『財宝は白霧の中に』2
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サヴィーツァ連邦はウリエルシティよりはるか西にある、ユランシア大陸に存在する連邦国家である。時代が西暦であった頃から存在していた、歴史上、もっとも栄えた王朝とされるラフィスノフ王朝を革命によって滅ぼし誕生した。それから三十年ばかり経ったあと、サヴィーツァ連邦は悪名高きかの帝国と軍事衝突した。おれの祖国と。
――軍人時代のもっとも思い出したくない記憶は、その戦争の只中にある。
「休暇だって?」
「ええ。何しろ、長らく任務で本国へ戻っていなかったものですから。長期休暇が認められたので、ちょっと羽根を伸ばそうと思いまして」
そう言って、ヴィクトル・オーンスタイン中尉はコーヒーを口に運んだ。機嫌が悪いベンジャミンも、今は仕事に徹してくれている。
「そいつは結構な事だな、中尉。で、それが何故また宝探しに繋がる? いやその前に、一体誰からおれの事を聞いたんだ?」
「私にその手がかりをくれた人物ですよ。あなたの事を教えてくれたのはね。……失礼、煙草よろしいですか?」
まるで故郷の言葉のように、サヴィーツァ出身の中尉は公用英語を操る。おれは黙って灰皿を相手のほうへ差し出す。
ヴィクトルが取り出したのは赤い洋菓子の缶と巻紙の入ったケースだ。慣れた手つきで巻紙を二本の指の上に乗せ、缶の中から取り出した刻み葉を紙の上に均等に撒き、紙をくるりと巻いて唇に滑らせ、両端を潰して一本の手巻き煙草を作った。これまでにもう何百本も作ったかのような手並みだった。
「渋い趣味だな」
「サヴィーツァの軍人は煙草を巻けないと笑われますから」
ライターで火を着け、ヴィクトルはうまそうに煙草を吸った。
「で、タルボの事を教えてくれた〈宝の地図〉の元持ち主は?」
何故だか今もこの場にいるバンビが、しびれを切らしたかのように口を挟んだ。
「バンビ」
「だって話が進まないんだもん」
おれがじろりと睨んでも、バンビは意に介さない。ヴィクトルは一向に気にした様子もなく、笑いながら紫煙を燻らせる。
「いやあ、新聞記者さんはやはり好奇心旺盛ですね。お話しましょう。三か月前の事です。〈赤の広場〉で見慣れない古物商の露店が出ていたので、少し覗いてみたんです」
『赤の広場?』
ベンが珍しく口を挟んだ。
「首都マスクヴァの中心にある広場だ。有名な観光地だよ」
「戦後、観光客は増えましたね。まあそれはともかく、私は少しばかり骨董を齧った事があって、興味本位で物色してみる事にしました。言うまでもなく、品物の九割がガラクタでしたが……」
「こいつがあった」
コーヒーを啜った。消しカスみたいな味がした。出涸らしだ。ベンの奴め。おれは煙草に火を着けた。
「初めは古い書簡の一部かと思ったんです。でも中身を見るとどうも違う。誰かに宛てた手紙というよりはむしろ、暗号のようでして……」
「暗号、ねえ」
おれは古紙に書き殴られた文章をよく読んでみた。
×
《我、船長クラーネオ・ピニャ・コラーダがここに記す。
ついに最後の航海を終え、かの財宝を秘密の入江へと納めた。
我はもはや生涯において海へ出る事はなく、この地にて朽ち果てるであろう。我らが持ち帰った黄金の山にも等しき財は、ようやく静穏の時を得たのだ。
我らの宝は我らだけの秘宝である。何人も、その手を触れる事は許されぬ。しかし、愚かな王族や自らを貴族と自負する金の亡者ども、冒険家を標榜する良からぬ輩が、無作法にも我らの秘宝を求めるであろう。
いいだろう。愚か者どもよ、欲するのであれば探すがよい。汝らが正しく宝にたどり着けるよう、ここに三つの手がかりを残そう。
