『財宝は白霧の中に』6
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最後の石を天秤から下ろすと、滝の噴出は止まり、前方と後方、両方の門が重い音を立てながら開き始めた。大急ぎで石を片付けたおかげで、体中がガタガタだ。
「何もないのが真の平和か」
『ゼロなら奪い合う事はないからね』
「ねえ、あれ……」
バンビが門のほう指さす。開き切った水門の向こうに、それは現れていた。
船だった。かなり古くに造られた木造船だ。だが、マストはなく、湿気のせいか船体は痛み、かつては海賊の印が描かれていたであろう帆は、破れてほとんど残っていない。
「これが……お宝?」
バンビが拍子抜けしたような声を出した。ヴィクトルが苦い顔で煙草を噛みしめている。
「嘘でしょ……。こんなボロボロの船が財宝だっていうの?」
嫌な沈黙が訪れていた。おれは煙草を一本取り出して銜えると、火を着ける。
「いや。宝はあるぜ。時価七億ギルヴィのお宝はな。あとは最後の手がかりを見つけりゃいいだけだ。八体目の天使をな」
がさり、と後方で不躾な足音がしたのはその時だ。
「そうかい。なら見つけてもらおうか」
聞こえてきたのは、あの海賊野郎の声だ。
「何でお前がここにいるんだ? 海賊ダッチ」
新たに散弾銃を構えたバナーズがこちらを狙っている。そのバナーズを従えた海賊ダッチは、いかにも悪党というような笑いで口の端を歪めた。
「なあに、俺にも情報網はあるのさ。探偵タルボ・リーロイ・コール」
汚らしい発音で、ダッチの野郎がおれの名を呼ぶ。
「おかしいな。自己紹介した覚えはないぜ」
「はっ。ほかに気にする事があるんじゃねえのか? 無駄な抵抗はやめて、大人しく宝まで案内するんだ。そこの女が無残に吹き飛ぶところを見たくはねえだろ」
なるほど。散弾銃の銃口はバンビに向けられている。だが、運の良い事にバナーズの少し手前には、すでに拳銃を持ったヴィクトルがいる。
「タ、タルボ……」
「落ち着け、バンビ。おい、海賊野郎。お前こそ忘れていないか。こっちには戦える奴が二人いるんだぜ」
おれは肩のツマミを左に倒す。モードヒート。あの筋肉ダルマにマッスルの拳は通用しない。なら、奴には悪いがちょっとばかり火傷してもらう。
「引き金を引く前によおく考えるんだな。どうするのが一番利口か」
「ふん。どうするか、だと?」
ダッチの奴は笑う。いやに余裕を浮かべて。
「そんなもの決まっているだろう?」
その視線がおれから別の奴に向けられる。バナーズでも、バンビでもない。
その男は手にしたマカロフをゆっくりと持ち上げると、静香にバンビへと照準を合わせる。
「ヴィクトル……さん……?」
「すみませんね、記者さん。だが、もうこれ以上宝探しに付き合うのは御免だ」
「何の真似だ、中尉?」
おれの言葉に、ヴィクトルはこれまでにないくらい苛ついた表情をしてみせる。
「おいおい。依頼人に対してその口の利き方はないだろう、探偵さん?」
さっきまでの丁寧な口調は紙くずのように奴の中から吹き飛んでいた。
「いつからだ。いつからこいつらと……」
「最初からさ。あんたに宝探しを依頼する前に、あらかじめ協力者を作っておいたんだよ。俺一人じゃ、宝を奪う時にあんたを殺せないからな」
酷薄な笑みを浮かべて、ヴィクトルが言う。
「何故だ。何のためにおれに宝を探させたんだ……」
「それが、俺が受けた依頼だったからだよ。あの妙なじいさんからな」
「何だと?」
「あんたに話した宝の手がかりのくだりな。あれは妙な事に本当の事だったんだよ。俺の正体がバレちゃ困るし、こうして銃も持っておきたかったらな。仕方なく今回は軍人に化けたんだが……。やり辛いったらありゃしねえ。あのサヴィーツァ人のじいさんの家じゃヒヤヒヤだったよ。ま、そんな事はもうどうでもいい。その妙な腕を外してバナーズに渡せ、探偵。この子の頭が吹っ飛んでもいいのか」
バンビの顔がみるみる青ざめていく。バナーズの奴がゆっくと近付いてくる。
「おっと。その腕はいつも状態に戻してから渡せよ? そいつが妙に熱くなったり筋力が増幅されるのは見させてもらったからな。先にスイッチを切りな」
「わかった……」
おれはツマミを真ん中に戻し、モードノーマルへと戻す。熱が急速に引いていく。ショットガンを構えたバナーズがおれの数メートル手前で止まる。
「さあ、そいつを外して投げて寄越しやがれ」
「ああ、今やるよ」
おれは義腕の接続部分に左手をやり、いつものやっているようにまず神経接続をカットすべく指を動かそうとし――
――心頭滅却によって、我、能うを悟る――
「ふっ――!」
異国の師より授けられし、秘技、〈悟能〉。脳のスイッチを入れ、身体能力を瞬間的に向上させる!
