15:腕の中の少し重いふわふわの幸せ
そうして人間は歩き、ニャコちゃんは抱っこで森の中を進んでしばらく……。
「ニャコちゃん、ちょっと自分で歩かない?」
そう柚香が腕の中のニャコちゃんに声を掛けた。
ちなみに返事は無く、聞こえるのはプスプスという寝息である。抱っこして歩き出して五分程経った頃だろうか、ニャコちゃんはアーモンドのようなくりっとした目を次第にとろんとさせ、気付けばすっかりと眠っていたのだ。
そして眠ると同時にニャコちゃんの重みが増し、柚香の腕に限界がきはじめた。
重い。といっても、ニャコちゃんは太っているわけではない。
野良ゆえに正確な猫種と年齢は分からないが、掛かり付けの獣医が想定する猫種と年齢からみる平均的な体重はしっかりとキープしている。ニャコちゃんは食いしん坊だが、そこはちゃんとダイエットフードや適したおやつで押さえているのだ。
それでもやはり生き物一匹の重さはある。とりわけ柚香はさして鍛えているわけではなく、仕事も主にデスクワークで重労働とはかけ離れた生活をしている。ニャコちゃん一匹とはいえ抱っこし続けるのはなかなかに厳しいのだ。
「ねぇニャコちゃん、ちょっと寝て元気になったでしょ? だから少しだけ」
『プー……プー……』
「なんて可愛い鼻息……! これは起こせない!」
うぅ、と思わずニャコちゃんの可愛さに胸を打たれる。
これほどまでに全幅の信頼を寄せて眠るニャコちゃんをどうして起こせるのだろうか。更に寝起きに森の獣道を歩かせるなど、そんな酷なことを強いれるわけがない。
「さよなら、私の両腕……。ニャコちゃんのために使えなくなるのなら本望……」
「あ、あの、柚香様! 僕がニャコランティウス様を抱っこして良いですか?」
腕と別れを告げる柚香の服を、リュカが控えめながらにくいと引っ張った。
背伸びをして柚香の腕の中のニャコちゃんを覗き込み、ニャコちゃんと柚香を交互に見る。瞳は期待で輝き、ニャコちゃんを覗き柚香を見上げと顔を動かすたびに茶色い髪がふわりふわりと揺れる。
無邪気な彼の申し出に、柚香は「良いの?」と尋ねた。リュカがよりいっそう瞳を輝かせ、「はい!」と返事をする。
だが次の瞬間にぱふっと両手で口元を押さえるのは、大きな声を出したらニャコちゃんを起こしてしまうと考えたからだろう。
「あ、リュカ君いいな! 柚香様、僕も! リュカ君の後で良いんで、僕もニャコランティウス様をお運びしたいです!」
リュカに続いて名乗り出るのはもちろんルーファスである。
「それなら、まずはリュカが抱っこしてくれる? 片腕はお尻を支えるように回して、もう片方の腕で体に寄せるように押さえれば安定するから」
「は、はい……!」
「緊張しなくても大丈夫よ。嫌になったら腕を突っ張ったり動き出すから、そうしたら下ろしてあげてね」
「分かりました」
緊張した面持ちで、言われたとおりにリュカがニャコちゃんの体に腕を回す。
まるで大事な宝物を授かったような緊張ぶりだ。――柚香にとっては間違いなく宝物なので間違いでは無いが――
対してニャコちゃんはと言えば、移動させる時こそうっすらと目を開けて様子を窺っていたが、リュカの腕の中も悪くないと考えたようで再びゆっくりと目を閉じて眠ってしまった。ふぅん、と漏らされたやたらと余韻のある鼻息は『悪くない』とでも言っているのだろうか。
「わぁ……、ニャコランティウス様、ふわふわしてますね。それに暖かい」
嬉しそうにリュカが話す。あどけなさの残る幼い少年が猫を抱っこしている様は、相乗効果でより微笑ましい。
柚香もつられるように穏やかに微笑み「よろしくね」とリュカの頭を撫でた。
「えっ……」
腕の中のニャコちゃんを眺めていたリュカが、頭を撫でられたことで驚いたように顔を上げる。
「あ、ごめんね。嫌だった?」
慌てて柚香が手を引く。彼のあどけなさに絆されてつい頭を撫でてしまったが、失礼だったろうか。
だが柚香の謝罪に対して、リュカは頬を赤くさせてふるふると首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。……えへへ、ちょっとビックリしちゃって」
そう返すリュカの表情には嫌悪の色はなく、本当に驚いただけなのだろう。こちらを見上げる表情も嬉しそうだ。
良かった、と柚香は微笑み、彼と並んで歩き出した。
しばらくはリュカがニャコちゃんを抱っこしていたが、やはり少年の腕では限界がくる。
元よりリュカは細身の少年だ。七歳だと言っていたが、同年代の少年少女と並んでも小柄で線の細い方に入るだろう。さすがに痩せ細っているとまでは言わないが、夏だろうと冬だろうと薄着で駆け回るいかにも少年真っ盛りなイメージはなく、部屋で図鑑を眺めて瞳を輝かせるような大人しい少年の印象を受ける。実際の性格も、同年代の少年少女よりも落ち着いて思慮深い。
そのうえ緊張しながらニャコちゃんを抱っこして森の中を歩いているのだから、疲労がすぐに来てもおかしくない。
「ルーファス様、次お願いしても良いですか?」
「はい! 任せてください!」
待ってましたと言わんばかりにルーファスが答える。
そうして先程柚香が教えたことをリュカがルーファスに伝え、そっとニャコちゃんを彼の腕へと移動させた。
今回もニャコちゃんは薄っすらと目を開けてリュカとルーファスを交互に見ていたが、この移動もまた不満は無いようでふんすと一度鼻息を吐くと再び眠りに戻ってしまった。
ニャコちゃんは抱っこが大好きなので、多少ぎこちなくても満足するのだ。
「聖獣ニャコランティウス様を目にするどころか、触れて、更に抱きしめられるなんて……!」
「ルーファス様、ニャコランティウス様、ふわふわしてますよね! あったかくてふわふわです!」
「そうですね、リュカ君。こんなに柔らかくて暖かくて、それでいて程よい重み。なんて素晴らしいんでしょう。さすが聖獣ニャコランティウス様……! さっそく手帳に書き記したいんですが、今はニャコランティウス様をお運びする事にこの両腕を捧げないと!」
リュカとルーファスが感動しニャコちゃんを褒め称える。どうやら二人ともニャコちゃんを抱っこ出来たことが随分と嬉しいようだ。
さすがに二人程とは言わないがヴィートも興味があるようで、興奮して話す彼等を眺めている。
「ブラッド、俺が先でいいか?」
「……別に構わないが、俺は別に聖獣を運ばなくても良い。他の荷物があればそっちを持つ」
「そう言うなって。暖かくてふわふわしてるらしいじゃないか、お前だっていっぺん持ってみたいだろ。それにこれ以上ないほどの縁起物だぞ」
「縁起物って言われても……」
そんな会話をヴィートとブラッドが交わす。
彼等のやりとりを聞きながら、柚香はルーファスに抱っこされるニャコちゃんへと視線を向けた。




