54:第三王子の唯一の騎士
ブラッドの名を呼んで立ち上がったヴィートが、大袈裟な仕草で両腕を広げる。
まるで抱擁を求めているかのようだ。もちろんそれがただのポーズでしかないのは言う間でもなく、実際にブラッドを抱きしめたりはしないのだが。
「ブラッド、お前がその服を着てここに来たということは、俺の騎士になる決意をしてくれたということだな!」
「この服しか残されてなかったんだが」
「袖に腕を通す際にはきっと確固たる意志があったに違いない。お前が決意してくれてよかったよ!」
「俺にはこの服を着てここに来るか、下着一枚でここに来る途中で捕まるかの二択しか無かった」
「俺の騎士として、これからもよろしくな!」
ヴィートが声高に告げる。有無を言わさぬとはまさにこの事。話を聞かないとも言うか。
なんにせよ彼は満足そうに頷き椅子に座り直してしまった。感慨深いとでも言いたげな表情と仕草ではあるが、二人のやりとりを見ていた柚香にはさっぱりわけが分からない。
どういうこと? と首を傾げてブラッドを見上げた。
「騎士って?」
「少し前から、ヴィートに直属の騎士になるように言われてるんだ。だが俺は騎士になれるような人間じゃない、そう断ってたんだが……」
「なるほど、強硬手段に出られたわけね」
きっとブラッドは己の出自を気にし、騎士になることを拒んだのだろう。
災厄を倒したことによりブラッドは自由を得た。最初こそ彼を遠巻きに見る者が殆どだったが、柚香やヴィートの訴えにより、彼を理解してくれる者も徐々に増えてきている。
当然だがアルストロニア監獄に戻されるような事もない。今は王宮の敷地内にある一角、王宮勤めの者達が暮らす居住地に部屋を借りて生活している。
毎日柚香のもとを訪ねてくれるが、その傍ら、災厄についての報告や後処理でヴィートを手伝っているとも話していた。
それでもやはり彼には監獄で生まれ育ったという柵がある。たとえ柚香達が違うと言っても、周囲が認識を改めても、他でもないブラッド自身が己をそう決めつけているのだ。
ふとした時に己を卑下し、明るい道へ進もうとする足を止めてしまう。
そんな彼を見兼ね、ゆえにこの強硬手段なのだろう。
そう考えると納得。……して良いのか定かではないが、根深い問題解決にはこれぐらいの強引さは必要なのかもしれない。少なくともヴィートとルーファスらしいと言えるだろう。
なにより、この強硬手段を喰らってもいまだブラッドは眉根を寄せて反論しているのだ。やはり根深い。
「ヴィート、何度も言うが俺は騎士になるような人間じゃない。他のやつを選べ」
「他のやつ? ルーファスは神官として俺に仕えてるし、戦闘面はからっきしだ。リュカに剣は持たせられないし、当分はめいっぱい遊んで学ぶのが仕事だろう。さすがに聖女である柚香に俺の身を守らせるわけにはいかない。ニャコ様は……、まぁ、自由に生きるのが一番だろ。だからやっぱりお前が適任だ。というか、お前しかいない」
「俺しかいないって、他にもっと……」
言いかけ、ブラッドが言葉を止めた。
話を聞いていた柚香もヴィートの言わんとしている事を察して彼へと視線を向ける。
彼がいま挙げた人物は彼と共に旅をした者達だ。
……それだけだ。そして他にはいないと断言した。
「俺は別に誰を恨んでるってわけじゃない。今まではあの方法が最善だったってだけだ。……だけど俺は、最善だからといって俺が死ぬことを良しとした者に命を護らせる気はない」
はっきりとしたヴィートの言葉に広間がシンと静まり返った。
彼の声色は普段通りのもので、表情も変わっていない。見目の良い爽やかな王子そのものだ。
だがそれでいて静かな怒りの気配を感じるのは気のせいではないだろう。境遇と胸中を思えば当然で、むしろ「恨んでいない」と公言出来るだけ立派だ。
ヴィートから静かに漂う空気に気圧され、広間の隅に居合わせた者達は随分と気まずい顔をしている。いかにも重鎮と言った風貌の者達でさえも、今だけは顔色を青くさせて不自然に視線を逸らす。
彼等は皆、ヴィートが第三王子ゆえに旅立つのを黙って見送った者達。つまり『災厄を眠らせるためならばヴィートが死ぬことを良しとした者達』である。
責められることはないとはいえ、さぞや重苦しい気分だろう。
そんななんとも言えない空気の中、盛大に溜息を吐いたのはブラッドだ。
首元の詰まった服装が苦しいのか襟に指先を突っ込んでぐいと引っ張る。その男らしい仕草に柚香は思わずドキリとしつつも、何か物言いたげな彼の続く言葉を待った。
柚香に限らず、自然とこの場にいる誰もがブラッドへと視線を向ける。
広間中の視線を一身に受けてブラッドは居心地悪そうな表情を浮かべ、それでもと溜息交じりに口を開くと、
「分かった」
と、呟くように了承の言葉を口にした。
「だが俺は騎士道や騎士の精神なんてもんは全く理解してないからな。そもそも、外での生活だってまだ分からないことばかりだ」
「あぁ知ってるよ。騎士道だの精神だのは望んでない。命を預けられる、それだけで良いんだ」
「……そうか。なら、仕事を探す手間が省けたな」
ブラッドとヴィートが互いに顔を見合わせ、ふっと軽く笑みを浮かべ合う。
見目麗しく爽やかな外観の王子と、それを護る勇ましい騎士。二人が並べばきっと絵になるだろう。
だが柚香がそんな光景を想像するのとほぼ同時に、せっかく穏やかかつ爽やかだったヴィートの笑みが消えてしまった。代わりに浮かぶのはニヤニヤと意地の悪い笑み。
これはこれで見覚えのある表情だ。嫌な予感がしたのだろう、ブラッドが眉根を寄せる。
「……なんだ」
「いや、これで俺からの話は終わりだ。あとはゆっくり二人で話をすると良い」
「二人?」
ブラッドが不思議そうに尋ねる。柚香はそんな彼の服の裾をくいと引っ張った。
ヴィートが言った『二人』とは、きっと自分達の事だ。先程までの話と、そしてヴィートの性格とニヤニヤとした笑み、それらを考えるとそうとしか思えない。
「柚香?」
「あのね、ブラッドがくるまで話をしてて、それで……。ねぇ、ちょっと二人きりで話をしない? ここだとヴィートがニヤニヤして聞いてるし、見て、ルーファスまでニヤニヤしだしたわ」
「そうだな。騎士になって早々に主人への反乱はしたくない」
ブラッドが応じれば、まるでニャコちゃんもこの話を理解したかのようにひょいと柚香の腕の中から降りて行った。
『ンナァ』と話しかけながらリュカへと近付き、後ろ足で立って前足を伸ばす。これは抱っこしてくれという訴えで、察したリュカがニャコちゃんを抱っこした。
その際の「ニャコ様、僕がお兄ちゃんで良いですか?」という言葉は、きっとニャコちゃんの年齢を改めてのものなのだろう。そしてこれから共に暮らしていく上での話し合いだ。
なんと可愛い事か。ニャコちゃんも満更ではなさそうに彼に鼻を寄せている。
そうして、一部は穏やかに触れあい、一部はニヤニヤとした意地の悪い視線を向けてくる中、柚香はブラッドと共に広間を後にした。
なんとも気恥ずかしい。
だが、それ以上に胸が弾んでいる。
次話、完結です!
最後までお付き合い頂ければ幸いです。




