第6話 魔王側の事情
俺の名前はアザトース。
魔族は人間とは異なりラストネームという概念はない。
弱肉強食のこの魔界では強い者が絶対だ。
俺は長年の鍛錬によって得た強大な魔力で長く魔界を支配していた魔王クトゥグアを打ち破り魔王の座を奪い取った。
クトゥグアの野郎は俺に敗れてからもしつこく絡んでくるが、その都度返り討ちにしてきた。
あいつは逃げ足だけは速いのでいつも止めを刺すには至らない。
本当にいい加減に諦めて欲しい。
話は変わるが俺はついに念願だったイザベリア聖王国の聖女シェリナを手中に収める事ができた。
六年前、まだ力を持たない少年だった俺は野良魔獣に襲われて命からがら人間界に逃げ延びた。
魔獣の大半は人間界の獣と同じで本能のまま行動している。
力を持たない魔族は野良魔獣にとっては狩りの対象に過ぎず、俺には逃げるしか生き延びる術はなかったのだ。
しかし俺が逃げ込んだ人間界には聖女によって破邪の結界が張られていたのである。
結界のおかげで野良魔獣どもは俺を追いかけてこなかったが、結界の中に入った俺の身体は徐々に崩れ始め、後は死を待つばかりとなった。
その時、たまたま通りがかった人間の少女が俺の為に治癒の力を使い命を救ってくれた。
当時の聖女が持つ破邪の力を超える程の治癒の力を持った少女がいたなど今でも信じられない。
もし彼女が現われなかったら俺はあの時間違いなく死んでいただろう。
魔界と人間界──イザベリア聖王国──では言語が異なる。
彼女が俺に向けてしゃべっていた内容は当時は分からなかったが、その言葉は音としてずっと記憶していた。
魔界では強くなければ生き延びられない。
俺は自分の肉体が全快したのを確認すると、また破邪の力で身体が崩れ始める前に駆け足で結界の外──魔界──へ戻った。
その後の俺はひたすら自己の鍛錬を積み、野良魔獣だけでなく他のどんな魔族にも負けない強大な魔力を手に入れた。
魔界では力を持つとそれに従う者が自然と集まってくる。
いつしか俺は一大勢力を築き上げ、やがてこの魔界を支配していた魔王クトゥグアと激突する事となる。
三日三晩に渡る戦いの末、俺はクトゥグアに勝利して魔王の座を奪い取った。
魔界の頂点に立ち、心に余裕ができた俺はあの日の出来事を思い出した。
俺を救ってくれた少女は何者だったのか。
それを調べる為に俺はイザベリア聖王国の言葉を話す事ができる者を招集してそれを学んだ。
形態が全く異なる言語を習得するのは簡単ではなかったが、彼女の事を知る為だと思えば意外と苦にはならなかった。
イザベリア聖王国の言葉を習得した俺はあの時彼女が話していた内容をようやく理解した。
彼女──その名をシェリナというらしい──は、ただ純粋に消えかかっていたひとりの少年の命を助けたがっていただけだったのだ。
魔界には様々な理由で魔族側についている人間もいる。
俺はそんな人間達を使ってイザベリア聖王国内の様子を調べさせた。
あの時シェリナは聖女の卵と言っていたが、あれから五年の歳月を経て本当に聖女になっていたらしい。
尤も、幼い頃から当時の聖女を凌ぐ程の力を有していたのだから当然といえば当然だろう。
そしてそれを妬む者達によって陥れられている情報も入ってきた。
あの日命を救われた恩義に報いなければならない。
俺はシェリナを救い出す事を考えた。
そうだ、シェリナを俺の城に招待して保護すればいい。
魔王である俺の城の中にいる以上、誰にも彼女に手出しはできまい。
善は急げとは人間達の諺だったな。
シェリナ救出作戦と並行して、シェリナを俺の城に連れてきてからの事も考えた。
俺は配下の者どもにイザベリア聖王国の言葉を習得させて、いつでも迎え入れる準備を進める。
魔族と人間では生活環境がまるで違う。
いざ俺の城に連れてきたものの、こんな所では生活できないからもう帰るとでも言われたら元も子もない。
俺は手下達に人間達の暮らしの様子も調べさせ、そのリサーチ結果通りに彼女が心安らかに暮らせそうな部屋を作らせた。
