第13話 勇者と魔王
「シェリナ、今日のご飯も美味しかったぞ。あれは何という料理だ」
あれからアザトースさんは私の料理にすっかりはまってしまったようで、結局毎日三食彼の料理を作る事が私の日課になっていた。
幸い魔界の食材も人間界のそれとさほど違いはなく、今まで作ってきた料理の応用で大抵のものは作れた。
「今日のはハンバーガーといって、あまり時間がない時にちゃっちゃと作って食べるジャンクフードと呼ばれるジャンルの料理です」
本来は庶民の食べ物であって、魔王が口にするような料理じゃないんだよね。
しかしアザトースさんは満足そうに話を続ける。
「人間界ではいつもあんな料理を食べていたのか?」
「いつもじゃないですけど、教会でシスターをしていた頃は当番制で作る事がありました。聖女になってからは王宮の料理人に任せっきりだったので庶民の食べ物であるハンバーガーを食べる機会はなくなりましたけど」
「そうか、あんなに美味しいものを人間の王族は食べないというのか。勿体ないな」
アザトースさんは心底同情した様子で言う。
嘘をついているように見えないな。
私が魔王城に来てから十日が過ぎた。
今ではすっかりここでの生活に慣れてしまっている。
私は捕虜のはずだが、王宮にいた時よりも快適に暮らしている気がする。
そういえばあの時は聞きそびれたけど、アザトースさんが私を攫った理由って結局何だったんだろう。
人間界に興味がないという事は、私が聖女だったからという理由ではなさそうだ。
ある朝私はアザトースさんに朝食を持っていくついでに聞いてみた。
「ああその事か」
アザトースさんは少し考えながら口を開いた。
「それはお前を保護……いや違うな。そもそもそんな事をする必要も無かった気がするし、どちらかというと余計なお世話だったか……。お前の作る料理が……いや、これはここに連れてきてからの話だ……だとすると……むむむ」
「え?」
小声でぶつぶつ言っているので聞き取れない。
いつもはもっとはきはきと話をする彼らしくない。
そして首を捻ったまま口を閉ざしてしまった。
どうやら本気で考えているようだ。
まさか何も考えずにその場のノリで攫ったという事でもないでしょうに。
「…………。機会があればいずれ話そう」
「え? 何それ……」
上手くはぐらかされてしまった……ようにも見えなかったな。
少なくともアザトースさんは本気で考えているように見えた。
一体どういう事なんだろう。
私が疑問を投げ掛けたその時、老悪魔のディーネさんが食堂に駆け込んできた。
「アザトース様、使い魔からの知らせによると、イザベリア聖王国から勇者と呼ばれる者がシェリナ様を奪還する為に出立したとの事です」
「勇者だと? それは一体どのような者だ」
「はっ、その名をオルトシャンと申しまして、以前東方の人間の国で暴れまわっていた深淵竜を討ったという男です」
「ふむ。深淵竜といえばあのクトゥグアよりも強いと言われた魔獣だな。面白い、人間の勇者とやらがどれ程のものか確かめさせてもらおう。今すぐ迎撃に向かうぞ」
「アザトースさん、人間界の者には手を出さない約束では──」
と言いかけて私は口を噤んだ。
先日アザトースさんとの約束を破ったのは私だ。
あれは事故という事で彼は笑って許してくれたけど、それに甘えて自分の都合だけを主張するのは卑怯だ。
事実上あの約束は既に約束としての体を成しておらず、方針、心意気といった意味でしかなくなっている。
元々正式な契約書を交わしたわけでもない紳士協定だったしね。
それにあれは人間界の者に手を出さないという約束だった。
魔界に侵攻してきた以上それはもう人間界の者ではない。
屁理屈かもしれないが、それを迎撃するのを止める権利は私にはない。
それにやってきたのが勇者オルトシャンならば如何に相手が魔王とはいえ簡単にはやられないだろう。
アザトースさんとオルトシャンさんが戦えばどちらが勝つかは分からないけど、せめて二人とも大きな怪我もなく戦いを終える事を祈るばかりだ。
だから私はアザトースさんにこう言って見送った。
「無事に帰ってきてくださいね」
アザトースさんは足を止め振り返って応える。
「夕食までには戻ってくる。勝利の祝杯用にとびきりの料理を準備しておいてくれ」
私はその言葉を複雑な感情で受け止めた。
アザトースさんが出撃するのを見送った私は、料理長のニスロクさんと今夜の料理についての打ち合わせを行う。
「ニスロクさん、魔界では祝杯を挙げる時にはどんな料理を食べるんですか?」
「そうですね、ワインやシャンパンに合う料理を……そうそう、チーズを使った料理が人気ですね」
どうやらあまり人間界と変わらなさそうだ。
「なるほど、チーズですか。確かにワインとの相性は抜群ですね」
ふとチーズバーガーが脳裏をよぎったが、さすがにないなと考えを改めた。
夕食の献立が決まり、そろそろ料理を始めようかという時だった。
私は妙な胸騒ぎをして手を止める。
「何……この感じ?」
私の身体にまとわりつくその異様な雰囲気に鳥肌が立つ。
まるでクロネの教会でアザトースさんの魔力を初めて感じた時のような……。
いや、これはあの時よりも禍々しいものだ。
何かが来る?
「シェリナ様、ここは危険です! お逃げ下さい!」
オプティムさんが息を切らせながら厨房に入ってきた。
「逃げる? どうしてですか? それに私はアザトースさんからこの城からは出ないようにと言われていますけど」
「それどころではないのです。私達が奴を食い止めている間にお早く!」
私は邪悪な気配がすぐ近くまで迫っていきてる事を感じた。




