16:ハッピーシュガーあらためニャコ様
ニャコちゃんはルーファスに抱っこされ、満足そうな表情で眠っている。柔らかさが見ているだけで伝わる体、丸く大きな目は今は閉じられているが柚香が呼べばパチリと開いてこちらを見つめてくれるだろう。
猫が人間の言語をどれほど理解出来ているかは定かではない。だが確かにニャコちゃんは柚香の話を理解している。
とりわけ自分の名前はきちんと把握しており、別の部屋から「ニャコちゃん」と呼んでもウニャウニャと返事をしながら現れるのだ。
だけど、と考え、柚香が試しにニャコちゃんを呼んでみた。
だが普段の呼び方とは違う。
「聖獣様、聖獣ニャコランティウス様」
その呼びかけに、ニャコちゃんの耳がぴくりと揺れた。だが揺れるだけだ。
もう一度「ニャコランティウス様」と呼ぶと三角耳がピピッと揺れ、ニャコちゃんがうっすらと目を開けた。怪訝な顔をしている。
「やっぱり……」
「どうした」
確信を抱いて柚香が呟くと、それを聞いたブラッドが不思議そうに尋ねてきた。
ヴィートやルーファス達も不思議そうに柚香へと視線を向けてくる。ニャコちゃんだけはまた眠ってしまった。
「ニャコちゃん、多分だけど『ニャコランティウス』が自分の名前だと把握してないと思うの」
「把握していない? だがさっき目を開けただろ」
「あれは多分、私の声だから反応したんだと思う。普段ニャコちゃんは名前を呼ぶと返事をしてくれるの。名前の他にも『可愛い』とか『天使』とか『世界一』とか『ハニーキャットちゃん』とか、あと『ハッピーシュガーちゃん』って呼んでもちゃんと返事をしてくれるわ」
「日頃の溺愛ぶりが窺えるな」
「存分に窺ってくれていいのよ。……そうじゃなくて、私の声には反応したけど、『ニャコランティウス様』が自分の名前とは思ってないから返事をしなかったとしたら、今後なにかあっても反応出来ないと思う」
ニャコちゃんにどれだけこちらの言葉が通じているかは分からない。
以前にルーファスが『聖獣様は人間の言語を少しなら理解できる』と言っており、確かに以前よりニャコちゃんと意志の疎通が出来ている気がする。「遠くに行かないで」「あっちのテントで待っていて」など、それぐらいの話ならきちんと従ってくれるのだ。――もっとも、こちらの話を理解したうえで言う事を聞く聞かないはニャコちゃん次第である。先程、さいさん「歩いて」と言っていたのに微動だにしなかったのがまさに――
きっと有事の際にはこちらの呼びかけに応え、火を吹いたりと協力してくれるだろう。
だがその際『ニャコランティウス様』と呼んでニャコちゃんが反応してくれるかは定かではないのだ。かといって「ニャコちゃんはニャコランティウス様なの」と説明したところで理解出来るかも分からない。
「だから、『ニャコランティウス様』の呼び方を変えた方が手っ取り早いと思うの」
そう柚香が話せば、誰もがなるほどといった様子で頷いた。
もっとも納得はしつつも口籠っているあたり、はいそうですかで『ニャコちゃん』と呼べるわけではないようだ。
「ニャコランティウス様は聖獣。聖獣とはこの国どころか大陸でなにより尊い存在。そんなニャコランティウス様を『ニャコちゃん』とお呼びするのは……。ねぇ、ヴィート様」
「そうだな。柚香は本人が言い出したからまだしも、聖獣相手だと不満に思われてるかも分からないから呼びにくいな」
ルーファスとヴィートが気まずそうな表情で話し合う。
これにはブラッドも同意なようで、彼は話し合いにこそ参加しないが眉根を寄せ、困惑の色をうっすらと浮かべている。
彼等の反応に、柚香はどうしたものかと考えを巡らせ……、
「ニャコ様っ!」
というリュカの声と、それに応えるような、
『ンーナン』
というニャコちゃんの声に、驚いて彼へと視線をやった。
リュカはルーファスの腕の中にいるニャコちゃんを覗き込み、もう一度「ニャコ様」と呼んでいる。
ニャコちゃんはまだ寝ぼけているようだが、それでもリュカに『ニャコ様』と呼ばれると返事をし、そして抱っこの態勢ながらぐんと顔を伸ばして彼の頬に額を寄せた。
「ニャコ様?」
「はい。ニャコランティウス様じゃない呼び方なら何が良いかなと思って。柚香様はニャコランティウス様を『ニャコちゃん』と呼んでるので、『ニャコランティウス様』と『ニャコちゃん』を合わせてみました」
どうでしょう? とリュカが尋ねてくる。
だがその返事は柚香より先にニャコちゃんがしてくれた。
『キャッ』という可愛らしい高い声。見れば丸い目でこちらをじっと見つめてくる。
「ニャコ様」
と、もう一度リュカが呼ぶ。
これにはニャコちゃんが再び『ニャッ』と高い声を返した。名前を呼ばれて注目もされてご満悦だ。
「なるほど、敬う気持ちも込められているし、呼びやすい名前だな。ニャコ様」
今度はヴィートが呼べば、ニャコちゃんはルーファスの腕の中でぐるりと顔だけを彼に向け、『ウーニャン』と鳴いて返した。
「俺は別になんでもいいが、確かに短い方が呼びやすいな。ニャコ様、か」
悪くは無いと言いたげにニャコちゃんを呼んだのはブラッド。
強面の彼が『ニャコ様』と口にするのはなんだかギャップがあって面白いが、ニャコちゃんは今度は彼へと向き直ると『ンー』と口を閉じたままだが返事をした。
そうして順繰りに名前を呼べば、最後に残されたのは……。
「ニャコ様! 聖獣ニャコランティウス様を特別なお名前でお呼びすることを許可されるなんて……! ニャコ様、ニャコ様!」
と、嬉しそうにニャコちゃんを抱きかかえたまま呼ぶルーファスである。
これにはニャコちゃんも返事を……、せず『っふーん』と勢いのよい鼻息だけで返した。
「ニャコ様、どうして僕にだけ返事をしてくれないんですか!?」
「多分、呼ばれ飽きたというか、みんな呼ぶだけで特に用事が無いのを悟ったんじゃないかな」
見れば、たらりと垂れたニャコちゃんの尻尾がパタパタと揺れている。
ルーファスの体を尻尾で叩いているように見えるのは、きっと『用もないのにニャコちゃんを呼ばないで!』という意味なのだろう。
元よりニャコちゃんは眠っていたのだ。そこを呼ばれたからわざわざ起きて律儀に返事をしたのに、呼ぶだけ呼んで誰一人として用件は特に無し……となれば不満に思うのも無理は無いか。柚香だって、仮に自分が寝ているところをしきりに名前を呼ばれ、それでいて用もないとなれば「なによぉ」と文句ぐらいは言ったかもしれない。
もっとも、ルーファスの腕の中で微動だにしないあたり抱っこは継続させたいのだろう。
不満は思えども退きはしない。相変わらずニャコちゃんは抱っこが大好きなのだ。




