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03:野犬あらため狼の襲撃

 



 張り詰めた空気が周囲を包む。

 聞こえてくるのは葉擦れの音と、野犬の唸り声。それと自分の心音。……あと服の中から聞こえるニャコちゃんの唸り声。

 不用意に動けば次の瞬間に野犬が襲ってきそうで、柚香は荒ぶるニャコちゃんを宥めることも出来ずにいた。


 そんな緊迫した空気を破ったのは、群れの中でも一際低く激しい唸りをあげていた野犬。

 とりわけ大柄なあたり群れのリーダーか。一瞬にして青年へと飛び掛かると彼の首筋へ噛みつこうと牙を剥く。

 だが青年は野犬の牙が首に届く前に己の腕を噛ませ、片手に持っていたナイフの刃を野犬の腹に深く突き刺した。


 低い唸り声とは真逆、甲高い野犬の悲鳴があがる。

 だが青年は悲鳴を聞いても容赦はせず、更にナイフを押し込み柄を握る拳をめり込ませ、その力のままに野犬の体を横へと払った。

 大柄の野犬が、まるでクッションを投げたかのようにあっさりと吹っ飛んでいく。野犬は大木に当たり再び高い声をあげ、根本へと落ちると横たわったまま動かなくなった。


 一瞬の闘争の後、再び張り詰めた空気が漂う。

 だが今度は襲ってくる野犬は居らず、一匹また一匹と踵を返して走り去っていった。群れのリーダーが倒されたのを見てここは引くべきと考えたのだろう。

 そうして最後の一匹の気配が消えると、青年が大きく息を吐き、ゆっくりとこちらを向いた。


「お前、なんでこんな所に居るんだ」


 青年がこちらに近付いてくる。

 彼の問いかけに、柚香の体がビクリと大きく震えた。

 野犬は去っていったのに恐怖はいまだ残っている。むしろ今更になって体が震えてきた。

 それでも感謝を告げねばと震える喉で必死に声を出す。


「ありがとうございます……。私、あの、なにも分からなくて。それで……。そうだ、あなた怪我してましたよね……!」

「落ち着け、俺は平気だ」

「そんな、野犬に噛まれて平気なわけない! でもなんであんな野犬が、そもそもここは!?」

「だから落ち着け」


 青年の声は低く、言葉遣いは素っ気ない。威圧的に聞こえかねない口調だ。

 だが不思議と柚香の緊張と恐怖を和らげる。低い声は胸に沈みこむようで、それがじわりと落ち着きを取り戻してくれる。

 その言葉に促されるように深く呼吸をした。十分な空気を肺に送り込めば苦しさが解消され、そこでようやく、先程まで恐怖から無意識に浅い呼吸を繰り返していた事に気付いた。


「ごめんなさい、私……。怖くて気が動転してたみたい」

「もう平気か?」

「はい。助けてくれてありがとうございました」

「別に気にするな」


 柚香の感謝の言葉に対して、青年の返事はやはり簡素なものだ。

 かといって怒っている様子はない。それどころか自分が怪我をしているというのに、柚香に対して怪我は無いかと尋ねてくるではないか。

 柚香の怪我など倒れた時に負った掠り傷ぐらい。それだって、今は少し痛むがしばらくすれば怪我の箇所すら分からなくなるだろう。その程度だと話せば、青年が深く一度頷いて返してきた。


(……優しい人なんだ)


 素っ気ない言葉や態度の中にも青年の優しさを感じ取り、柚香の中で安堵が湧く。

 そうして改めて彼を見つめた。


 銀の髪と切れ長の青い瞳は互いの色味を映えさせて美しい。目鼻立ちは整って見目も良いのだが些か男らしさが強く感じられ、眉間に寄った皺がより威圧感を与える。強面と言えるだろう。整った顔付きだからこその迫力がある。

 更に身長も高く、服の上からでも鍛えられていることが分かる。


 言葉こそ通じているが、外見を見るに日本人ではないだろう。

 そう柚香が考えていると、周囲を見回していた背年がこちらを向いた。鋭い目だ。だけど不思議と怖くはない。


「ここは狼の縄張りなのかもしれないな。早めに離れた方が良いだろう」

「は、はい……。狼!?」


 思わず声をあげれば青年がぎょっとした。


「なんだ、狼をはじめて見るのか?」

「いえ、てっきり犬だと思って……。そんな、狼が私の近所にいるなんて」

「いぬ?」

「はい、犬だと思ってました。それだって危ないのに狼が……」


 自分の置かれていた状況が想像していたよりはるかに危険だったと知り、今更ながらに柚香の声が震える。

 そんな柚香の不安に気付いたのか、青年が「安心しろ」と告げてきた。


「あいつらもすぐには戻って来ないだろう。その前に移動すれば追ってもこないはずだ」


 周囲を窺いながら話す彼の声は低く、状況を分析し事実だけを述べるような簡素さがある。

 それでも柚香を落ち着かせようとしているのか、こちらを向くと一言「大丈夫だ」と告げてきた。

 これもまた簡素な口調である。だが彼の言葉は不思議と胸に溶け込み、いまだ何一つ分からないながらも柚香はゆっくりと一つ息を吐いた。


 ひとまず危機は去った。

 そう考えれば、狼に襲われたのは不幸に違いないが、人に出会えたのは良かったと言える。もっとも、やはり現状が分からないので『不幸中の幸い』でしかないのだが。

 そんな事を考える柚香を他所に、青年は『いぬ』という単語が気になっているようで、「どこかで聞いたな……」と呟いている。


「いぬ……。なんだったか……」


 考えを巡らせる青年に、柚香も違和感を覚えて首を傾げた。

『狼』が分かって『犬』が分からないというのもおかしな話ではないか。少なくとも日本では考えられない。

 いや、そもそも青年の見た目が日本人とは思えない。銀の髪に濃い青色の瞳。どちらも染髪やカラーコンタクトではなく生まれ持ったものだろう。

 思わず改めてまじまじと見つめていると、青年は『犬』という発言がよっぽど気になったようで数度繰り返し、「そうだ」と呟いた。


「以前に聞いたことがあるな。聖獣の中に、確か『いぬ』という種族がいたはずだ」

「聖獣?」

「あぁ、だがひとまずここから離れた方が良い」


 行くぞと一言告げ、返事も聞かずに青年が歩き出す。

 柚香は一瞬迷いはしたものの、信じることにして彼を追った。


「ニャコちゃん、もうちょっと静かにしててね」


 服の中に隠したままのニャコちゃんに小声で話しかければ、ニャコちゃんはこちらを見上げ『クルルルッ』と鳩のように喉を鳴らしてゆっくりと目を閉じた。




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― 新着の感想 ―
[一言] オタクの中でも異世界転生転移に詳しい一部の者じゃ無かったら、そっすよねー!なんて正常な反応なんでしょう… 猫の変則的な鳴き方も実猫らしゅうて喜ばしい事でございます。あいつらニャーニャーとかミ…
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