40:贄の第三王子
聞かされた話に胸の苦しさを覚えながらも、柚香はテントへと視線をやった。
そこでは既に就寝の挨拶を交わしたルーファスとリュカがいる。
「どうして子供のリュカまでそんな旅に出てるの? それにルーファスは神官でしょ。神官って、きっと神に仕える偉い仕事なのよね」
「あぁ、ルーファスはあんな調子だが、他の神官は厳格な奴ばかりで王族や貴族に並ぶ強い権威を持っているんだ。この旅の真相も彼等は知ってる。知ったうえで、今頃ほかの神官達は安全な場所で祈ってるだろうな」
「それなら、なんでルーファスはここにいるの?」
「あいつは凄いよ。全部知って、それでも災厄を倒すために俺に着いてくるって決めたんだ。最初に言い出した時は耳を疑ったな」
「リュカは……」
「……あの子は、多分、災厄を眠らせる方法を探るために選ばれたんだ」
ヴィートの眉間に皺が寄る。先程までの自虐的な笑みから一転し、今は怒気を感じるほどだ。
柚香の隣に座っていたブラッドもまた表情を険しくさせ、忌々しいと無言ながらに物語っている。
二人の表情に、纏う空気に、柚香の胸がざわついた。苦しさを通り越してもはや痛い。
「方法を探るため……」
「さっきも言ったように、災厄はいまだ未知の存在なんだ。眠らせる方法も説明の便宜上『四人食わせる』とは言ったが、これは過去に四人を喰らった災厄が眠りについただけに過ぎない。三人では眠らず、四人ならば眠った。ゆえに四人だ。だが本当に必要なのは『四人』なのか、それとも『四人に相当する量』なのかは分かっていない」
リュカを含めた四人で満たされたのなら『人数』が重要である可能性が高い。
逆にリュカを含めた四人でも満たされなかった場合、獣人達がそれを察してすぐさま五人目が手配される。その五人目を贄にして眠りについたのなら『人数』よりも『量』の可能性が高くなる。
もちろん偶然の可能性だってある。災厄の気まぐれ、もしくはその時の体調や状況によって変わるのかもしれない。
だがそうやって手を変え品を変えて探っていくしかないのだという。
「そんな……。私、そんな旅だなんて……」
自分がそれほど恐ろしい旅に同行していたなんて思わなかった。
そう柚香が細い声で呟く。話すというよりは喉から漏れ出たに過ぎない、ひどく掠れた声だ。
「だってみんな、楽しそうにしてるから……」
震える声で柚香が訴えれば、それを聞いたヴィートとブラッドが顔を見合わせた。
この話題に似合わず二人とも目を丸くさせている。自分達の旅を思い返し、苛酷さと賑やかさが吊りあってない事を今になって自覚したのだろう。
「まぁ、実際に楽しくはあるな。俺は物心ついた時から覚悟をしてたし、事情を知る者から憐れまれて過ごすより今の方が気分が楽だ」
「俺はそもそも監獄の中で生涯を終えるものだと思っていたから、たとえ死ぬとしても外の世界を見られるならそっちの方が良い」
「ルーファスに関しては、あれは度胸がありすぎて俺には理解出来ない」
「リュカは……、あいつも物心ついた時に説明されたって言ってたな。それを受け止めてこの場にいるんだから、俺なんかよりよっぽど人間が出来てる」
ヴィートとブラッドが己の心境と、今はテントに居る二人についてを話す。
彼等の口調はあっさりとしたものだ。仮にここにルーファスとリュカが加わってもさして変わらないだろう。
リュカだけは困ったように笑って、それでも気丈に振る舞う健気さを見せるかもしれないが。だがきっと彼も「怖い」とも「嫌だ」とも言わないだろう。ニャコちゃんをぎゅっと抱きしめるだけだ。
それを想えば更に柚香の胸がより痛みを訴える。
