28:深夜の訪問者
入浴を終えれば、そのまますぐに食事の場へと案内された。
食事は木の実や獣人達が育てているという作物がふんだんに使われた豪華なものだった。
……だけどそれを純粋に楽しむことは出来ない。
食事中も柚香の隣には常にラスティが居り、ブラッドのもとへ向かうどころかヴィート達に話しかける事すらままならないのだ。
「……どうしよう」
柚香が呟くと同時に溜息を吐いたのは、食事も終え、再び小屋に戻った直後。
これもまた「お疲れでしょうし今夜はもうお休みください」と半ば無理やりに押し込まれてしまったのだ。
ベッドの上で横たわるニャコちゃんを撫でていると、ニャコちゃんが耳をピクリと揺らして扉へと向いた。丸い瞳がより丸くなっている。
それを見て、柚香は「またなのね」と呟いた。
扉の外に誰かいるらしい。
ニャコちゃんは嗅覚か聴覚か、それとも猫の第六感か、もしくは髭のセンサーか、とにかく訪問者を感知している。たとえ足音を潜めていてもニャコちゃんは誤魔化せないのだ。
だが扉の向こうの人物はノックをして入室してくることも話しかけることもしない。
沈黙が重苦しく感じられ、柚香はわざとらしく「夕飯美味しかったね、ニャコちゃん」と話しかけた。もっとも実際には胸中がそれどころではなく夕飯の味なんて殆ど分からなかったのだが。
それでもニャコちゃんに夕食の感想を話しかけていると、扉をじっと見つめていたニャコちゃんがくるりとこちらを向いた。
「そう、もう行ったのね。ありがとうニャコちゃん」
『ンーニャ』
「これじゃ抜け出したらすぐに気付かれちゃうわね」
さてどうしたものか、と柚香は再び溜息を吐いた。
さっきのは見張りだ。柚香が不穏な行動をとらないか、小屋を出ていかないかを確認しているのだろう。
「寝たと思わせればもう来ないかしら。でも寝てるのを確認しに部屋に入ってくるかも」
『ンニャム、ンー』
「いっそ堂々と正面突破してみるとか。『私は聖女よ。何人たりとも私の歩みを止めることは許しません!』とか。どうかなニャコちゃん、今の聖女らしかった?」
『…………』
「やめてよ、無言で七色に光らないで。でもどうにかしないと……」
七色に光り出すニャコちゃんは鼻先を突いて沈め、再び考え込む。
そもそも、小屋を抜け出してブラッドに会いに行こうにも彼がどこに連れていかれたのかも分からない。
当てもなく探して回るのは非効率だしなにより危険だ。森は広く暗い。彼を見つけるより先に柚香が獣人達に見つかるか、怪我をしたり野生の動物に襲われる可能性だってある。
「明日になれば会えるだろうけど、歩いてる時じゃ落ち着いて話しも出来ないし。災厄の住処が近いなら明日の夜にまた時間が作れるかも分からない……」
『ンニャム!』
柚香が考え込んでいると、ニャコちゃんが甲高く鳴いてぴょんとベッドから降りた。
それとほぼ同時にノックの音が室内に響き、「柚香様、よろしいでしょうか」というラスティの声が聞こえてくる。
慌てて扉へと近付いて開けると、ラスティが深々と頭を下げた
「お休みのところ申し訳ありません。……この子が」
「リュカ?」
ラスティの背後に居たのはリュカだ。
彼は柚香の姿を見ると「柚香お姉ちゃん……」と弱々しい声で近付いてきた。
ぴったりと身を寄せ足元にいたニャコちゃんを抱き上げる。怯えた様子の彼を案じ、柚香は茶色の髪をそっと撫でながら「どうしたの?」と尋ねた。
「この子が柚香様と一緒でないと眠れないと泣き出してしまったそうで、お連れしました」
「リュカ、貴方が?」
「ごめんなさい、柚香お姉ちゃん……。でも寂しくって……」
だから来てしまったのだとリュカが訴える。
弱々しい声、切なげに見上げてくる瞳は潤んでおり、これを拒めるわけがない。
それに……、と考え、柚香は顔を上げるとラスティに向き直った。
「獣人に会うのが初めてって言ってたから、きっと緊張して寝付けなかったのね」
「そうですか……。ベッドは二人で寝るには十分かと思いますが、なにかありましたらお声がけください」
「ありがとう。リュカ、もう大丈夫だからね」
茶色の髪を掬うように撫でながら話せばリュカがコクリと頷いた。
それを見てラスティが「では失礼します」と頭を下げて小屋を後にした。渋ることなく去っていくのは、幼いリュカならば柚香と一緒に居させても良いと判断したのだろうか。
そうして小屋の中には、柚香とリュカ、そしてニャコちゃんだけが取り残された。
耳を澄ましてラスティが去っていたのを確認し、柚香が改めてリュカと向きあう。
彼の表情は先程までの弱々しいものではない。あどけなくもはっきりとした意志を感じさせるものだ。眠れずぐずって来たのではないと一目で分かる。
そもそも、リュカはブラッド達と同じテントで眠っているのだ。
『柚香と一緒じゃないと眠れない』どころか一度として一緒に寝たことはない。つまり何かしらの目的があってラスティを騙して小屋に来たということだ。
「僕なら柚香お姉ちゃんのところに行けるんじゃないかって、ヴィートお兄ちゃん達と話してたんです。それで……」
リュカが話しつつ小屋の窓へと近付き、開けるとぐいと外に身を乗り出して手を振りだした。
つられて柚香も窓の外を見れば、生い茂る草木の合間に居るのは……。
「ヴィート!」
草木に身を隠してこちらを窺うのは、もう一つの小屋に居るはずのヴィート。
彼の姿にどうしてと柚香が疑問を抱けば、ぐいと柚香の手をリュカが掴んだ。
「柚香お姉ちゃん、ここは僕に任せてください」
「リュカに? どういうことなの? どうしてヴィートが外に……」
「ブラッドお兄ちゃんのこともだけど……、僕達、柚香お姉ちゃんにちゃんと説明しなきゃいけないことがあるんです。でも、今はまず、ブラッドお兄ちゃんと話をしてほしいから」
そう考えた結果、ヴィートが小屋を抜け出しブラッドの居場所を探り、そしてリュカがこの小屋を訪れた。
もう一つの小屋にはルーファスが残っており、定期的に訪れる見張りに対してさもヴィートが居るかのように振る舞っているという。たとえ実際には声が聞こえなくとも、ルーファスが「そうですよね」「確かに仰る通り」と喋り続ければ見張りもやり過ごす事が出来るだろう。
リュカもまた同じようにこの小屋で過ごし、柚香が居るかのように振る舞うつもりらしい。任せてくれと告げてくるリュカの表情は子供ながらに凛々しさがあり、なんと頼もしいことか。
「分かった。よろしくね、リュカ」
「はい、任せてください! ニャコ様、お姉ちゃん達のことをよろしくお願いします」
託すように告げ、リュカがぎゅっと一度ニャコちゃんを抱きしめる。
抱きしめられたニャコちゃんもまた彼の頬に一度額を擦り寄せた。まるでここは頼んだと告げるかのようだ。
そうしてリュカが窓の外へとニャコちゃんを逃がし、それに続くように柚香もまた窓から外へと飛び降りた。
幸い小屋自体は平屋で飛び降りたところで高さは無い。ガサッと草を踏んだ音が夜の静けさに響いたが、幸い誰かが駆け付けてくる様子はない。
良かったと小さく安堵し、柚香は一度窓越しにリュカと頷き合い、ニャコちゃんを抱きしめてヴィートの元へと向かった。




