ありがとう
「痛っ!」
小さな悲鳴が聞こえて振り向くと、樹木が手を押さえていた。
「大丈夫か?」
樹木の目の前には雑誌が置いてあって、樹木が指を口元に持っていっている。
「大丈夫。紙で切ったみたい」
樹木は無表情のまま、『関わるな』というオーラを振りまきながらそれだけをじゅんに伝えた。
じゅんとしてはあまり好意を押し付けるのはよくないと思って一瞬躊躇するが、舐めたことで止血されていた傷口からまた血が溢れてきたのを見て、慌ててもう一度問いかけた。
「血、止まらないな…痛くないか?」
「……大丈夫だといっているでしょう」
言葉は冷たいが、思った以上に出血する傷口に、樹木も少々慌てている様子であった。
「確か……あ、あった。コレで大丈夫」
じゅんは樹木の様子を横目で伺いながら、ポケットをまさぐってソーイングセットを取り出した。
「……野村くん、縫合でもするつもり…?」
不審げな樹木の視線がなんだかおかしくて、じゅんはついプッと噴出してしまった。
「違う違う、バンソーコだよ。いつもこれに入れてるんだ」
じゅんはソーイングセットの箱の中から絆創膏を取り出して、はい、と手を差し出した。
絆創膏を持っていないほうの手を。
「……ありがとう」
樹木はお礼を言って、じゅんの持っている絆創膏を見つめるが、一向に渡される気配が無い。
「ほら」
じゅんは樹木をせかすように、差し出した手をもう一度ずいと差し出した。
「………絆創膏をいただけるのではないのかしら…?」
「もちろん。オレが貼ってあげるから、手を貸して」
「………」
顔一杯に邪気の無い笑みを浮かべるじゅんに、樹木は跳ね除けるのにも疲れてしまった。
しぶしぶ傷口のある右手を差し出すと、思いのほか柔らかい手が樹木の手を包む。
「水無月って右利きだろ?利き手の処置って意外と大変なんだよ」
器用に紙を剥がして貼り付ける様子を見ながら、樹木はじゅんの気配りの上手さに驚いていた。
普通、男子校生がそこまで気がつくものだろうか、と。
「よし、できた。綺麗な手なんだから気をつけなよ」
じゅんはニコッと笑ってソーイングセットをポケットにしまいこんだ。
そして、何か用事があったらしく、腕時計を見てから「やベっ」と小さく呟き、踵を返す。
「じゃな」
教室から出て行こうとする後姿を見て、樹木はつい呼び止めてしまった。
「野村くん」
「ん?」
野村が振り向く。
その真っ黒い瞳に見つめられると、言おうとしていた言葉も素直に出てこない。
数秒の後、樹木は搾り出すように言った。
「ありがとう。助かったわ」
じゅんはきょとんとした後、まぶしいくらいの笑顔を見せる。
「どういたしまして」
そう言って去っていく後姿を見、樹木は自分の体内で僅かに脈打つ音を聞いていた。