第1話 魔王城の聖女様
聖女の朝は早い。
朝日が昇る前に目を覚まし、まず最初に行う事は女神様への祈りだ。
祈るのはベッドの端に腰を下ろしたままでも一向に構わない。
服装も寝間着のままだ。
聖女が祈りを捧げると女神様の慈愛の力によって王国の全ての民は昨日一日のストレスや疲労が癒え、完全にリフレッシュした状態で朝を迎える事ができる。
聖女の祈りの効果はそれだけではない。
祈りには破邪の力も宿っており、聖女を中心とした円形の広範囲に渡って魔物を退ける結界が現れる。
王国の内に住む者に安らぎを与え、外からの脅威は排除する。
それが聖女に課せられた使命だ。
イザベリア聖王国の繁栄の歴史は聖女と共にあった。
「慈愛の女神ティターニア様、今日も王国の民の安寧をお守り下さい」
銀色の髪に深緑の瞳を持つその聖女は毎朝の日課である祈りを済ませた後──
「ふわぁ~、おやすみぃ」
──大きな欠伸をしながら再び柔らかいベッド潜り込んだ。
次に女神様に祈りを捧げる時間は正午だ。
毎日のお勤めさえしっかりやっていればそれ以外の時間は何をしていようが誰にも文句を言われる筋合いはない。
このひと時の安らぎを邪魔する者は何人たりとも許さない。
聖女は静かに目を閉じた。
「シェリナ! 朝の祈りは止めろとあれほど言っただろ!」
早速邪魔が入った。
怒鳴り声を耳にした聖女シェリナが瞼を擦りながらむくりと起き上ると、全身血まみれとなった青年が部屋の中に踊り込んできた。
その青年は頭部に山羊のような角を、背中には巨大な漆黒の翼を生やしている。
もちろん人間ではない。
この青年は魔界を統べる者──魔王──と呼ばれている存在だ。
安眠を邪魔されて不機嫌な顔をしていた聖女シェリナは血まみれになった魔王を見てはっと我に返る。
またやってしまった。
「あー……ごめんなさいいつもの癖で」
バツが悪そうにてへぺろしながら謝罪した聖女は、急いで破邪の結界を解除するとコホンを咳払いをした後に祝福の歌を口ずさむ。
「ラー、ラー……」
透き通った美しい歌声が周囲にこだまする。
祝福の歌の効果により見る見るうちに魔王の傷が癒えていく。
魔王だけではない。
この部屋の中からは直接確認できないが、破邪の力に巻き込まれて満身創痍となった半径数キロ内にいる魔物達の傷もこれで完治しているはずだ。
「シェリナ、本当に気を付けてくれよ。お前の祈りのお陰でこの城の中の者が死に絶えるところだった。……死に絶えるといえば俺の配下のアンデッド達などもう少しで完全に昇天するところだったんだぞ」
「はい、気をつけます。アザトースさん」
アザトースと呼ばれた魔王は聖女に本当に分かっているのかと何度も念を押した後、深く溜息をつきながら部屋を後にした。
ここは魔王城の中にある聖女に与えられた一室。
この城に住んでいる人間は聖女であるシェリナだけだ。
他は魔王配下の魔族しかいない。
私、シェリナ・ティターニアはイザベリア聖王国の聖女だが、今は訳あって魔王城で暮らしている。
これは魔王城で暮らす聖女と魔王の物語である。