第5話 魔界へようこそ
「着いたぞシェリナ。よくここまで大人しくしてくれていたな」
私が魔族の青年に連れ去られた先は漆黒に染められた禍々しい造形の巨大な城だった。
その大きさはイザベリア聖王国の王宮を遥かに凌ぐ。
まるで話に聞いた魔王の城だ。
魔族の青年が入り口の前に立つと、鈍く大きな音を立てながら扉が開いた。
その中からひとりの老悪魔が現れて私達を出迎える。
「お帰りなさいませアザトース様。そちらの方が例の……」
「ああ、見ての通りだ。ディーネよ、俺の留守中に何か変わりはなかったか?」
「はい、どうやらクトゥグアの手の者に不穏な動きがあると使い魔からの報告がございました」
「そうか、しつこい奴らだ。まあそれについては後で軍議を行おう」
クトゥグアの名前は私も知っている。
確か魔界を支配していたという魔王だ。
魔界は人間界以上に弱肉強食の世界だ。
このアザトースという魔族の青年は魔王の敵対勢力という事だろうか。
でもそれは彼ら魔族の問題。
私にとってはどうでもいい事だ。
それよりも気になるのは、このディーネと呼ばれた老悪魔も普通にイザベリア聖王国の言葉を話しているという事だ。
魔界でイザベリア聖王国語のブームでもやってきたのだろうか。
「さあ中に入れシェリナ」
私はアザトースさんに促されて恐る恐る城内に足を踏み込む。
城の内部はまるで迷路のように複雑に入り組んでいた。
「城内には所々に罠や仕掛けがある。危険だから俺から離れるな」
「あら、意外と紳士なのね」
「人間の世界ではこのように淑女を扱うものなのだろう?」
「んー、人によりますね」
私はアザトースさんにエスコートされて城の奥へと歩き出す。
少し進んだところでアザトースさんは足を止め、床に指を差して言った。
「そこの色が違う床は絶対に踏むなよ。矢が飛んでくる仕掛けになっている」
私は言われた通り色違いの床を避けて奥に進むと、まるで玉座の間のような部屋に辿り着いた。
「あそこの玉座のようなオブジェを押すと隠し階段が現れるんだ」
そう言ってアザトースさんは実際に玉座を押して手本を見せてくれる。
カチッっという音と共に何かのスイッチが入り、玉座の裏の床がスライドして階段が現れた。
階段を下りてさらに先へ進むと、目の前に碁盤の目のような通路が現れた。
「この通路は魔法でループするようになっている。右、左、右、直進の順番に進まないと永久に抜け出せないぞ」
アザトースさんは城内の仕掛けを一つ一つ丁寧に教えてくれる。
何も知らずに迷い込んだら一生この中で彷徨い続けそうだ。
それにしても随分と歩いた気がするけど、私はどこまで連れていかれるのだろう。
私は魔族の天敵である聖女だ。
もし牢獄のようなところに閉じ込めるつもりなら私は容赦なく破邪の力を使って脱獄させてもらおう。
そんな私の心を読んだのか、アザトースさんが歩きながら私に話しかける。
「シェリナ、お前は毎日女神に祈りを捧げているそうだな」
「はい」
「ここは神々から見捨てられた地だ。この城の中で女神に祈りを捧げる事は許さん」
そりゃ当然聖女の力を警戒するよね。
「……もし祈ったら?」
「血を見る事になる」
「分かりました。私や人間界の者に危害を加えないと約束をしてくれるなら」
私がここにいる今イザベリア聖王国を覆っていた結界は消えているはずだ。
その隙にイザベリア聖王国へ侵攻するつもりなら私も大人しく捕虜になっている気はない。
しかしアザトースさんの返事はあっさりとしたものだった。
「いいだろう。人間界など眼中にない」
「人間界に手を出す気が無いならどうして私を──」
「着いたぞ。ここがお前の部屋だ」
彼が止まったのはこの城の外見には似つかわしくないまるで王宮の客室のような扉の前だった。
牢獄ではなさそうだ。
それにしてもタイミングが悪い。
おかげで私の質問が中断されてしまった。
「シェリナよ、ここがお前の部屋だ。自由に使うといい。だがしばらくは城の外に出る事は許さん。いいな?」
「はいはい、ちゃんと人並みの生活環境を保証してくれるなら。それに私はこの城の中の事が何も分かりません。誰かが私のお世話をしてくれるんですか?」
「その心配はいらん。オプティム、来い」
「……!」
アザトースさんに呼ばれて一匹の魔物がぬっと私の目の前に現れた。
「ひっ!?」
その姿を見て私は思わず悲鳴を上げてしまった。
それは恐ろしい獣の姿をした魔物だった。
まるで血に飢えた人食い熊だ。
アザトースさんやディーネと呼ばれた老悪魔が角と翼以外人間に近い姿をしているから油断をした。
ここは魔界の真っただ中なんだ。
魔物は人間と違って個体によってその見た目が大きく異なる。
人間とはかけ離れたおどろおどろしい姿をしている者が大半だ。
「シェリナ、このオプティムがお前の世話役をする。何かあればこいつに言え」
「え……これに言うの? 食べられたりしない? そもそも人間の言葉通じるの?」
私は当然の疑問を投げつけるが、アザトースさんは私の言葉に意外そうに目を丸くする。
「いや、オプティムは人を食べたりはしないし普通にお前達の言葉を話せるぞ」
「え? そうなの? 見た目からは想像もできないけど……」
私は半信半疑でオプティムと呼ばれた熊型魔族を一瞥する。
「シェリナ様、あなたの世話係を務めさせていただきますオプティムと申します。何でも仰せつかって下さい」
「しゃ、しゃべったああああ!?」
この熊、見た目からは想像できない程の紳士的な口調だ。
しかもかなりのイケボときた。
そのあまりのギャップに私の脳が激しく混乱する。
落ち着け私、ここは魔界だ。
人間界の常識は通用しない。
熊が言葉を話してもいいじゃないか。
そこへ先程の老悪魔がやってきて青年に耳打ちをする。
「アザトース様お耳を……ごにょごにょ」
「何? クトゥグアの奴が動き出しただと? くそっ、こんなに早く……分かった私が出よう」
「あの、何かありましたか?」
「シェリナ、お前には関係がない事だ。俺はすぐに行かなくてはならない。お前は俺が戻ってくるまでこの部屋で大人しくしていろ」
そう言うと青年は急ぎ足でどこかへ行ってしまった。
後に残されたのは私とオプティムさんの二人……というか一人と一頭だ。
「オプティムさん……と言いましたっけ? 全然話が見えてこないんだけど、一体何が起きてるの?」
「はい、先代魔王であるクトゥグアの奴が魔王の座を奪還する為にアザトース様にしつこく戦いを挑んできているのです」
「え? それって……」
「はい、アザトース様はこの魔界を統べる魔王であらせられます」
「あの人が魔王……」
何という事だ、あの時破邪の力で魔王を殺しておけば人間と魔族の争いは終わっていた。
「おのれ、やはりあの時殺しておけばよかった」
とはよく物語で悪役から聞くセリフだ。
まさか聖女である自分がこのセリフを吐く可能性が出てくるとは、女神様の目を持ってしても読めなかったに違いない。