「なっ!?」
バナーズの驚きが声となった時にはすでに、おれの蹴り足が奴の腹に直撃していた。
「探偵!」
ヴィクトルが叫ぶ。引き金を引くために、その指には力が込められているだろう。だが、遅い。
「ベン!」
おれが合図するの同時に、ベンジャミンがタイヤを転がしながら高速でバンビへ接近し、膝の裏を突いてその体勢を崩す。
「きゃっ!?」
バンビの体勢が崩れのと同時に、ヴィクトルが引き金を引く。だが、その射線上にバンビの体はない。弾はむなしく岩肌に着弾する。銃弾が岩を砕く鈍い音。
「バンビ!」
おれは彼女の襟首を後ろから掴み、敵の三人から遠ざけるべく水門のほうへ投げる。だが、同じタイミングでヴィクトルが照準を修正しているのを見て捉える。
「このクソドロイドが!」
「ベン、避けろ!」
おれの言葉に走り出すベンジャミン。だが、銃声が二発轟き、そのどちらもがベンジャミンのボディを貫通する。
「ベン!」
走り出そうとしたおれに向かって、巨大な何かが空を裂いて迫ってきた。ブーメランだ。折れ曲がったククリナイフのような巨大なブーメランが物凄いスピードで迫ってくる!
「くっ!」
身を屈めて躱した刹那、新たな銃声とともに、おれの義腕に衝撃が走った。しまった。ブーメランは目くらましだ。
続く後頭部への一撃。おれは地面に叩き付けられる。バナーズだ。散弾銃のストックでおれの頭を殴ったのだ。
耳障りな金属音。鋭利なブーメランの刃が水門に突き刺さっていた。バナーズが近付いてくるのがわかる。
「この機械男が!」
罵声とともに上げたバナーズの蹴り足をおれは身に受ける前に右手で掴み取り、無造作に投げ飛ばす。情けない悲鳴を上げて再びバナーズが転げる。
だが――
「タルボ……」
聞こえてきたのは、バンビのか細い声だった。
後方で砂利を擦るような音がした。投げ方が甘かった。バナーズの奴を転がしても大ダメージとまではいかなかったようだ。
「残念だったな」
丸太みたいな腕でバンビの首根っこ締め付けながら、もう片方の手に構えた年代物のパーカッションロック式拳銃で、海賊ダッチはおれの胸元を狙っていた。
「形成逆転だ、探偵さんよ。お前の味方はそこに転がったチンケなドロイドだけだ。諦めるんだな」
奴の言う通り、ベンジャミンは泥だらけになりながら、地面に横倒しになっている。モノアイが点灯していないところを見ると衝撃による燃料切れか、あるいは中身がイッちまったのか……。
「ようやく海賊らしい真似をしたじゃねえか。ただのコスプレ野郎じゃなかったってわけだ」
両手を挙げながらも、おれは言ってやった。
まだだ。まだ、完全にこちらの負けってわけじゃない。
「タルボ……!」
「心配するな、バンビ。おれが必ず助けてやる」
青ざめた顔で叫ぶバンビに、おれはそう言って聞かせる。途端、海賊野郎が弾けたように笑いだした。
「ハッハッハッハ! この状況でどうしようってんだ? その義手が飛び出しでもするのか?」
ぎゃはははは、とおれの後方で銃を構えている海賊の部下が下品な笑いを上げる。
「強がるなよ、探偵。お前は負けたんだ、この海賊ダッチにな」
「相手の手札も見ずに勝ちを確信か。ポーカー弱いだろ、お前」
銃声が青く照らされる地下空間に響き渡る。一瞬、頬が熱くなって、うっすらと血が流れだす。
「黙りやがれ! てめえの強がりにゃうんざりだぜ! さあ、二度目はねえぞ。今度はお前がよく考えて答えるんだな。例のお宝はどこにある?」
古臭い拳銃が再びおれに照準される。
「……オーケー。わかった、わかったよ」
慎重に、おれは言った。
「降参だ。八体目の天使の在処を教える。その代わりバンビを放してくれ」
「おいおい。まだ自分の立場がわかってねえのか? 何かを要求出来る立場じゃねえだろ?」
バナーズが後ろからがなり立てる。
ヴィクトルの奴が動いたのはその時だった。動かなくなったベンジャミンの腕を掴み、無造作におれの前へと放り投げる。
「貴様!」
「いやいや、先にちゃんと教え込んでおいたほうが良いと思ってね。正直なところ、俺はこの手のドロイドって奴が大嫌いだ。人間でもないくせに人間みたいに喋りやがって。気持ち悪い」
ヴィクトルはそう言いながら銃を仕舞い、さっきどけた丸い石を一つ掴むと、わざわざ膝を突いてベンジャミンの上で持ち上げる。
「早く喋らないと大事な相棒を廃棄するしかなくなるからな。ざまあ見ろ。クソ野郎」
「ベンジャミン!」
「おい、よせ! やめろ!」
バンビが泣きながら叫び、おれは必死になって言った。
「話す! 全て話すから、二人には手を出すな!」
「二人? おいおいおいおい! 俺はそういうところが気に入らねえんだ! こいつは人間じゃ――」
丸い石が、ベンジャミンのモノアイへ振り下ろされる!
