19:獣人の集落と、ぽわっと光るニャコちゃん
旅は順調、……かどうかは、生憎と柚香には分からない。
なにせこの森がどれだけの規模なのかも、どこに向かっているのかも、出会った時に説明こそされたが今一つぴんとこないのだ。
彼等と出会って以降、ずっと北を目指して進んでいた。これが日本の整備された道だったならだいぶ進んでいただろう。
だが森の中の獣道では進みも遅く、とりわけ根がインドアの柚香と幼いリュカ、それに見るからにデスクワークなルーファスは体力が尽きるのが早い。頻繁に休憩を入れ、そのうえ暗くなる前にテントを張れる場所を探して……と、実際にはそうたいして進んでいないのかもしれない。
「明日の昼過ぎには集落に着くだろうな」
地図を眺めていたヴィートが呟くように話したのは夕食の後。焚火を囲み各々が好きに過ごしていた時の事だ。
彼の言葉に、膝の上で香箱座りをするニャコちゃんを撫でていた柚香はパッと顔を上げた。
「集落? こんなところに人が住んでるの?」
「あぁ、人と言っても獣人だけどな」
「獣人……」
獣人とは、なんとも異世界らしい話ではないか。
単語から想像するのは、人間と動物が混ざり合った生き物。柚香は漫画や小説を読む事が多く、そういった創作物には時折『獣人』という種族が出てきていた。
殆ど人間と同じ見た目でありながら猫や犬を模した耳を着けているタイプも居れば、殆ど動物と言える風貌ながらに二足歩行し人間と同じ衣類を纏うタイプ、中には普段は人間の姿をしているが実は……なんていうタイプの獣人も居た。
柚香とニャコちゃんが元いた世界には『獣人』は存在せず、ゆえに決まった形もなく、創作物の中での獣人の幅は広かったのだ。
だがこちらの世界には『獣人』という種族が存在している。
(やっぱり異世界なんだ……)
改めて元居た世界との違いを実感していると、ナイフを研いでいたブラッドがこちらを見つめ「怖いのか?」と尋ねてきた。
「怖い?」
「獣人の中には凶暴なやつもいて、それを怖がるものは少なくないと聞いたことがある」
「そうなの?」
「だがここの集落で暮らす獣人はおおむね人間に対し友好的な者達らしい。鳥や兎といった獣人が多く、脅しに使うにはその手の獣人は向かないと聞いた」
「お、脅し……?」
ブラッドの口から出た物騒な言葉に柚香がぎょっとする。
だが彼は自分の発言に対して説明するでもなく「こっちの話だ」とだけ告げ、置いていたカップを取ると口を付けた。これ以上は話をする気はない、という事なのだろう。
そんな彼を柚香はじっと見つめ、次いで小さく笑みを零した。
「大丈夫よ、怖いわけじゃない。ただ私が居た世界には『獣人』が居なかったから、どんな人達なのかなって考えただけ」
「……そうか」
「心配してくれてありがとう」
さり気ない気遣いと優しさが嬉しくて礼を告げれば、ブラッドは一瞬だけ眉を動かしたものの、なにも言わずにもう一口とカップに口をつけた。
そんな彼の仕草に柚香は自分の表情が和らぐのを感じ……、だが次の瞬間、聞こえてきた「あちっ」という声に慌ててそちらへと視線をやった。リュカがパタパタと片手を振っている。
「リュカ、どうしたの?」
「あ、大丈夫です。ちょっと火の粉が飛んできてびっくりしただけです」
大丈夫だとリュカが片手を擦りながら話す。
どうやら焚火に小枝を投げ入れようとしたところ、爆ぜた火の粉が手に掛かったらしい。
「火傷してない? 見せて」
柚香が片手を差し出せば、リュカがおずおずと擦っていた方の手を乗せた。
月明かりと焚火が頼りの中ではよく見えない……、と柚香が目を凝らしたところ、膝の上に乗っていたニャコちゃんがぽわっと光り出した。
「ニャコちゃん?」
「わぁ、ニャコ様、光って綺麗ですね」
ぽわっと光ったニャコちゃんをリュカが嬉しそうに褒める。
ニャコちゃんは光ったまま香箱座りでじっと目を瞑っており、それでもリュカからの褒め言葉には耳をピクリピクリと動かしている。試しにと耳を突けば光が少し強まった。
「……そうね、炎を吹いて電撃を放つんだもの、光ったっておかしくないわ。ありがとうニャコちゃん、これで見やすくなる」
ニャコちゃんの光は淡い色合いをしており目に優しく、そしてリュカの小さな手を照らしている。
その手の甲の一部がほんのりと赤くなっており、「ここ?」と優しく擦りながら問えばリュカがこくりと頷いた。
火傷をしたという場所に手を添え、意識を集中させてそっと撫でる。
聖女の癒しの力だ。こんな微々たる使い方でもリュカは感動したようで、火傷の傷が治ると自分の手をまるで貴重なもののように瞳を輝かせて見つめ「わぁ」と感嘆の声を漏らした。
次いで跳ねるようにパッと顔を上げ、
「ありがとう、お母さん!」
弾んだ声で柚香に感謝を告げてきた。
「……え?」
言われた柚香は思わず間の抜けた声をあげてしまう。
次いで己の頬を押さえた。自分の手が震えているのが分かる。
「私……、七歳の子供が居そうな年齢に……見えるの……?」
リュカは今年七歳になったと言っていた。
そんなリュカの母親となれば三十歳前後と考えるのが普通だ。
対して柚香はまだ二十代の前半。つまり、下手すると十歳近く年を取って見えるということに……。
これはなかなかにショックである。手が震えるのも仕方あるまい。
「ち、違うんです!」
「良いの……。大丈夫、受け入れるわ。確かに最近ニャコちゃんに構ってばっかでスキンケアとかサボっていたもの。パックをつけるとニャコちゃんが逃げていくからやめてたけど、日本に帰ったその日からお風呂上がりのパックは再開するわ!」
「あの、本当に違うんです!」
「あ、もしかして、異世界からきた日本人は年上に見られるとか!? そうね、そうに違いない。きっとこの世界の女性は成人しても幼くてツヤツヤなんだわ。『外国では日本人は若く見られる』ってたまに聞くけど、異世界ではその逆なのね! でもお風呂上がりのパックは再開するわ!」
「違うんです、柚香様!!」
柚香とリュカの声が静かな森の中に続く。
そんな中、
「落ち着け」
と、低く落ち着いた声が場を制した。
荒らげているわけではないのにその声はよく通り、柚香とリュカがぴたりと話すのを止めた。




