39:災厄を眠らせるための方法
この旅は、百年に一度目を覚まし世界を脅かす『災厄』を眠らせるための旅である。
その話は柚香も聞いていた。漠然とした話ではあるが、それでも『災厄』には薄気味悪さを覚え、そして現にこの場の淀んだ空気からどれほどの影響力かを感じ取っていた。
更には、このまま放っておけば災厄の影響は森を出て大陸を浸食し、世界中に広がる恐れすらあるというのだ。この世界についても大陸の規模すらも分からない柚香でさえ背に冷たいものが走る。
そんな脅威をどうやって眠らせるのか……。
その話に差し掛かり、ヴィートが一瞬言葉を詰まらせた。
「災厄の眠らせ方は……。簡単なんだ。ただ、満たしてやればいい」
「満たす?」
「あぁ、そして満たすためには四人必要とされている。……逆に言えば、四人だけで良い」
遠まわしに話すヴィートの説明に、柚香の中で疑問が増す。
それと同時に嫌な予感が胸に滲み始めた。黒いインクが紙を浸食していくように、じわりじわりと。
「四人必要って、四人で何をするの?」
「その四人を……、食わせるんだ。そうすれば災厄は満たされてまた百年の眠りにつく」
「えっ……」
柚香の口から戸惑いの声が漏れた。
様子がおかしいと察したニャコちゃんが擦り寄ってくる。額を押し付けて『ンナ』と呼びかけ、それでも柚香がこちらを向かないと分かると今度は前足を柚香の腕に引っかけてくる。
だが今の柚香にはニャコちゃんを撫でてあげる余裕は無い。
『食わせる』、その言葉が頭の中で何度も繰り返される。
災厄を満たして眠りにつかせるために、人間を四人、食べさせる。
それはつまり……。
「なにそれ、生贄ってこと……?」
「そうとも言うな。いや、そうとしか言えないか」
「それじゃぁ、みんなは災厄に食べられるために……」
その為に旅をしているのか。
自分で言っておきながら、発言の恐ろしさに柚香の言葉が止まった。
悪しきものを鎮めるために人の命を捧げるなんて昔話のような話ではないか。
(こういうの、なんて言うんだっけ……?)
人身御供。
浮かび上がった単語の薄気味悪さに、柚香の体がふるりと震えた。
この単語を知った時はあまりに現代の文化とかけ離れ過ぎていて、どこか別世界のように感じていた。たとえるならば『昔々あるところに』で始まる御伽噺のような、そんな物語の中の世界の儀式だと思っていたのだ。
それ程までに信じられない話だった。……それが今まさに目の前で、否、自分を含めて進んでいる。
「そんなのおかしい……。まさか、この世界はそういうのが普通なの?」
柚香は気付いたらこの森に居て、それ以降も森から出ていない。
もしやこの世界の文明は日本のものとかけ離れていて、生贄が普通の世界なのではないか。……と、そんな不安を抱いて問うも、ヴィートが苦笑すると同時に「安心してくれ」と宥めてきた。
曰く、生贄なんて儀式は他には一つとして無いという。
「当然だが、この方法も公的にされているわけじゃない。知っているのは一部の者達だけだ。こんな話をしておいてなんだが、こちらの世界もそこそこに文化があって治安も良いんだ」
「それならどうして……!」
「何百年も、いや、千年以上かけて、ようやく見つけたのがこの解決方法なんだ。もちろん過去には災厄を倒そうとした事もあった。……だがそれも上手くいかなかったらしい」
多数の犠牲を出し、その果てに辿り着いたのが『災厄を満たして眠らせる』という方法だったという。
ヴィートの話を聞き、柚香はくらりと眩暈を覚えた。自分の手足が冷えていくのが分かる。
覚悟はしていたつもりだが、まさかこんな話を聞かされるなんて……、と、理解も胸中も何一つとして追い付かない。
だがいつまでも「なんで」「どうして」と一方的に疑問を投げつけていてはきりがない。
そう自分に言い聞かせ、柚香は一度大きく深呼吸をした。
「分かった……。一応、災厄を眠らせる方法については理解出来た。……だから、獣人の族長もあんな事を言ったのね」
獣人の族長はブラッドを囚人と呼び、そして『災厄を眠らせるために囚人を使うことには賛同している』と言っていた。
彼等はきっとこの旅の真相を知っていて、生贄にするならば囚人をという意味で言ったのだろう。
酷い話だ。今すぐに集落に戻って訴えたい。
そんな柚香の憤りを察したのか、静かに話を聞いていたブラッドが「気にするな」と囁くように告げてきた。
彼の表情は柚香のことを案じているものの、自分の境遇を嘆いている様子はない。そのうえ肩を竦めて見せ「お前はすぐ顔に出るな」と冗談めかして苦笑を浮かべてきた。
彼のその笑みが優しいからこそ余計に柚香の胸が痛む。
そんな痛む胸をぎゅっと押さえて改めてヴィートに向き直った。感情に駆られている場合ではない、全てを理解しなくては。
「でも、ヴィートはこの国の王子なんでしょ? どうしてヴィートが旅に出るの?」
一国の王子が生贄になるなんて有りえない。
そう柚香が訴えれば、ヴィートが「俺は」と話を続けた。
「俺は王子であっても『第三王子』なんだ。百年に一度の災厄の目覚め、それを収めるのは第三王子の役目と決まってる」
「そんな、ただ三番目に生まれたから……?」
「自分のことながら運の無い話だと思うよ。たとえ三番目であっても一代前か一代後に生まれていれば逃れられたんだけどな」
参ったものだとヴィートが肩を竦め、己の不運を笑った。
曰く『第三王子』の役割は代々受け継がれていたものらしい。だがその役割を負っているからといってヴィートが冷遇を受けていたというわけではなく、他の兄弟達と同等の教育や境遇を与えられていたという。
それはなぜか?
もちろん、世間に『災厄を眠らせるためには人を食わせる。そのための第三王子です』なんて言えるわけがないからだ。
それに……、
「今の災厄を眠らせる方法は最善ではあっても唯一とは限らない。別の方法があるかもしれないし、それに災厄自体が未知の存在なんだ、明日突然、俺達とは関係ないまったく別の原因で死ぬ可能性だってある。そういう場合、旅に出ていた者達が事態を解決したとして英雄扱いされる可能性は高い」
「だからって、なんで……」
「もしそうなった場合、ひとは『のうのうと安全な場所に居た王家』より『命懸けで世界を救った英雄』を支持するだろう。だから必ず一人は王族を入れるようにしているんだ。倒せず災厄に食われても王族が命を賭けて国民を守った事になる。逆に、これが理由で、たとえ食われる前提であっても実際の囚人を使う事が出来ないんだ」
『四人の生贄』は『四人の英雄』になる可能性がある。
ゆえにたとえ生贄だとしても囚人を使うことは出来ず、万が一を考慮し必ず王族が旅を先導するように決められている。それが『第三王子』だ。
これはヴィートの代に決められたわけではなく、もう何百年も昔から繰り返されているのだという。
その話に、柚香は言葉を失ってただヴィートを見つめた。
以前に彼はブラッドに対し、生まれを変えることは出来ないと告げていた。
あれはこの事を言っていたのだ。
災厄を満たす役割を負って生まれた第三王子。その事実は変えられず、彼は今ここに居る。