「やめろ!!」
「ねえだろうが!」
怒声とともに石がベンジャミンのボディへ接近する――!
――その瞬間。
『奇遇だね』
いつもと変わらない平坦な声で、ベンジャミンの言い、
『ボクもあなたが嫌いだよ。ミスター・オーンスタイン』
「バンビ、目を閉じろ!」
おれは叫んだ。間を置かず、ベンジャミンのモノアイが一際強く発光する。赤い光がヴィクトルの目を眩ませる。
「ああっ!?」
強すぎる光に目をやられ、ヴィクトルはのけぞっていた。おれは二度、脳内のスイッチを入れる――心頭滅却によって、我、能うを悟る。顕世と合一する技をもって、我、空を悟る。そしてツマミを右に倒す。モードマッスル。
「野郎!」
バナーズが背後で引き金を引いた。だが、発射される散弾の気配はすでに感じ取っている。そして悟能によって強化された身体機能が、人工筋肉を素早く動かし、鋼の右手が分散する前の散弾を掴み取る。
「? な、なな、な――」
手の中に弾丸を握り込んだまま、おれは裏拳でバナーズの顔を殴り飛ばす。回転する勢いのまま、おれは続けて発射された拳銃の弾を義腕で弾き飛ばす。
「この化け物!」
ダッチが叫び、腕の中のバンビを突き飛ばすや門に突き刺さっていたブーメランを引き抜き斬りかかってくる。突き飛ばされたバンビを受け止め、続く斬撃を鋼の腕で防ぐ。金属の衝突音。刃が腕に食い込む。ダッチが物凄い力で刃を押し込んでくる。くそ、片手間じゃ無理だ!
「バンビ、悪い!」
「え、え!?」
バンビを全力で引き剥がし、おれは彼女を突き飛ばすと、義腕の腹に左手を添え、刃の猛攻を押し返す。
「銃弾を掴み取るだと! どこまで機械になってやがるんだ、このサイボーグが!」
「うるせえな! ゴリラの生まれ変わりよかマシだ!」
勢いそのまま義腕を刃の根元まで滑らせ、左腕の肘をダッチの腹に突き込む。〈悟空〉と〈悟能〉の同時使用のせいで、頭が焼き切れそうだ。おれは義腕ごと刃を門に叩き付ける。
「この野郎!」
たまらずダッチの腕がおれの襟首を掴んで持ち上げる。腕からブーメランの刃が抜けた。おれは右足を蹴り上げ、奴の顎に一撃お見舞いする。
「があっ!」
クリーンヒット。呻く奴の腕を取り、宙返りの要領で、奴の手から逃れる。短い着地。それと同時におれは畳みかけた。
「おおぉっ!!」
義腕と生身の腕の猛烈なラッシュ。考える暇などない。ただ一発でも多くの拳を浴びせるだけだ。
「があ、ぐっ。この、野郎――!」
「沈め、海賊っ!」
岩石のようなダッチの拳がおれの顔面を狙う。
だがそれより、おれの右ストレートのほうが早かった。吹っ飛びこそしなかったが、まるで教会の鐘をぶん殴ったかのような手応えのあと、海賊ダッチは大きな音を立ててその場に沈み込んだ。
「はあ、はあ――」
おれもこれ以上立っているのは無理だった。悟能と悟空が同時に解かれ、その負荷が襲ってくる。
「くそ、くそ、くそ!」
立ち上がって喚き出したのは、ヴィクトルだった。厄介な事に、マカロフの銃口がおれを狙っている。
「機械の化け物どもが! もうこれ以上何もするんじゃねえ! 俺にお宝を寄越せ! さもなきゃ殺してやるからな!」
「落ち着けよ……中尉」
「黙れ、俺は中尉なんかじゃねえ! さっさと俺に天使の居場所を教えろ! 宝はどこだ!」
「宝はそこだ。あの船の中だよ」
おれは、言ってやった。
「最後の文字はUだ。つまり下(Under)だ。天使は船底にいるよ。そこが楽園だ」
「船底だと……?」
「ああ。宝が欲しけりゃ自分で……」
途端に、銃声がした。ヴィクトルの奴が苛立ち混じりに引き金を引いたのだ。発射された銃弾は静謐を破り、古びた船にかすり傷をつけた。