すなわち――
・八つの天使を探せ。彼らの始まりがパラダイスを指し示す。
・嵐の晩を待て。月のない夜に出航せよ。
・じゃがいも畑から一つ盗めば二つの平和。犠牲をもって真の平和をもたらせ。
そして、秘密の入江は天使の街にある。
忘れるな。静穏の時を破るのならば、汝らは悪魔の子よりも恐ろしい物を知るであろう》
×
「怪文書だ」
おれは言った。ヴィクトルは困ったような顔をした。
「怪文書だ。でなきゃ出来の悪いなぞなぞだ。最近の軍人さんはすっかり腑抜けになったもんだな。こんな紙切れ一枚に夢を見ちまうとは」
おれの心はもう半分以上、この依頼を断るつもりでいた。そんなおれの暴言にも、ヴィクトルは顔色一つ変えなかった。短くなりつつある煙草を吸い、ヴィクトルは言った。
「……しかし軍曹殿、もし夢ではないとしたらどうします?」
「何だと?」
「黄金の山が本当に存在するとしたら?」
「よせよ、中尉殿。部下に影で何て言われるか、わかったもんじゃないぜ」
ヴィクトルは答えずにくいと小首を傾げると、鞄の中から財布を取り出し、中の硬貨を何枚か握って机の上に出した。
そいつは、ウリエルシティで流通しているレゾ硬貨ではなかった。レゾ硬貨より少し大きくて、形も少々不揃いだ。だがその厚みと重み、そして鈍く光る金色が。ひと目でおれにそれが本物だという事を悟らせた。
金貨だ。ほぼ間違いないなく、純金の。
「……クルエナコイン?」
声を発したのはおれではなく、バンビだ。いやに驚いたような顔をしてやがる。白い指を伸ばして、金貨のうち一枚を摘まみ取る。
「うそ、本物……?」
そのリアクションに、ヴィクトルの顔が満足したように綻んだ。
「さすが新聞記者さん、博識ですね」
「何だ、クルエナコインって」
「え? ああ、うん。十六世紀頃にペルーで鋳造された金貨でね。インカ帝国がフランシスコ・ピサロによって侵略された際に、そのほとんどが略奪されたんだけど、その後大半は行方知れずになったの。現物は今もあるにはあるけど、もうほとんどは海に沈んだって言われていて……」
バンビは金貨を机に戻し、ヴィクトルのほうを向いた。
「中尉さん。これをどこで?」
「さっき話した露天商の主人ですよ。自分はかつて一度、天使の街で宝探しをした事がある。これはその時の土産だってね。残念ながら資金が尽きたのと、病気のせいで泣く泣く探索を諦めたそうですが」
「その人、何でこの金貨を中尉さんに?」
そこで、ヴィクトルはおれのほうを見た。
「何だよ……」
「彼は言いました。『私はもはや冒険が出来るような体ではない。しかし、あんたにもしその気があるのなら、私の代わりにこの宝を探してほしい。そしてもし宝を見つけたなら、それを世界に向けて公表してほしい。私に報酬は要らない。ただ、宝の実在を証明出来ればそれでいい』と」
「ずいぶん太っ腹な話だな」
「そして、主人はこうも言いました。『天使の街では、まず義腕の探偵を探せ。きっとあんたの力になってくれる』」
「おいおいちょっと待て。何を勝手な」
ヴィクトルはクルエナコインを摘み織り、おれの目を覗き込んだ。
「彼から軍曹殿は陸軍で失せ物探しの天才だったと聞きました。ぜひその手腕を貸していただきたい。成功すれば、財宝の半分はあなたの物です」
「待てよ。一体何者なんだ、その男は?」
いい加減、男の正体を言わないヴィクトルに少々苛ついてきた。ヴィクトルは煙草を灰皿に置いて、
「『自分がその男の義腕を造った。トカゲの名を持つ男の腕を』あなたに会ったらそう言えと言われましたよ」
「トカゲ?」
バンビが不思議そうに言った。が、おれはその質問に答えられなかった。
