23:手が空いてるなら
翌朝、食事を終え、手早くテントを片付けて出発する。
森の中は木々が生い茂っているが、それでも日が高いうちは光が差し込んで瑞々しい草木を照らす。もっとも、連日歩き通しなうえに夜は寝袋で就寝のため、今の柚香にはそれを楽しんでいる余裕はあまりない。
とわけ昨夜は色々な事が気になってあまり深く眠れなかったのだ。
目を瞑れば、何かを言い淀むブラッドの苦し気な表情が思い出される。
彼は、いや、この旅は何かを隠している。
それに彼の肩にあったあの火傷跡の鳥かごは何なのか……。
昨夜は一晩中、疑問が頭の中でぐるぐると回り、少し眠ったかと思えば起きて悩み、また眠り……と繰り返していたのだ。
「……柚香お姉ちゃん、大丈夫?」
心配そうにリュカが尋ねてくる。
不安そうに見上げてくる彼の表情を見て、ようやく柚香は彼に何か話しかけられていたのだと気付いた。
「あ、ごめんねリュカ。ちょっと考え事をしていたの」
「何を考えてたんですか?」
「えっと……、ほら、前に居た世界の事よ。こんな大自然の中を歩いた事って無かったから、凄く新鮮なの」
抱いた疑問をリュカに問える事も出来ず、乾いた笑いを浮かべて誤魔化す。
幸いリュカはこの誤魔化しに気付きはしなかったようで、「ニホンってどんなところなんですか?」と尋ねてきた。
そうしてしばらく他愛もない会話を交わし、リュカがルーファスに呼ばれて彼等のもとへと小走り目に駆け寄っていくのを見届ける。
次いで柚香は深く息を吐いた。リュカと話をしていた時は気が紛れていたが、こうやって静かになるとまた疑問が湧いてくる。
分からないことばかり……、と、いっこうに解決しない思考に陥っていると、横からブラッドに声を掛けられた。
「少し休むか?」
柚香の歩みが少し遅れたことに気付いたのだろう。
彼は常に集団の最後尾を歩いている。後方から何かが追ってこないかを警戒し、なおかつ誰かが遅れを取って逸れないようにと気を付けているのだ。
現に今も、ブラッドが居なければ置いていかれていたかもしれない。立ち止まれば前を行く者達も気付いただろうが、少しずつ歩みを遅くしていては気付きにくい。
森は深く、背の高い草木が生い茂っている場所もある。気が付いたら柚香の周囲に人の姿は無く、一人取り残されて……なんて事もあったかもしれない。森の中では迂闊に物思いに耽るのも危険だ。
「大丈夫よ、ちょっと歩きにくい道だったから慎重になってただけ」
「……そうか。だが無理をするなよ」
「ありがとう。ブラッドの方こそ辛かったら言ってね。貴方の荷物、全部……とは言えないけど、半分ぐらいなら持てるから!」
任せて! と柚香がドンと軽く自分の胸を叩いた。
考え込んでいた事を誤魔化すためでもあるが、気丈に振る舞えば多少なり自分の気持ちも晴れそうだからだ。
それに、荷物に関しては常々思っていた事でもある。
荷物一つ無い柚香に対し、ブラッドはテントや他の荷物を背負っている。荷物量で言えば圧倒的に彼が多く、次点でヴィート、そしてルーファスの順である。荷物の殆どを三人が担い、比較的軽いものをリュカがリュックサックに入れて運んでいる。
それを考えれば、自分だって荷物の一つや二つ運ぶべきだろう。
だが柚香の訴えに対してブラッドは「気にするな」とあっさりと返すだけだ。荷物を渡すどころか分けようともしない。
だがこのまま甘え続けるわけにはいかない。
そう考えて柚香が食い下がろうとした矢先、足元を歩いていたニャコちゃんがスタスタと早歩きで少し前に進み出て……、
『ウルニャン』
と一声鳴いておもむろに横になった。
四足歩行からの突然の横転、音にするならばやはり『ボデンッ』である。
言わずもがな抱っこを求めているのだ。これには柚香も足を止めざるを得なく、同じように立ち止まったブラッドが前を行くヴィート達に「少し待ってくれ」と声を掛けた。
「俺達の会話を聞いて、手が空いてるならと考えたのか。さすが聖獣様だな」
「ニャコちゃんは荷物じゃないからちゃんと自分で歩かせなきゃ。ここは鬼にして進みましょう」
柚香がはっきりと断言し、ニャコちゃんを跨いで進む。
跨れたニャコちゃんはすぐさま起き上がり、スタスタと歩くやまたも柚香の数歩前でボデンッと横になった。
「ニャコちゃん、みんな頑張って歩いてるのよ。ニャコちゃんだけ抱っこはしないから」
『ミャン』
「もう、そんなに可愛い声を出して! 少しだけだからね!!」
ニャコちゃんが一際可愛らしい声をあげた瞬間、流れるような所作で柚香がニャコちゃんを抱き上げた。
腕の中に抱っこされたニャコちゃんが嬉しそうに『ウルルルル』と喉を鳴らす。
このやりとりにブラッドが分かりやすく肩を竦め、数歩先で様子を窺っていたヴィート達に「いつものだ」とあっさりと返した。
そうして一行はさして疑問を抱くことも口を挟むでもなく再び歩き出すのだから、柚香は思わずぐっと言葉を詰まらせた。彼等の態度はまるで柚香とニャコちゃんの一連のやりとりがお馴染みとでも言いたげではないか。
つまり、柚香は毎度ニャコちゃんに厳しくしようとしても甘えた声に負けて折れている、と言いたいのだろう。
さすがにこれは飼い主としての沽券に関わると、柚香は隣を歩くブラッドに「私だってたまには心を鬼にすることもあるのよ」と言い訳しておいた。
今回は、……いや、記憶の限りではこちらの世界に来てからはニャコちゃんの可愛さに折れてばかりだが、元居た世界ではニャコちゃんの我が儘を厳しく跳ねのけたことだってある。
……確か、あったはずだ。多分。すぐには思い出せないけれど。
「私だっていざという時にはニャコちゃんに厳しく接するの。その時にはきっとブラッドも私の厳しさに驚くと思うわ」
「災厄の住処に辿り着く前に一度ぐらいは見られると良いんだけどな」
ブラッドの口調はまるで望みが薄いとでも言いたげだ。挙げ句にやりと笑みを浮かべる。彼にしては珍しい表情ではないか。
これには柚香も眉間に皺を寄せ「失礼ね」と不満を訴えた。もっとも、その反応もまた楽しかったのだろう彼の笑みが強まっただけなのだが。




