第10話 破られた約束
聖女の朝は早い。
朝日が昇る前に目を覚まし、まず最初に行う事は女神様への祈りだ。
私はベッドの端に腰を下ろしたまま日課である女神様への祈りを捧げる。
「慈愛の女神ティターニア様、今日も王国の民の安寧をお守り下さい」
祈りを終えた私は二度寝をする為に再びベッドに横になり目を閉じる。
……あれ?
何か忘れてる気がする。
「ぐああああああああああ」
「ひ、ひいいい……俺の身体が崩れていく……」
「だ、誰か助けてくれえ……」
部屋の外から悲鳴が聞こえてくる。
一体何が起きたのだろう。
明らかにこれは普通じゃない。
私はベッドから飛び起きると、扉を開けて部屋の外へ出る。
部屋の外には血まみれになっている魔族達の姿があった。
「うわあ、皆さん大丈夫ですか? 一体誰がこんな酷い事を……あれ?」
そうだ、思い出した。
私は昨日魔王アザトースさんに連れられて魔王城にやってきたんだった。
私が女神様に祈りを捧げた事で私の周りに破邪の結界が出現し、その中に入った魔物達は全身が崩れ始めて死にかけていた。
この魔王城の中で女神様に祈りを捧げたら血を見る事になるとはアザトースさんの言葉だ。
確かに彼の言う通り、私の視界の中は魔族達の血で染まっていた。
しかし私はアザトースさんが私や人間界に手を出さない事を条件に祈りをしないという約束をしていた。
私はそれをいつもの習慣で意図せず破ってしまっていた。
これは冗談では済まされない。
いや、まずはとにかくこの人達を助けなきゃ。
私は急いで祝福の歌を口ずさむ。
「ラー、ラー……」
祝福の歌は周囲にいる全ての者を治癒する力がある。
血まみれで這い蹲っていた城内の魔族達は少しずつ元気を取り戻していった。
その中には私の護衛も兼ねて部屋の前で待機していたオプティムさんの姿もあった。
「あ、あの……ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「は、はい……噂には聞いていましたが、シェリナ様のお力はさすがですね……破邪の力もそうですが、治癒の力もです」
「本当にごめんなさい。悪気があってやったのではないです。ただ、いつもの習慣で……」
「一体何事だ!」
その時、クトゥグアとの戦いを終えたアザトースさんが城に帰ってきた。
最悪のタイミングだ。
すぐに治癒したとはいえ、この惨状を見たアザトースさんは私が約束を破って祈ったせいで部下達が死にかけた事をすぐに把握するだろう。
私は一方的に約束を破ってしまった。
アザトースさんは城内の様子を確認した後無表情で私に問いかける。
「シェリナ、この惨状はお前の破邪の力が原因だな。どういう事か説明をしてもらおう」
ここへきて嘘や言い訳はできない。
私は正直に答える。
「ごめんなさいアザトースさん。いつもの習慣でついうっかり女神様に朝のお祈りをしてしまいました。今皆さんを治療しているところです」
アザトースは表情を変えずに淡々と答える。
「……そうか。ならば仕方があるまい」
ああそうです、もう仕方がありません。
魔族が人間界に侵攻をする大義名分を与えてしまった。
アザトースさんは躊躇なく人間界へ侵攻を開始するだろう。
もしこれでイザベリア聖王国が滅亡したら全て私の責任だ。
後世の歴史書には私の名前はイザベリア聖王国を滅ぼした元凶、傾国の悪女として記されるだろう。
でも私もイザベリア聖王国の聖女として黙って魔族の侵攻を見ている訳にはいかない。
私の見立てでは私の破邪の力とアザトースさんの魔力は互角だ。
勝てないまでも差し違えるまでは持っていけると思う。
私がアザトースさんと差し違えて死ねば女神様の神託によって新たな聖女が誕生する。
後の事は次代の聖女に丸投げだ。
私は精神を統一し、いつでも破邪の力を放出できるように身構える。
アザトースさんは少し間をおいて言葉を続けた。
「次からは気をつけろよ」
「……え?」
「ついうっかりで部下達を殺されかけたら敵わんからな」
そう言うとアザトースさんは城の奥に向かって歩いて行った。
え、今次って言った?
「ちょっと待って、どういう事?」
アザトースさんは振り向いて答える。
「どういう事も何も、お前は今まで毎朝ずっと女神に祈りを捧げるのが習慣だったんだろう? 習慣というものはすぐに消えるものではないからな。まあ仕方がないだろう」
え?
仕方がないってそういう意味?
「俺は夜を徹してクトゥグアと戦い続けたので疲れている。少し眠らせてもらう」
このアザトースさんという魔王、甘すぎじゃないの?
「あ、そうだ。アザトースさんに渡す物があるので食堂に来て下さい」
「食堂? そういえば戦い続けていたので丁度小腹が空いていた」
私は昨日アザトースさんの為に料理を作っていた事を思い出した。
急いで厨房へ行ってそれを温め、アザトースさんに渡す。
「これ私が昨日作ったんですけど、食べてみて下さい」
「ほう、お前が作ったのか。それでは頂こうか」
アザトースさんは私の作った料理を受け取ると、パクリと口の中に放り込む。
「ふむ……これをお前が作ったのか」
「どうでしょう?」
「なるほど、美味だ。今日から俺の食事はお前に作って貰うとするか」
どうやら気に入ってくれたようだ。
でもそれはつまり私を料理長にするという事かしら。
あ、でもそれだと現料理長のニスロクさんがクビになっちゃうのかな?
それは悪いよ。
私は咄嗟にフォローを入れる。
「ニスロクさんにはこの料理の作り方を伝授しときましたので、これと同じ物を作れますよ」
「む……そうか」
そう言って食事を終えて自身の部屋に歩いていくアザトースさんの背中は心なしか寂しそうだった。
ちなみにこの後も私は何度か寝ぼけながら朝の祈りを行ってしまったが、さすがに二回目以降はアザトースさんに怒られた。