脊髄反射のように、おれは無意識に記憶を探っていた。だが、まるで何者かがおれの脳味噌の動きを止めてしまったかのように、探査は強制的にストップした。ガラス片のように散らばった過去の記憶が、一瞬だけ見せられた写真のように浮かんでは消える。その写真をもっと見ようと追い始めると、途端に頭の中を金属の棒で貫かれるかのような痛みが走る。
「……っ」
『タルボ?』
「……何でもない。大丈夫だ」
この痛みは、義腕を取り付けられた時についてきたオマケだ。どうやったんだが知らないが、連中はおれの脳味噌にも手を出していたらしい。おかげで思い出を振り返るのもひと苦労だ。別に思い出したくはないのだが……。
「覚えはありますか? その男に」
「ああ……はっきりとは思い出せないが」
捨て去ったはずの因縁が追ってくる。面倒極まる。この街に
来た時、自由に生きようと決めた。思い出す事さえ苦労する最低な過去とは全ておさらばして、だ。だが、人間生きている限りは痕跡を残す。連中はどこかからか、おれの居場所を嗅ぎつけてきやがった。
「中尉さん。悪いが、この話は……」
『ねえ、この天使の街っていうのはさ……』
唐突に、ベンジャミンが言った。
『このウリエルシティの事なんだよね?』
おれはもう一度、宝の手がかりを見返した。
――秘密の入江は天使の街にある。
ヴィクトルは黙って頷いた。
『ねえ、バンビ。クルエナコインって今の価値だとどれくらい?』
「え? うーんと、そんなに正確じゃないんだけど、少なく見積もっても確か……一万ギルヴィ?」
「……一万?」
いや、そんなまさか……。だとすれば、机の上に散らばっているコインだけでもずいぶんな大金になる。バンビが慌てて付け加える。
「いや、ほらこういうのは鑑定次第なところもあるから……」
『やります』
「おい、ベン!」
おれの言葉はしれっと無視して、ベンは交渉を続ける。
『もう一つだけお約束を。もし財宝探しに失敗したとしても、依頼料としてこちらのコインを半分いただけますか』
ヴィクトルは煙草を口にしたまま、
「軍曹殿がそれで良ければ……」
『タルボ』
ベンジャミンがおれを見る。おれはかがみ込み、少し小声になって言った。
「ベン、お前正気か? この件はどう考えても怪しいぜ。断るに決まってるだろ」
『さっきも言ったけど貯蓄が尽きそうなんだよ。せっかく来た仕事を断られても困る』
ベンジャミンは断固とした口調で言い切った。
『それに……いつまでも昔の影に怯えていていいの?』
おれはベンの言葉に一瞬何も返せなかった。
「……そんな簡単なもんじゃねえよ」
立ち上がって机の上を見る。クルエナコインは全部で八枚。最低でも四万ギルヴィは手に入る。あるかどうかもわからない宝探しに付き合ってその稼ぎなら相当なものだ。
ベンの言う通り、金はない。ここいらが腹を括るところかもしれない。
「相談は済みましたか?」
ヴィクトルが言った。
「……ああ、もう。しゃーねえな」
おれは頭をかき、書類ケースから契約書を取り出した。
「やる以上全力は尽くすが、見つからないと判断したら下りるぜ。それでいいか?」
「ええ、もちろん。私は見つかると確信していますがね」
「面白え。宝の山とやらが楽しみになってきたよ」
ヴィクトルはにっと笑い、右手を差し出してきた。
「ではよろしく。軍曹殿」
「その呼び方はよせ。今のおれはしがない探偵さ」
そう言いながら、おれは奴の手を握り返した。
――この時点で、おれはまだこの一件を軽く見ていた。過去の因縁がちらつくものの、やる気のない時期にはちょうどいい、非日常的な冒険だと。
だが、現実の宝探しは、もっとろくでもないものだった。