「ふざけるな。そうやって俺を騙そうってんだな。先に、お前が行け。お前が宝の所在を確かめるんだ」
怒りを発散させながら、ヴィクトルが再びおれに銃口を向けた。
地鳴りのような音がしたのは、その時だった。いや、音だけじゃない。実際に地面が揺れている。
「な、一体……?」
ヴィクトルはそう言いかけたがその言葉は続かなかった。バン! と何かが物凄い勢いで船体を突き破り、ヴィクトルの体を捉える。ガチン、と。それは、鎖のついた鉄輪だった。手錠のような、いやどちらかといえば、そう、まるでスチームドロイドの手のような……。
『船体への攻撃を確認。対象を捕縛しました』
どこからともなく聞こえる、知らない、女性的なドロイドの声。いや、これは……。
船体から駆動音。素早く鎖が巻き取られる。
「ああ、いやだ! いやだ!」
叫ぶヴィクトルの体が収納される鎖とともに、瞬く間に船体に張り付けられる。がっちりと鉄の手に拘束されていて、自力で抜け出す事は出来ないだろう。
「あの船、生きているの?」
バンビが唖然としながら言う。
『スチームドロイド? いや、そんな百年以上前の船にそんな物があるわけない』
バン! と腐った船体が割れる。一か所だけじゃない。前も後ろも、左右も木の破片が飛び散り、瞬く間に古い船の皮がはぎ取られる。
「あれは……」
現れたのは、黒く鈍く光る、全く見た事もない物だった。強いて言えば船、なのだろうがあんな船には一度だって見覚えがない。
『――待機モード解除。これより帰投します』
あのドロイドの声が冷徹に言い放つ。
「待て。待て待て、待ってくれ! 俺を下すんだ!」
ヴィクトルが喚き散らすが、返答はない。代わり、黒い船の中から何か小さな物がふわりと浮き上がった。
――見覚えはない。だが、おれはそれの存在を知っていた。
水晶髑髏。あのピニャ・コラーダが使っていたとされる物だ。不気味な髑髏は、どういう仕組みか独りでに浮き上がり、船の前で停滞した。
そして、その口が動く。
『記述は証明された。よくやってくれたな、タルボ・リーロイ・コール』
「……何だと?」
水晶髑髏から聞こえてきたのは、ドロイドの声ではなく、男の声だ。おそらく、男の声。それも老人だ。
『この船を再び動かす余興に、記述の正しさを証明出来たのは幸運だった。かの三つの謎を残してから一世紀。待つには長過ぎたが……退屈ではなかった』
「一体何の話だ? お前は何者だ!」
『私の顔は一つではない。お前の義腕をつけた博士であり、古物商であり、老人であり、そして海賊船の船長でもある』
何を言ってやがる……。そう言いかけたおれの脳裏に、突拍子もない考えが浮かぶ。奴の言葉通りなら、この声の主の正体は……。
「ドクター・バッカス……」
おれは、ようやく思い出せたその名を呼んだ。おれにこの腕を取り付けた男……。
『薬が効いてきたようだな。いい傾向だ。過去を見ろ、タルボ。そこに全てがある。……では、また会おう』
「っ、待て!」
船は出航した。ヴィクトルは泣き叫んでいたが、もう止めようがない。まるで後ろに目が付いているかのようにバックし、巨大な暗闇の中へと消えていく。
水晶髑髏が音を立てて砕け散った。
「今の、一体……」
「考えるのは今じゃねえ。まずは家に帰らないとな」
言いながら、おれは頭上を指さした。天井のごつごつとした突起に混ざって、牛のような物に乗った天使の像が逆さにくっついている。
「あれって八体目の……!」
「最後の一文字が上(Up)だったってわけだ。楽園は地上にあるもんだしな。この辺りに上へと続く出口があるはずだ」
言って、おれは立ち上がる。とにかく、まずは帰る事だ。悪魔が潜む地底から天使の待つ地上へ。
……どうやら、ろくでもない事の歯車が回り始めたようだ。
了