41:貴方が望んでくれるのなら、
夜の静かな森の中、柚香とブラッドだけが残された。
火花が弾ける音がやけに大きく耳に届く。
「……ヴィート、話し終えたらあっさりと寝に行っちゃったね」
「俺を誘いに監獄に来た時もあっさりしていたな。だが芯はしっかりとした奴だ。俺はあいつならやりきってくれると信じてる」
「私も皆となら出来るって信じてる。災厄を倒してまた集落に寄って、ラスティ達を脅かせましょう」
「そうだな。……しかし、まさか俺が生きて帰りたいと思うなんてな」
ポツリと呟かれたブラッドの言葉に、柚香はじっと彼を見つめた。
穏やかに焚火を見つめる横顔。きっと炎の中にかつての自分を見ているのだろう。
次いで彼は柚香の方を向くと「お前のおかげだ」と告げてきた。男らしい低い声。耳に届くと胸に染み込み、そして胸の奥深くまで沈み込んでいく。
この旅の真相を聞いて痛いほどに苦しさを訴えていた柚香の心臓が、今度は緩やかに高鳴り始める。なんて身勝手な心臓だろうか。
そんな場合じゃないと分かっていても頬が赤くなってしまう。
「そ、そう? ブラッドにそう言ってもらえると凄く嬉しい……」
「柚香、一緒に帰ろう」
ブラッドの真っすぐな言葉に、柚香の胸が更に高鳴った。見つめられると恥ずかしいが、それでも彼の深い青色の瞳から目を逸らせない。
災厄を倒して生還して、その後は……。と、彼に見つめられながら考えてしまう。
もちろん日本に帰る術を探すのだ。それは分かっている。
だけどたとえば、帰るだけではなく向こうとこちらの世界を行き来する術が見つかったら。あるいは、向こうの世界と連絡をとる術が見つかれば、家族には事情を説明できる。
そうなったら……、
(ブラッドが望んでくれるなら、私……)
柚香の中にそんな考えが浮かぶ。まだ日本に帰る術は見つかっておらず、ましてや災厄を倒してすらいないのに。
だが胸の高鳴りは止まらず、同時に彼への想いも募っていく。
「前に私が『ブラッドが自由に生活できるようになるまで帰らない』って言ったの、覚えてる……?」
「あぁ、『誰にも二度と囚人なんて呼ばせない』だろ。そのためにこの世界に来たんだよな」
「今もそう思ってる。……だけど、少し変わってきてるの」
「変わった?」
「元居た世界を放っておくわけにはいかない。このままじゃ家族が心配しちゃう。だから帰らないといけないと思ってた……。だけど、もしも貴方が一緒に生きることを望んでくれるなら……」
言いかけ、柚香は続く言葉を紡げずに俯いてしまった。
自分の心音が体の中で響く。先程まで聞こえていた火花の音も心音に掻き消されてしまった。火にあたって熱いのか、早鐘を打つ心臓のせいで体温が上がっているのか、よく分からない。
それでも落ち着くように自分に言い聞かせて胸元をぎゅっと掴んだ。
災厄の住処を目の前にして、夜が明ければ命懸けの勝負が待っていると分かっていて、それでも告げなくてはと心が焦る。
こんな状況なのに。
いや、こんな状況だからこそ、今ここで伝えなくてはいけない。
そう決意を新たに、柚香は胸元を握っていた手を更に強く握りしめた。
「私、ブラッドが望んでくれるなら、この世界で貴方と……!」
貴方と生きていきたい。
そう言い掛けた柚香の言葉が途中で止まった。
代わりに出たのは、
「……ブラッド、貴方なんて顔してるの?」
という言葉だった。
なにせブラッドがなんとも言えない表情をしているのだ。
むぐと閉じられた口元。眉間に寄った皺。細めたままじっと柚香を見つめてくる目。睨んでいるわけではないのだろうが、それにしても随分ともどかしそうな表情だ。
更には彼の両手が中途半端な位置にあげられている。柚香の肩を掴もうとしたのか。だが触れることはせずに途中で止め、半端に開かれた手もまたもどかしそうである。
先程の空気から一転してブラッドのこの表情と仕草に、柚香は胸の高鳴りもどこへやら首を傾げた。
「ブラッド、どうしたの?」
「……すまない、自分でもどうしたらいいのか分からないんだ」
「どういう事?」
首を傾げたまま柚香が問えば、ブラッドの眉間の皺がより深まった。
険しさすら感じさせる顔だ。男らしさの強い彼の顔付きには合っており、今の柚香には勇ましく格好良く見える。
だが今の流れでこの表情をされる理由は分からない。
(……もしかして、迷惑だったのかも)
柚香の胸に僅かに不安が湧いた。
色恋めいた期待を抱いていたのは柚香だけで、ブラッドはただ仲間としての好意を抱いているだけなのもしれない。あるいは特別視こそしていても、それはあくまで聖女に対するものでしかないのかも。
だとするととんだ勘違いではないか。己の勘違いが自意識過剰にさえ感じられ、思わず俯いてしまう。
「ご、ごめんなさい、ブラッド。私なんだか勘違いしてたみたい。迷惑だったかしら……」
不安を抱きながら話せば、ブラッドが「違う!」と否定してきた。
食い気味の勢いの良さに驚いて柚香が顔を上げれば、ブラッドの深い青色の瞳がじっと見つめてくる。
先程の表情から一転し、今は鬼気迫るほどの真剣な表情だ。
「違う。迷惑なんてことはない。むしろお前が俺の事を考えてくれて嬉しいと思ってる」
「そうなの……。それなら、なんであんな顔をしたの?」
「それは……、お前に対しての想いをどうしたら良いのか分からないんだ。何をしたいのか分からない。……だが、何かはしたい」
自分の事ながら分からなくて混乱している。そうブラッドが低い声で話し、またもじれったそうな表情に戻ってしまった。
その声は己の不甲斐なさに対しての憤りすら感じられる。自分自身が分からず、そして分からない自分自身がもどかしい。その挙句にこの表情と中途半端に上げられた手ということなのか。
この話に柚香は丸くさせた目を今度はぱちんと瞬かせた。
ブラッドは監獄で生まれ、そして監獄で育てられてきた。女性も居たには居たが囚人と看守だけだ。
そんな隔離された状況にあったのだから、こういう時にどうすればいいのか分からなくて当然だ。
それなら……。
「こういう時は、抱きしめていいと思うの……」
上擦った声で柚香が告げる。
それに対して返ってきた「抱きしめる?」というブラッドの言葉に、柚香は自分の頬が赤くなるのを感じた。
こくりと頷き、一応のため「抵抗された時はだめよ」と教えておく。
いったい自分は何を教えているのか……、と考えれば恥ずかしさがより強くなるのだが、ブラッドの腕がそっと自分の背に回されるともはや恥ずかしさどころではない。
心臓が跳ね上がる。
強く抱きしめてくる腕が、触れる彼の体が、熱い。
「……一緒に帰ろう、柚香」
囁くようなブラッドの声に、柚香の体が小さく震えた。彼の低い声が耳に届いて心臓まで流れ込んでくる。
その感覚に酔いしれながら目を瞑り、彼の腕の中でゆっくりと頷いて返した。




