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02:森の中の危機

 


 右を見ても木々しかなく、左を見ても木々しかない。

 人が通れそうな舗装された道すらも無く、もちろん人の気配もまったくない。

 静けさの中に時折草木が揺れる音だけが響き、それがまたこの状況の異常さを感じさせる。

 意識を失う前は夜の住宅街を歩いており、静かな道だと感じていた。だがこうやって本当の静けさの中に居ると、あの住宅街は家屋からの音や遠くを走る車の音、そして人の気配に溢れていたのだと今更になって思う。


「とにかく、まずは人を探した方が良いよね。携帯借りて警察に連絡しないと。でもどっちに行けば良いんだろう……」


 まさに右も左も分からないという状況。

 下手に動けば森の奥に行ってしまう可能性もある。だがこのまま立ち尽くしていても人が来るとは思えない。

 夜になれば周囲は真っ暗になるだろうし、根からインドアな柚香には真夜中の森の中で一晩を過ごす術なんてあるはずがない。

 なにより……。


「ニャコちゃんにご飯と暖かなベッドを用意してあげなきゃ! 行こう、ニャコちゃん!」


 ニャコちゃんと一緒なら怖くない!

 そう自分に言い聞かせるように意気込む柚香の声を聞きつけたのか、ガサリと音をたてて数メートル先の草が大きく揺れた。

 不意打ちの音に柚香の心臓が大きく跳ね上がり、つられて体もびくりと震えた。


「な、なに……?」


 音を探るようにそちらへと視線をやる。生い茂る草はいまだガサガサと揺れ、そして灰色の犬がゆっくりと姿を現した。

 子供一人ぐらいならば楽々と乗せられそうな大型犬。鋭い目つきをしており、柚香のことを睨むように凝視している。

 どことなく狼みたいにも見えるが、「さすがにそんな」と心の中で自分の考えを打ち消した。

 日本の、それも柚香の生活圏内にあるような森に野生の狼なんているはずがない……。


 だからこれは犬だ。

 唸りをあげる野犬の群れ。

 いや、それはそれで危機的状況であることに変わりは無いのだが。


「ニャコちゃん、野犬だよ……。危ないから私から離れないでね……」


 野犬と対峙しながら半歩後ずさる。

 本当はすぐにでも踵を返して走り出したいところだが、犬を相手に逃げきれるわけがない。それも一匹ではなく続くように数匹現れるのだから、囲まれ襲われて終わりだ。

 それにこういう時に取り乱して逃げ出すのは得策ではない。

 落ち着くように自分に言い聞かせ、ぎゅっとニャコちゃんを強く抱きしめた。


 ニャコちゃんは柚香の家に来てからは一歩も外に出ていない。――例外は動物病院だが、通院時は猫用キャリーバッグに入っている。時折、洗濯ネットに入れたうえでキャリーバッグに入れることもある――

 猫を含め他の動物を見る機会は少なく、散歩中の犬や猫を窓から眺めるだけだ。


 そんな箱入り娘ならぬ箱入り猫なのだから野犬の群れなんて恐怖でしかないはず。

 そう考え、視線は外せないながらも腕の中のニャコちゃんへと意識を向ければ……。


『ヴーグゥーカッカッカッ!』


 勇ましい唸りと逞しいクラッキングが聞こえてきた。

 それはそれは、今まで聞いた事ない低い唸り声である。


「ニャコちゃんってば意外と好戦的……!」


 愛猫の頼もしさに感動しながらも、ひとまずニャコちゃんをそっと服の中に隠す。

 確かにニャコちゃんは頭が良くて頼りがいのある猫だ。だがいかんせん家猫である。それもだいぶ甘やかして育ててきた。

 普段戦っているのは羽のついた猫じゃらしと蹴りぐるみで、生き物と争ったことはない。

 そんなニャコちゃんが野犬の群れを相手になんて出来るわけがない。


(そもそもニャコちゃんにそんな危ないこと、私がさせない!)


 そう決意を新たに、服の中のニャコちゃんをぎゅっと抱きしめる。

 野犬は怖いが、この小さく愛らしい命を守らなくては。


「ニャコちゃん、大丈夫だからね。私が守ってあげるから……!」

『ウグルァァァァ、シャァァァアア!』


 震えながらニャコちゃんを抱きしめる柚香に対して、服の中に押し込められたニャコちゃんは襟元から顔を出して激しく威嚇しだした。

 こんな場面で飼い主も知らない闘争心を剥き出しにするのはやめて頂きたい。そっと頭を押して服の中に押し戻す。


 そうして震える足をなんとか動かし、ゆっくりと半歩ずつ、気付かれないように距離を取ろうとし……、


 パキンッ、


 と踏み抜いた小枝が折れる音にはっと息を呑み、つられるように足元に視線を落とした。


「……っ!」


 しまった! と、己の失態に気付くやすぐに顔をあげる。

 だが野犬がその隙を見逃すわけがなく、牙をむいた野犬が一斉にこちらに向かって走ってきた。


「きゃっ!」


 思わず声をあげ、後ろへと足を退こうとし……、カクンと足の力が抜けた。こんな状況なのに、いや、こんな状況だからか、体に力が入らない。

 倒れる。それが分かっても倒れる体を支えることが出来ない。

 景色が斜めに傾いていくのが、それどころか襲ってくる野犬の姿さえも、まるでスローモーションのように感じられ、柚香は恐怖にぎゅっと目を瞑った。


 次の瞬間、


「そこに居ろ」 


 低い声が聞こえると共に、何かが柚香の横を擦り抜けていく。

 それが野犬へと向かっていくのが視界の隅に見えた瞬間、ズサッと音を立てて柚香の体が地面に倒れ込んだ。


「……いたっ!」


 体を打ち付けた痛みで一瞬呻き、だが今はそれどころじゃないと顔を上げ、目の前の光景に目を見開いた。

 一人の青年が野犬を大振りのナイフで切りつけ、続いて飛び掛かってきた野犬の牙を返す刃で受け止めている。

 先程まで柚香に対して牙を向けてきた野犬達は突如現れた青年に標的を変え、僅かに距離を取って唸りだした。その数は五匹、切り付けられた一匹は倒れたまま動かないが、それでも分が悪いことには変わりない。


「あ、あの、貴方は……。あぶないから、に、逃げて……」

「動くな。静かにしていろ」


 視線は野犬に向けたまま、青年が低い声で告げてくる。

 彼の言葉に柚香は返事も出来ず、ただ恐怖で体を強張らせた。




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[一言] ……木々の危機(ぼそり)
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