47:癒しの聖女
「なに、あれ……」
視線の先にいる『あれ』の姿に、柚香は乾いた声で呟いた。
リュカとニャコちゃんと共に野営地を出てしばらく、幸い迷うことなく災厄の住む洞窟を見つけることが出来た。
中に入れば不快な匂いが鼻に纏わりつき、空気の重さがより増していく。息をするのも苦痛に感じられるほどで、それが逆に『ここだ』と本能で感じ取らせていた。
ニャコちゃんを抱っこしリュカと共に周囲を警戒しながら洞窟の中を進み……、
そして見た。
ブラッドを追いかけ、今まさに彼を食わんとする異形のものを。
「あれが……、災厄、なの、……?」
形こそ爬虫類を彷彿とさせるが手足も背も尾も歪み、巨大な体のあちこちが蝋のように溶けて崩れている。立派な尾に負けぬ太い足があるかと思えばその横には細枝の足が生え、後ろ足の片方は枝分かれし、背に生えた羽らしきものは握りしめた紙のように無惨にひしゃげている。
生き物の体とは思えない。生き物を複数混ぜて無惨に潰してもあれほど歪にはなるまい。
体色も複数の絵具を乱雑にかき混ぜたようで、一色にはなりきれず歪な斑模様となって体の表面を覆っている。
形も、色も、動きも、何もかもが歪。
異形としか言いようのないそれは歪な体ながらに俊敏な動きでブラッドを追いかけ、彼を飲み込まんと大きく口を開けて迫っている。
そのおぞましさに柚香の思考が恐怖で支配されかけるも、腕の中から聞こえてくる威嚇の声に瞬時に我に返った。
「ニャコちゃん! 電撃!!」
咄嗟に声をあげれば、腕の中にいたニャコちゃんの威嚇の声が更に強まる。
その声に呼応するようにニャコちゃんの口元に電撃が溜まり、まるでレーザー光線のような激しさと速さで異形の怪物へと放たれた。
狭い洞窟内が弾けたように白く染まり、甲高い悲鳴が響く。
おぞましい異形の怪物はニャコちゃんの電撃に驚いたのか身を捩り、洞窟の奥へと逃げていった。ズッズッと尾を引く音が洞窟内に奇妙に続く。
もっとも、洞窟の奥に逃げたとはいえこれで退治できたわけではない。暗い洞窟の奥で二つの赤い目が薄ぼんやりと灯りこちらを見つめているのだ。
まるで鬼火のようだが、鬼火とどちらがマシかと問われれば微妙なところである。
「ブラッド!!」
慌てて柚香が駆け寄れば、彼は信じられないと言いたげな表情を浮かべ、すぐさま「どうして来た!」と怒鳴り付けてきた。その声も表情も荒々しく、激しいほどの怒りの感情が柚香に伝わる。
だがもちろん柚香は臆することなく、逆に「こっちの台詞よ!」と声をあげて返した。言い返されるとは思っていなかったのかブラッドが言葉を詰まらせる。
「どうして私達を置いていったの!」
「それは……、お前を」
「私もリュカも『一緒に』帰るって決めたの。それがどんなに危険だろうと覚悟してた! それなのに……!」
反論すればするほど、柚香の胸の内で感情が渦巻いていく。
だがそんな柚香の訴えを腕の中のニャコちゃんが『ンニャウ』と鳴いて制した。落ち着けと、今はそんな事を話している場合じゃないと、そう言われた気がして柚香が息を呑む。
「そうね、ニャコちゃんの言う通り、今は話してる場合じゃない。……あれをなんとかしないと」
話しながら洞窟の奥へと視線をやれば、二つの眼球が薄ぼんやりと赤く光っている。その禍々しさに柚香の背がぞわりと震えた。あの赤い瞳に見つめられているとそれだけで気持ちが悪くなる。
だがここで臆すわけにはいかない、覚悟の上でここに来たのだ。そう柚香は己に言い聞かせ恐怖心を抑え込んだ。
ニャコちゃんが腕の中からスルリと抜け、一角へと走っていく。
そこに居たのはヴィートだ。彼の表情は強張っており、その表情はやはり『どうして来た』と言いたげだ。リュカがニャコちゃんを追ってヴィート達の元へと向かう。
柚香もまたブラッドの腕を引いてそちらへと駆け寄った。
もっとも、駆け寄る直前に彼に対して、
「帰りの旅ではずっと私達の文句を聞いてもらうからね!」
そうきつく言いつけておく。
そうしてヴィートとルーファスのいる岩場へと向かえば、彼等は苦しそうな表情で柚香達を迎え入れた。
リュカがヴィートに抱き着き泣きながら彼の名前をしきりに呼ぶ。ニャコちゃんは岩場の奥にいるルーファスの元へと駆け寄っていった。
柚香はヴィートの隣にしゃがみこみ無事を確認しようとし……、だが自分に向けられる彼の視線が僅かに外れている事に気付き、己の中で血の気が引く音を聞いた。
「ヴィート、目が……」
「あぁ、情けない話だがやられたよ。あれの目には気を付けてくれ」
「聖女の力で治せるかも。やってみるから、じっとしてて」
定まらぬ視点で話すヴィートの手を取り心の中で強く念じれば、それと同時に体の熱が手から彼へと流れていく。
今までも幾度か癒しの力を使ってはいたがどれも掠り傷や軽い火傷程度で、触れて軽く念じれば次の瞬間には治っていた。疲れなどまったく感じず、治すという感覚すら無かった。
だが今は違う。はっきりと、自分の力を消費しているのだと分かる。
(意識が引っ張られそう。これが聖女の力を使うってことなのね……)
今までの治療がお遊びだったと思えるほど、はっきりと自分の体力が消費されていく。
だがそのかいあってか、そっと手を放してヴィートの顔を覗き込めば、彼の瞳はまだ僅かに揺らぎはするものの真っすぐに柚香をとらえてきた。
「見える?」
「あぁ、さっきよりもだいぶ見えるようになった。違和感もないからしばらくすれば完全に戻るだろう」
「良かった……」
「ありがとう。しかし凄いな、さすが聖女だ」
「そうよ。そんな凄い聖女を貴方達は置いていったのよ。……という文句は後にしないと。あとでちゃんとしっかり念入りに文句を言うけど。リュカ、ヴィートを支えてあげて」
柚香が告げれば、リュカが手の甲でぐいと目元を拭い、ヴィートの腕を取った。
幼い顔付きであっても真剣な表情だ。自分がヴィート達を守るのだという強い意志が伝わってくる。――ちなみにリュカはリュカでヴィートに対して「僕も後で文句を言います」と言っている――
そんなリュカにヴィートを託し、柚香は今度はルーファスのもとへと駆け寄った。少し離れた岩場に身を寄せ顔だけを覗かせていた彼は……。
「ルーファス……! 待ってて、今すぐに治すから!」
「普段であれば『お気遣いなく』とでも言ったんですが、出来れば早めにお願いします」
かなり無理をしていたのだろうルーファスの顔色は悪く、額から汗が伝っている。笑ってはいるが頬は引きつっており、その怪我の有様も、強がりも、見ていて痛々しい。
柚香はすぐさま彼の肩に手を触れ、再び癒しの力を使った。




