序章
男は、黒い衣服を風にたなびかせながら眼下を見つめていた。視線の先では徐々に地平線から赤い光が漏れ出し、塔を中心に立ち並ぶ町を真っ赤に染め上げていた。そんな様子を何の気なしに見つめる男の頭上には巨大な旗。
尖塔の頂上の掲げられたそれは風を受けごうごうと舞い、大気を叩く。その旗の立てる音の大きさに男は顔をしかめる。
「こんなに大きくなくともよいものを……」
「しなきゃ下から見えないでしょ?ここどれだけ高いと思ってるの」
塔の屋上とを隔てる鋼鉄の扉が開いており、その隙間から真紅の髪の女が顔をのぞかせていた。女は分厚い鋼鉄の扉をその細腕で押し開くとこちらに近づいてくる。
「なぜここに……」
男が少し驚いた表情でそうこぼす。
「少し早く目が覚めたから風に当たりにきたの。そしたら、珍しい来訪者がいたもんだから。どういう風のふきまわしかな」
「10時の方向に風速13mってとこだと思う」
「その返しつまんないな、相も変わらず面白くないおとこだね~」
女は不服そうに頬を軽く膨らませ男に言う。
「俺は面白くなくありたい」
「あっそ……上を待ってる旗あるじゃない?下から見たらちゃんとうちの学園旗に見えるけど、ここからだとよくわからないね」
未だ騒々しく音を立て舞う旗を見上げ女は言う。
「確かにこれほどまで風を受けて舞えば絵面などとても見えたものではないが……おまえならば見えるだろ?」
「確かに見えるんだけどさ、そうゆうことじゃなくてね。毎朝この旗を掲げるんだけど、ただ赤い大きな布の塊にしか見えないのにちゃんとうちの旗なんだよ」
「何の話だ?おまえらしくもない」
「おんなじものでも違って見えて面白いな~って」
天真爛漫と表現するが最も適切な表情で笑う。
「なおさららしくない。そういや……あのときも風が強かったかな」
男は目をそばめ、虚空を見つめ言う。その言葉に女の笑顔が消え、男と同じように虚空を見つめため息をはく。そして、ふいに鋭利な双眸を弛緩させて言う。
「だめねぇ~」
「……人の数だけ視点がある、その視点が同じであるわけがない」
「ははっ、女を慰める言葉としては落第点だね」
「慰めが必要か?」
男が女の顔をのぞき込み言う。
「いらないね」
不意に背後の金属の扉が開け放たれ執事服に身を包んだ初老の男が現れる。
「はて?お一人でしたかな」
髪をなびかせながら景色をただ眺める女の後ろ姿に初老の男は問いかける。
「ああ、見ての通り私一人だ。いや何、朝早く起きたはいいがすることがなくてな。こうして風を浴びに来たんだ」
「さようで。他の人間の気配もございませんし……いやはや私も耄碌しましたな」
そんな男の言葉が本心であるかどうかわからなかったのか、
「かなり長い付き合いなんだけどねぇ」
と少し女はこぼす。
「常にクールであってこそ紳士ですから。さて朝食が冷めてしまいますぞ」
扉を開き先を促す。
いつしか強かった風はやみ、太陽は昇り切っていた。