚香の隣には少年が座った。彼はリュカと名乗り、柚香の膝に移ったニャコちゃんが気になるのだろう、そわそわと落ち着きなく様子を窺っている。
柚香の向かいにはルーファスと、リュカと共に戻ってきた金の髪の青年。名前はヴィートと言うらしく、彼が名乗った際の『第三王子』という肩書に柚香は驚くと共に、やはりここは日本ではないのだと実感してしまった。
ちなみに全員が丸太に座ることは出来ず、ブラッドだけが地面に胡坐をかいて座っている。
「私は椎橋柚香です。この子はニャコちゃんっていって……、聖獣のニャコランティウスらしいです」
「聖獣様? 聖獣様ってこんなにふかふかして可愛いんですね」
リュカが瞳を輝かせて「触っても良いですか?」と許可を求めてくる。
柚香が頷いて返すと恐る恐るニャコちゃんへと手を伸ばし、そっと背に触れ「わぁふかふか」と嬉しそうな声をあげた。それを見たルーファスが「僕も!」と興奮しながらリュカに続いてニャコちゃんを撫ではじめる。
ルーファスが何やら手帳らしきものを取り出しニャコちゃんを撫でては書きとめ撫でては……と繰り返すのは、ニャコちゃんの撫で心地を書き残しているのだろう。
「まさか聖女様と聖獣様と一緒に旅が出来るとは光栄だな」
ヴィートの言葉に、柚香は「えっ!?」と声をあげた。
「そんな、同行なんて困ります。私すぐにでも帰らないと……!」
「帰る術はあるのか?」
「いえ、それはないんですけど……。でも、こんな森の中じゃなくてどこか別の場所に行けば、もしかしたら何か分かるかもしれないし」
彼等は森の最北端を目指しているという。
何を目的としているかは分からないが、少なくとも柚香が日本に帰る術ではないだろう。この森が大陸の北にあり更にその端に向かっているというのだから、今よりもっと辺鄙な場所である可能性もある。人がいるかも定かではない。
そんな旅に同行なんて出来ない、一刻も早く日本に戻らないと。
柚香は一人暮らしで、明日から仕事も休みだった。すぐには気付かれないかもしれないが、無断欠勤が続けば会社も不審に思うだろうし、連絡が取れ無くなれば家族だって心配する。
無事に日本に帰れたら捜索願が出されていて事件に発展していた、なんて可能性もある。いや、そもそも帰れるかどうかがまだわからないのだ。
「私、すぐにでも帰らないといけないんです。家族も心配するし、仕事もあるし……!」
そう柚香が必死に訴えるも、彼等の反応は渋い。
ルーファスとリュカはニャコちゃんを撫でながらも困惑の表情を浮かべ、ブラッドは肩を竦めるだけだ。
そんな中、ヴィートが「落ち着いてくれ」と柚香を宥めた。
「きみが元居た世界に戻りたいと思うのは当然だ。出来れば俺達だって協力したい」
はっきりと告げてくる。
真っすぐに見つめてくる彼の瞳には偽っている様子はなく、「出来れば協力したい」という言葉は彼の本心だろう。
だがそれが叶わないことは口調から察することができ、柚香は困惑を露わに続く言葉を待った。
「だけど引き返すわけにはいかないんだ。俺達の旅は長引かせられない理由があって、きみを連れて森を出て引き返していたら間に合わなくなる」
「……そうなんですね」
突きつけられる事実に柚香の声が自然と小さくなる。
もちろんここで酷いと彼等を罵る気も無ければ、縋って困らせる気もない。
仮に彼等が森の中でキャンプを楽しんでいるだけであったなら、もしくは気ままな旅の一団であったなら、そこをどうにかと頼み込むぐらいはしただろう。
だがヴィートの声色は真剣そのもので、彼に限らず話を聞く者達も申し訳なさそうな表情をしている。
それほどに譲れない旅なのか。
そう柚香が考えれば、察したのか、ヴィートが「説明するよ」と話を続けた。
「俺達の旅の目的もあわせて一から説明しよう。きっときみに関係しているはずだ」