52:謁見の間の王子様と神官様
旅を終え、王都に戻って来てから一月ほど経った頃。
柚香にとっては王都もまた右も左も分からない世界で、立派な王宮や華やかな街並み、何から何まで違う世界に唖然としてしまったのも記憶に新しい。……というより、いまだに世界の違いに唖然としてしまう事は多々ある。
なにせまだ生活し始めて一ヵ月なのだ。
それでも王宮がある敷地の隅に住まいを貰い、ニャコちゃんとリュカと共に生活をしていれば次第に慣れるもの。ブラッドは毎日会いにきてくれるし、災厄関係で多忙であろうヴィートやルーファスも時間を見つけては頻繁に顔を見せてくれる。
生活も安定している。
あとは元居た世界とどうやって連絡を取るかだ。
……連絡を取るだけで良い。
そう自分の中で決意し始めていた。だけどやはり少し迷いもある。
ヴィートに呼び出されたのは、少しの未練や迷いと決意の狭間に悩んでいた矢先の事である。
ニャコちゃんを抱っこしリュカと共に王宮の広間に向かえば、そこには既にヴィートとルーファスの姿があった。
今日のヴィートは王族らしい畏まった装いをしている。まさに爽やかな王子様といった出で立ちだ。色濃い上着には細部にまで飾りと刺繍があしらわれ、この世界の衣類にはまだ疎い柚香でさえ一目で上質と分かる代物。
第三王子としては当然の装いなのだろう。――初めて彼の正装を見た時に柚香はまじまじと眺め、そのうえ「ヴィートって本当に王子様なのね」と失礼極まりない発言をしてしまった。普通であれば罪に問われかねない発言だが、それを聞いたヴィートは楽しそうに笑っていた――
そんな彼の隣には、これまた神官らしい正装のルーファス。
こちらはヴィートの正装と違い華やかさはないが落ち着いた色合いが威厳を漂わせる。長い髪に銀縁眼鏡、涼やかな顔付きと合わさって、一見するとクールな神官という印象だ。
もっとも、柚香達が広間に入るなり破顔し「おはようございまーす」と明るい声で挨拶をしてきたので、クールな神官像は一瞬で崩壊したのだが。
「ヴィート、……、ヴィート王子? ニャコちゃんの……、いえ、ニャコランティウスについての重要な連絡とは何でしょうか?」
「なんだその喋り方?」
「一応、王子の御前なので。跪いた方が良いかしら? それともスカートの裾を摘まんで挨拶するのが主流?」
ニャコちゃんを抱っこしているため片手ではあるが、それでもスカートの裾を摘まんでそれっぽく頭を下げてみた。見様見真似の挨拶だ。
次いでちらと周囲を窺う。広間に居るのはヴィートとルーファスだけではない。いかにも王宮勤めといった畏まった服装の者や、警備を務める騎士、そういった者達が広間の隅に控えている。彼等はただ立っているだけでも威圧感を纏っており、そんな中で第三王子相手に「ヴィート、何かあったの?」なんて軽々しく言うのは抵抗がある。
リュカもこの空気に当てられたか「おはようございます、ヴィート王子」と呼び方を改めて恭しく頭を下げだした。緊張しているのが見て分かる。
だが当のヴィートはそんな柚香達の態度こそ不満なのか眉根を寄せ、挙げ句にこれ見よがしに腕を擦りだすではないか。
これはきっと柚香達の態度に寒気がするという意味なのだろう。それはそれで失礼な話ではあるが。
「そんな態度はやめてくれ、むず痒くなってくる」
「そう?」
「あぁ、むしろ寒気までしてくる。ルーファスを見習ってくれ。こいつ、さっきまで俺の椅子の肘掛けに座って、俺の上着の紐飾りを三つ編みにして遊んでたからな」
「そこまではさすがに私でも出来ないわ。でも紐飾りはニャコちゃんが大好きなの。ほら、もう目が爛々としてる」
ヴィートが上着の胸元にある紐飾りを揺らせば、柚香の腕の中にいたニャコちゃんがカッと目を見開いた。
ニャコちゃんは紐で遊ぶのが大好きだ。
パーカーの紐は噛まれしゃぶられ常に濡れそぼり、鞄の飾りにタッセルが着いていようものならすぐにべちょべちょにされる。――もちろん誤飲しないように気を付けたうえで被害にあっている――
紐があるならとさっそく遊びに行こうとするニャコちゃんをぎゅっと抱きしめることで留め、改めてヴィートとルーファスへと視線をやった。
そもそもはニャコちゃんについての連絡だったのだ。
「それで、重大な事実ってなに?」
「それがな……。ルーファス、説明をしてくれ」
ヴィートが譲るように傍らに立つ――若干肘掛けに座りかけていた――ルーファスへと視線をやる。
彼は「お任せを!」と意気揚々と返事をすると、傍らに用意していた一冊の本を手に取った。分厚い表紙がいかにも重要な書物といった雰囲気を漂わせている。
それをまるで、今から読み聞かせますと言わんばかりにこれ見よがしに開いた。……肘掛けによいしょと座って。
「この文献には過去こちらの世界に降臨された聖獣様のことが書かれているんです。ニャコ様のような、別の世界では『ねこ』と呼ばれるニャコランティウス様、『いぬ』と呼ばれるオイヌディウルス様、それにアリクインディス様」
「そうなのね。こっちの文字が読めるようになったらぜひ貸して……待って、アリクイ!? アリクイを連れてきた聖女がいるの!?」
「アリクインディス様の威嚇のポーズはそれはそれは迫力に満ちて威厳に溢れていたと書かれています。一度見てみたいですねぇ。……はっ、僕はなんて事を! 僕はニャコランティウス様、いえ、ニャコ様一筋ですよ!!」
慌てて訂正をするルーファスに、ヴィートが冷ややかに「さっさと話を続けろ」と促す。
ルーファスがコホンと咳払いをし、わざとらしく「それでですね」と話を続けた。
「柚香様の世界では、『ねこ』は人間とは違う速さで年を取っていると仰っていましたね」
「えぇ、確かに話したわ」
あれはリュカが柚香のことを『お母さん』と呼び違えた時だ。
そこから柚香は『お姉ちゃん』と、そしてヴィート達は『お兄ちゃん』と呼ばれるようになった。その流れでリュカがニャコちゃんの年齢を気にし、元居た世界での猫の年齢の数え方を彼等に話したのだ。
猫は生後一年から一年半で成猫となり、翌年で更に成長し、そこからは一年で人間の四歳分の年を取る。
だがそれをなぜ今話題に出すのか。そう疑問を抱いてルーファスへと視線をやれば、彼は柚香の疑問は分かると言いたげにうんうんと深く頷いてきた。




