22:静かな夜に深まる疑問
二人並んで座り、火を眺めながら過ごす。
殆ど黙ったままで、時折思い出したように柚香が話せばブラッドが簡素な返事をし、一つ二つ言葉を交わしてまた途切れる。
話が弾んでいるとは到底言えない。黙っている時間の方が長く、会話よりも火花が爆ぜる音の方が多い。
それでも不思議と息苦しさや気まずさは感じなかった。むしろこの沈黙が心地良くさえある。
どうしてだろう、と柚香は心の中で呟いた。
柚香はさしてお喋りな性格ではない。さりとて寡黙な性格とも言い難く、どちらかと言えば沈黙は苦手な方だ。
沈黙が続けば続くほど次に何を話すか悩んでしまい、相手が黙っていると失礼をして怒らせてしまったのではと不安になる。とりわけ異性相手だとその傾向が強い。
外見だけを見れば、否、外見だけではなく素っ気ない態度を含めたって、ブラッド相手ならばそうなっておかしくないはずなのに。
(この静かな時間が凄く落ち着く……)
出会ってまだ数日、お互いのことを何も知らない。
それでも今この沈黙は心地良く、そして彼も不快に思っていない事が彼の纏う空気から伝わってくる。
「不思議……」
思わず小さく呟いた柚香の言葉に、「ん?」と低い返事が返ってきた。
「どうした」
「えっ……、あ、えっと、違うの。ちょっと考え事していて」
無意識に口にしてしまった言葉を慌てて取り繕う。
(貴方と一緒にいる時間がこんなに心地良く思えるのが不思議、なんて言えるわけがないわ)
そう考え、なにか話題をと探して、ニャコちゃんへと視線を落とした。
先程毛玉と火の玉を吐いたニャコちゃんは、今は香箱座りで焚火を眺めている。火に当てられてニャコちゃんの顔は明るく照らされ、まん丸の瞳が普段以上に輝いて見える。
「そいえば、ちょっと疑問に思ってたことがあるの」
「なんだ?」
「ニャコちゃんは聖獣で、私は聖女でしょ? それが悪いものを倒すための旅に出るっていうのは、なんとなくだけど分かるの」
といっても、柚香にそんな経験があるわけがなく、元いた世界の日本においてもそんな事例はない。
ただ創作物の『セオリー』としての理解だ。
元よりインドア派でニャコちゃんが家に来てからは出不精にまで進化した柚香は、時間があると本を読んだりテレビや映画を見る事が多かった。もちろんニャコちゃんを膝に乗せてだ。
――以前にアウトドア派の同僚から『太陽を浴びて外の空気を吸わなきゃ』と言われ、柚香は真顔で『ニャコちゃんの視線を浴びてニャコちゃんを吸ってるから大丈夫』と答えた―ー
そうして見たり読んだ創作物の中には、聖女というキャラクターが出てくるものも幾つかあった。彼女達は今の柚香同様に旅に出て悪いものを倒したり、悪事を暴いたりしていたのだ。
創作物と現実を混同する気は無いが、今のこの状況はそのセオリーに似ている。
「ヴィートは王子様、ルーファスは神官。神官がどんな仕事かは分からないけど、なんとなく神がかって偉いんだと思う」
きっと今ここにルーファスが居れば「そうですよ、神官は凄いんです!」と胸を張っただろう。
……その仕草や態度にはあまり神秘めいた威厳は無さそうだが。
「それに、ブラッド、貴方は騎士でしょ。その三人が旅をするのは分かるけど、どうしてそこに孤児院で育ったリュカが居るの? 幼い子供をこんな森に連れていくなんておかしいじゃない」
リュカはまだ七歳の子供だ。
大人に囲まれて森を旅するにはあまりに幼過ぎる。現に、歩いている最中にリュカが疲れて休憩を入れることも多い。
柚香同様に火の番をすることはなく、自分もと言い出す彼を「しっかり寝なさい」とヴィートが頭を撫でながら諭しているのを見た。
そんな気遣いをするのに、なぜそもそも旅に連れ出したのか。
「もしかして、リュカもなにか特別な力があるの? まさか火を吹く!?」
「落ち着け、リュカはただの田舎村の子供だ。火は吹かない。リュカを連れて来たのは……、ただ、選ばれたからだ」
「選ばれた? 誰に?」
「それは……」
ブラッドが言葉を詰まらせ、挙げ句に他所を向いてしまった。
その態度は明らかにおかしい。横顔を窺えば、何かを言おうとし、必死に言葉を選び、それでも話せずにいるのが分かる。苦しそうな表情だ。
まるで、肩の火傷跡を隠すあの晩のような……。
「ブラッド、どうしたの……?」
案じて声を掛ければ、ブラッドが一瞬肩を震わせた。
だがすぐさま、柚香に二の句を継がせまいとするように「さっきの話だが」と続けてしまった。
「どうして俺を騎士なんて言ったんだ?」
「騎士って?」
「さっき、ヴィートが王子でルーファスが神官、そして俺の事を『騎士』だと言っただろう」
ブラッドが尋ねてくる。
きっとリュカについての話は終わりにしたいのだろう。無理やりな話題変更に彼の必死さが窺える。
気にはなるものの、先程の彼の辛そうな表情を思い出せばこれ以上言及する気にはなれず、柚香はこの話題変更に乗る事にした。
「どうしてって言われても……、王子様と神官がいるなら、それを守るのが騎士なのかなって思っただけ」
これもまた『セオリー』というものだ。
創作物にはよく『騎士』というキャラクターが出てきて、彼等は総じて立派な体躯を持ち、強く勇ましかった。ブラッドがまさにではないか。
だが結局のところ『元いた世界の創作物、それも日本の、更にこまかく分類化されたジャンルの一つで定番だった』という限定的な話である。
「あえて尋ねてくるってことは違ってたのよね。勝手に決めつけてごめんなさい、勘違いしちゃった」
「いや、構わない。……でもそうか、俺が騎士か」
間違えられた事は不快ではないのか、ブラッドが小さく笑う。
だがどこかその笑みには自虐めいた色があった。『そうだったら良いのに』と惜しむような、現実との違いを突きつけられ笑い飛ばすしかないような、そんな笑みだ。
なぜそんな表情をするのか。その理由も分からないのに、見ているだけで柚香の胸が痛む。
それなら、と出かけた疑問を飲み込んだ。
不用意に尋ねたら彼を傷つけてしまうかもしれない、そんな不安が胸に湧き、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「……騎士じゃないなら、貴方はどうしてこの旅に加わったの?」
「いずれ分かる。……その時には、お前だってとんだ勘違いだと笑いたくなるだろう」
そう告げる彼の声は低く落ち着いている。普段通りの声だ。
それでも僅かに細められた彼の目を見た瞬間、柚香の胸に言いようのない焦燥感と切なさが湧いた。痛いくらいの感情に耐えられず、無意識に胸元をぎゅっと押さえる。
「そろそろ俺も交代だ。お前も寝た方が良い」
「……ブラッド」
「明日は日が出てるうちに集落まで向かうから休憩はそう挟めない、よく寝ておけ」
強引に就寝を促してくるのは、話を続ける気はないと言う事なのだろう。
察して、柚香は隣で香箱座りをしているニャコちゃんをそっと抱き上げた。ニャコちゃんが『クルルルル』と鳴く。
「そうね、もう寝るわ。おやすみなさい」
「あぁ」
相変わらず素っ気ないブラッドの返事に、柚香は最後に一度彼を見つめ、ゆっくりと立ち上がってテントへと向かった。




