20:『お姉ちゃん』と『お兄ちゃん』
割って入ってきた制止の声に、柚香とリュカはもちろん、一部始終をお茶を片手に眺めていたヴィートとルーファスまでもが声の主へと向く。
制止の声を発したのはブラッドだ。
彼は一同の視線が自分に注がれると肩を竦め、次いでリュカを見つめた。「話せ」ということなのだろう、察したリュカが場を改めるように「あのっ」と上擦った声をあげた。
「別に柚香様の年齢とか、そういうのじゃないんです。ただ、僕、その……。お母さんが居たら、こんな風に優しくしてくれるのかなって思っただけなんです……」
「お母さんが?」
「はい。僕、孤児院で暮らしてて、お父さんもお母さんも居ないんです。孤児院の先生達は優しかったけど、みんな『先生』だし……」
リュカが育ってきた孤児院では、世話をしてくれる大人のことを『先生』と呼んでいたという。
常に孤児院に同じ『先生』が居るわけではなく、朝に来た者は夕食前には帰り、それと入れ替わるように夜から朝にかけての担当者がくる。更には曜日ごとに変わるというのだから、きっと担当制で回していたのだろう。
そのうえリュカが居た孤児院には子供は彼一人しかおらず、誰かと一日中ずっと共に過ごした事が今まで無かったのだという。
「だから、僕、『家族』っていうのに憧れてたんです……。それでつい……」
ずっと一緒に過ごし、そして自分の小さな傷を案じ、優しくしてくれる。そんな柚香の優しさに母の姿を見て、その思いから咄嗟に『お母さん』と呼んでしまったのだという。
「……ごめんなさい」
俯いて謝罪の言葉を口にするリュカの声は弱々しく、七歳の子供とは思えないほどの悲壮感を漂わせている。
これには柚香も彼の名前を呼び、ゆっくりと腕を伸ばすと抱き寄せた。
小さな体だ。それがまた子供らしく、こんな幼い子供の胸にそれ程の切ない想いが込められていたと考えれば柚香の胸まで苦しさを覚える。少しでもリュカの気持ちが楽になるようにとぎゅっと強く抱きしめた。
「怒ってないから謝らないで。私の方こそ勘違いして騒いじゃってごめんなさい」
「……柚香様」
「そうだ、私のこと『お姉ちゃん』って呼んでくれない?」
柚香の提案に、リュカがぱちんと瞬きをした。
「お姉ちゃん?」
「さすがに『お母さん』は年が違うけど『お姉ちゃん』なら良いでしょ。お姉ちゃんも家族だもの」
「柚香様は聖女なのに……、良いんですか?」
「もちろん」
躊躇いの色を見せるリュカに対してはっきりと頷いて返し、だから、と促す。
それを聞き、先程まで切なさを露わにしていたリュカの表情が徐々に明るくなっていった。
「柚香お姉ちゃん!」
呼んでくる弾んだ声の愛おしさと言ったらない。「なぁに?」と尋ねて返せばより笑みを強める。このやりとりがよっぽど嬉しいのか頬が赤らんでいる。
はにかむ表情も可愛らしく、柚香は穏やかに微笑むとリュカの頭を撫でた。茶色の髪がふわりと揺れる。
頭を撫でられたリュカはくすぐったそうに笑い、次いで自分達のやりとりを見守っていたブラッド達へと視線を向けた。
瞳が期待に満ちている。その瞳が何を言わんとしているのか、この状況と先程の流れならば誰だって分かるだろう。
「俺は構わない。むしろリュカみたいな素直な弟なら大歓迎だ」
ヴィートが微笑んで承諾すれば、リュカが嬉しそうに彼を「ヴィートお兄ちゃん」と呼ぶ。
それに返すヴィートの表情は嬉しそうだ。弟が可愛くて堪らない優しい兄の表情である。
そんなヴィートに続くのが、パッと手を挙げたルーファスだ。
「僕も大歓迎ですよ! リュカ君は優しくて親切ですし、理想的な弟です!」
「ルーファス様……、いえ、ルーファスお兄ちゃん!」
「はい、お兄ちゃんですよ。前に僕だけ夕食を食べ損ねそうになった時も、リュカ君は一緒に魚を捕りに行ってくれましたからね。こんなに優しい弟を持てて幸せです」
先日の事を話題に出しつつ――意外と根に持つタイプなのだろうか――、ルーファスがリュカを歓迎し、そのうえ手招きをする。
近付いてきたリュカの頭を撫でてやり、まるで自分達に馴染ませるように「ルーファスお兄ちゃん」「はい、なんでしょう」と数度繰り返した。じゃれ合うようなやりとりもまた兄弟らしい。
そうしてヴィートとルーファスとのやりとりが終われば、自然と誰もがブラッドへと視線を向けた。
彼はコップを片手になんとも言えない苦笑を浮かべている。だがもちろん嫌がっている表情ではなく、きっとヴィートやルーファスのように大っぴらに歓迎するのは気恥ずかしいのだろう。
「ブラッドさん……」
「……俺を兄と呼ぶメリットなんざ無いと思うが、呼びたいなら好きに呼べばいい」
彼の返事は相変わらず素っ気ない。
だがリュカにはこれが彼なりの歓迎の言葉だと分かったはずだ。
現に瞳を輝かせ、ブラッドのことも「ブラッドお兄ちゃん」と嬉しそうに呼んだ。ブラッドの返事が彼らしくなく歯切れが悪いあたり、きっと気恥ずかしいのだろう。だがやはり満更でも無さそうだ。
そうして最後にリュカが近付いたのは、柚香の膝の上で香箱座りをするニャコちゃん。
しゃがみ込んでニャコちゃんに目線を合わせながら「ニャコ様は?」と尋ねてきた。
「ニャコ様は小さいから僕より年下でしょうか? そもそも聖獣様に年齢はあるんですか?」
「聖獣に年齢があるかは分からないけど、猫にはちゃんと年齢があるの。でも人間とは違っていて、だいたい一年半で大人になって、翌年でもっと育って、そこから一年で人間の四歳分の年をとるのよ」
「四歳も? ニャコ様は成長が早いんですね、凄いです」
リュカが瞳を輝かせながらニャコちゃんを見つめれば、褒められている事は理解したのか、ニャコちゃんが得意げにふんと鼻を鳴らした。
この話に、ヴィートとブラッドは珍しい話を聞いたと感心しており、ルーファスだけは「そういえば以前にそんな話をどこかで……」と呟いている。
「ニャコ様の成長が早いなら、ニャコお兄様ですか? ニャコお兄様……」
今一つピンとこないのか、リュカが幼い顔付きながらに眉根を寄せてこてんと首を傾げた。
子供っぽくて分かりやすいその仕草と表情は周囲を和ませてくれる。柚香はもちろん、見守っていたブラッド達までもが穏やかな表情でリュカを見つめていた。
「確かに猫の成長は早いけどニャコちゃんは抱っこが大好きな甘えん坊だから、あんまりお兄ちゃんって感じはしないわね」
「それならニャコ様はニャコ様ですね」
やはりこの呼び方がしっくりくるのだろう、リュカが嬉しそうに話しながらニャコちゃんの頭を撫でる。
ニャコちゃんも異論はないようで、柚香の膝の上でぽわっぽわっと点滅し始めた。
なんて微笑ましい光景だろうか。見守る柚香も思わず表情を緩める。
だが心の中で、ほんの少し、僅かな引っ掛かりを覚えていた。