彼等の境遇も辛ければ、辛いはずの今を平然と受け入れてしまっていることもまた辛い。
もはや感情の乱れは胸だけでは抑えきれず、鼻の奥が痛み視界が揺らぐ。泣きそう、と思った瞬間、涙が零れた。
「ご、ごめんなさい、話の最中なのに……。私っ……」
「突然こんな話をして申し訳ないと思ってる。もっと早く説明すべきだった。……だが、どうしても聖女と聖獣の力が必要だったんだ」
「私達の力……?」
「あぁ、残されていた記録では聖女と遭遇した時は被害が少ない傾向にある。過去には災厄を鎮められなかった条件でも、聖女が同行した時には生還できた例もあるんだ。その恩恵にあやかりたかった」
聖女には癒しの力が、そして聖獣には炎や水を操る能力がある。
どちらの効果によるものかは分からないが、それでも聖女と聖獣が居るというのはこの旅において何よりの幸運なのだという。
「もちろん柚香達には危害が及ばないようにする。恩恵にあやかりたいとは言ったが、君達を犠牲にしようなんて思っていない。これは絶対だ。だから安心してくれ」
ヴィートの断言は力強いと感じるほどにはっきりとしている。
その言葉に、柚香は涙を堪えきれずに手の甲で拭いながら必死で首を横にふるった。
今泣いているのは己の身を案じての事ではない。
彼等の境遇を思うと胸が痛くて、そして彼等を失うのが怖いからだ。
それを涙ながらに訴えれば、ヴィートが「そうか」と深く息を吐くと共に呟いた。隣に座るブラッドが穏やかな声で柚香の名前を呼び、落ち着くように宥めてくれる。
彼等の声が暖かく、だからこそ涙が溢れ、柚香はニャコちゃんをぎゅっと抱き直した。ニャコちゃんが『クルルル』と喉を鳴らし、柚香の頬に伝う涙をべろりと舐めた。
「私、皆のためなら何でもする。聖女の力で何ができるかは分からないけど、何だってする。被害が少ない、じゃない、みんなで生きて帰るの……!」
「……あぁ、そうだな。俺だって何も無抵抗で食われる気はない。俺は全員で生きて帰って、俺が死ぬことを良しとした者達を見返すつもりだ」
ヴィートが話の途中、ふと視線を遠くにやった。
次いでゆっくりと口を開く。
「贄の第三王子は英雄になるんだ」
その声は落ち着いているが確固たる意志を感じさせ、翡翠色の瞳は睨んでいるわけではないのに鋭さを宿している。揺らがぬ決意が瞳の奥でふつふつと燃えているのだ。
柚香は小さく彼の名前を呼び、そして深く頷くことで同意を示した。
決意が伝わったのか、ヴィートが真剣みを帯びた表情のまま「ありがとう」と礼を告げ、かと思えば一瞬にして表情を緩めた。爽やかで穏やかで少しあどけない、そんないつも通りの顔だ。
「説明も終わったし、お互いの意思も確認した。あとは明日を迎えるだけだな」
「……そう、後は全部明日ね」
「長話をしたら疲れたし、先に休ませてもらうよ。あとは二人で過ごしてくれ」
普段の調子に戻ったかと思えば、途端にあっさりと話を終えてヴィートが立ち上がる。
そうして就寝の挨拶を告げ、先程ルーファスとリュカが入っていったテントへと向かった。
その際に「ニャコ様は少し預かるからな」とニャコちゃんを抱きかかえていく。挙句に、「ごゆっくり」と一言残していくのだ。どこか楽しそうで、先程まで苛酷な旅の真相を語っていたとは思えない軽さではないか。
あまりの変わりように、柚香はいまだ潤んだ瞳でパチパチと瞬きを繰り返した。睫毛に着いた涙の粒がそれに合わせて零れる。
「おやすみ」と告げた己の言葉は場違いなのかそうでないのか分からず、なんとも間の抜けた声になってしまった。