そして人間の好みは千差万別。
俺はシェリナが好むものは何かを調べさせたが、聖女として王宮内で暮らしている彼女のプライベートな情報までは掴めなかった。
そこで俺はシェリナと出会った日の事を思い出した。
確か彼女が持っていた買い物籠には熊のワッペンが付けられていたと記憶している。
つまり彼女は熊という動物が好きなのだと想像できる。
俺は熊に似た姿をした魔物であるオプティムをシェリナの世話役に抜擢する事にした。
シェリナを迎え入れる準備が着々と進められる中、シェリナ救出の機会はすぐにやってきた。
何でもシェリナの幼馴染であるキーラとかいう女が、彼女達が育ってきたクロネという教会の中に設置されていた結界石を持ち出した為にあの付近の結界が消えており、近々シェリナがその原因の調査にやって来るという。
これを好機と見た俺はいてもたってもおられず、配下の者達が止めるのも聞かずに単身クロネ教会へと足を運んだ。
俺がクロネ教会の前に到着した直後に教会の周りに破邪の結界が張られた。
魔族である俺の接近に気付いたからだろう。
シェリナがイザベリア聖王国の聖女である以上当然の行動だ。
だがこの好機を逃したらいつ次の好機が訪れるか分からない。
気が付けば俺は単身結界の中に侵入していた。
シェリナの破邪の力は六年前の当時の聖女の比ではない。
その瞬間から俺の身体が徐々に崩れ始める。
俺は全身が崩れ落ちる痛みに耐えながら護衛兵を蹴散らしつつ一直線にシェリナのいる結界の間へ向かう。
彼女の下に辿り着いた時には既に意識も朦朧としていた。
俺は彼女に手を伸ばし俺と一緒に来るように持ち掛ける。
もちろん断られる可能性の方が高い事は分かっている。
そして断られた場合は力ずくで攫うしかない。
破邪の力に曝され続け、満身創痍の身体でそれが出来るかどうかは分からない。
いや、返り討ちに遭う可能性の方が大きいだろう。
しかし不思議と彼女にならばここで殺されてもいいと思った。
我ながら理解できない感情だ。
幸いな事にシェリナは大人しく俺についてきてくれる事を選んでくれた。
ならばもう迷う事はない。
シェリナは俺が全身全霊をかけて守ってみせる。
俺はシェリナを抱きかかえて羽ばたく。
その時の俺はどんな顔をしていたんだろう。
きっと魔王としての威厳も何もない、誰にも見せられないような締まらない顔をしていたに違いない。
俺が城に向かっている途中、シェリナはずっと進行方向を見ていた。
俺の顔は見ていないはずだ。
いや、見られていない事を祈る。
しかし当のシェリナは俺に身体を預けているものの、どこか冷静で俺に心を許しているような感じではない。
彼女は聖女で俺は魔王だ。
当然といえば当然の反応だが、きっとこれが淋しいという感情なのだろうな。
シェリナのこの様子を見る限りでは俺が六年にお前に助けられた男だという事には気が付いていないらしい。
確かにあの時の俺は子供だった為に角も翼も生えていなかったから無理もない。
あの時助けられた少年だと自分からカミングアウトするのも何か違う気がする。
その内ひょっこりと思い出してくれるかもしれない。
しばらく様子を見ようか。
俺は今日もクトゥグアとその手下どもをぶちのめした後、悠々と城に帰ってきた。
シェリナには部屋の中で待っていてくれと言ったものの、まさか日付が変わって朝になるまで掛かるとは思わなかった。
ずっと放置されて気を悪くしていなければいいが。
俺は入り口の前に立ち声を上げる。
「今戻ったぞ」
……。
おかしい、返事がない。
普段ならば配下の魔物が入り口の扉を開けて出迎えるはずだ。
俺の城で何か異常でもあったのだろうか。
仕方なく俺は自分で扉を開けて城の中に入る。
「な、なんだこれは……一体何があった!?」
そこで俺が見たのはボロ雑巾のようになって床に這い蹲っている手下達の姿だった。
話は半日程前に遡る。