#4
「本当についてくるのか? お前ら」
スカーグの襲撃から数日経ったある日。グライドはスカーグの更なる情報を集めるため、地下街へ向かおうと決めた。
当初グライドは行く場所が場所のため、その日の夜中にこっそり一人事務所から抜け出したが、どうしてか彼の動きを予測していた二人に先回りされてしまったのだ。
こうなると二人を連れて行かざるを得ない。グライドは少し不機嫌そうに、親鳥を追う小鳥のように後ろについてくる二人へ言った。
「勿論! だって地下街なんて面白そうじゃない!」
アノンは何時もの調子でコロコロと笑う。
「面白い云々は置いといて、以前からボクたちの間で、地下街に一度行ってみたいなっていう話は出てたんだ。けどボクたちだけだと危険だし、かといって先生も許してくれないだろうって話で結局終わってたんだけれどね」
コニーはアノンのフォローに回る。彼女はスカーグに襲われた後病院に担ぎ込まれたが命に別状はなく、襲撃の次の日には問題なく歩き回れるくらいに回復していた。
首の絞められた痕も殆どなくなっている。
「何度も言うが。何度だって言うが、これは遊びじゃないんだぞ」
グライドは念を押した。恐らく二人ともわかっているとは思うが、言わずにはいられないのは年取った大人の性なのだろうか。
「それでもやっぱり面白そうってのは偽らない本心よ? それにあたし一人で飛び回るより二人がいた方がよっぽど楽しめそうだしね♪」
うんうんとアノンは一人頷く。
それを見てグライドは大きくため息をついた。スカーグよりこいつの方がよっぽど灸を据えるべきだろうか。
ふとアノンは隣にいた友人の姿が見えないことに気がついた。
「コニー君?」
コニーは一人立ち止まり俯いている。それを見てグライドも思わず歩みを止めた。
「……ごめんなさい。やっぱりボクは事務所に残るべきだったんだろうか。ろくに役に立てないなら」
コニーは顔を上げずに言った。いつも相手の目を見て話す彼女にとって、それは珍しい事だった。先日スカーグにまんまと対処されたことが余程堪えているのだろう。
グライドは思わず頭をかいた。認識されずらく空を飛びまわるアノンは置いといて、正直彼にとって一番の不安要素はコニーだったのだ。
早くして家族を亡くし、独りになった気持ちは理解できなくもなかったが、それでも下手なこと言えなかった。事務所に招いたのも、そうした背景があったからだった。
連れて行きたくなかったのはコニーの安全の為というのは勿論あるが。同じくらいに、グライド自身が彼女達を守れるか不安になっていたからだった。一人で身勝手に仕事している昔とは訳が違うのだ。
……いや、だからこそか。
グライドは振り向くとコニーの側に歩み寄った。そして少し屈むとコニーの顔を正面から見据えた。
覚悟が足りないのはオレの方だ。こいつは過去でも今でも辛いことが多くあったのにも関わらず、それを表情の奥にしまい込んで何でもない様に見せている。
それが崩れたんだ。今支えてやらなくてどうする?
「コニー、言い方を変えるぞ。ついてこい」
コニーはそれを聞いて戸惑いの表情をグライドに向けた。 それは何時も浮かべている、年不相応な涼しげで余裕のある表情とは全く違う、道を見失い途方に暮れているような表情だった。それはどんな風にしていても、コニーは年相応の女の子でしかないということを彼に実感させるのに十分なことだった。
「あれはおまえの失敗じゃなくてオレのミスだ。動揺してスカーグにお前の存在を伝えちまったオレのな。謝らなくちゃいけねぇのはオレの方だ。すまん」
グライドは慎重に言葉を探していたが、少し間を置くと決心したかのように続けた。
「だからよ、お前が気負うな。今のオレたちはチームなんだ。生きていくために協力して事件を解決していく、な。それにあの振りかぶりは良い筋だったぜ? 寧ろああやってかわされる方が珍しいだろうさ」
グライドはコニーの頭に手を伸ばした。一瞬ためらったが、そのまま彼は彼女の頭をガシガシと撫でた。
コニーはもう不安げな表情は浮かべていなかった。彼女にはまだ少し戸惑いがありつつも、こうして真正面から彼の誠意を見せられたことが嬉しくもあり、こそばゆくもあった。
アノンはそのままコニーの肩を抱いた。
「そうよ。大丈夫、大丈夫なんだから。次はきっと上手くいくって、前向きに思って生きていかなくちゃ損よ?」
そうアノンはコニーの耳元で囁いた。
「お前みたいに気楽に生きてみたいもんだな、アノン」
思わずグライドはアノンに言った。それは皮肉と言うより本心に近かった。
「ふふん♪ それはだいぶオトナにならなきゃね、グライド」
アノンもグライドの様子から彼の心境を察したのか、コニーを抱いたままどこか得意げに人差し指を立てる。
「ほっとけ」
鬱陶しげな様子でグライドはアノンから目をそらす。そうしたのは、彼女のその表情に何処か懐かしい人の面影を感じてしまったからか。
コニーは二人のやりとりをじっと見つめていたが、ふと深呼吸して目を閉じた。
そして顔を上げて、目の前のかけがえのない存在である二人に、心からの笑顔を向けた。
「ありがとう。二人とも」
「ここだな」
グライドは裏通りを抜け、地下街への入り口へと辿り着いた。
それは暗い袋小路の隅にひっそりとある、少し大きいマンホールだった。
「ここから降りるの?」
アノンは思わずグライドに声をかけた。
「そうだ。もうここからは安心できる場所じゃねえ。アノン、お前も脳天気に飛んでばかりでいるなよ」
グライドは一応アノンに念を刺す。
コニーはその入り口の物々しさから、地下の様相を想像して戦き、生唾を飲み込んだ。
「まあ脅すわけじゃねえ。様は全員目のつくところにいろよってことだ」
グライドはマンホールに片手をかけてそれをどかす。
その先には先の見えないどんよりとした暗闇が広がっており、さびた鉄の梯子が下へ伸びている。
「オレが先に降りる。コニー、オレに続け。悪いがアノン、最後に降りるときにこれ閉めといてくれ」
もう既に梯子を下りようとしているグライドが、マンホールの蓋を親指で指して言う。
「か弱い女の子に頼むことそれぇ? 手も汚れちゃうじゃない!」
とても不満げな様子でアノンは言ったが、グライドはそれを無視した。
「そういえば、グライドは地下街で具体的に何するつもりなんだい?」
コニーはグライドに声をかけた。
「情報屋の所へ行く。昔のなじみのところだ、信頼は出来る」
グライドは梯子を降りつつそう答えた。
コニーは慌ててグライドの後を追い、降りようと梯子に足をかけたところで、そういえばいままでスカートを穿いたことってあんまり無いなとふと彼女は思う。
すると急にアノンの顔が耳まで真っ赤になった。そうなってしまった理由は彼女自身もよくわからない。
「どうした?」
グライドが降りようとして動きを急に止めたコニーに、下から声をかけた。
「何でも無いよ! 直ぐに降りるから!」
コニーは声が震えないように最大限に注意しながら声を返した。汗で梯子から滑り落ちないようにするのと謎の恥ずかしさで、ぎくしゃくとした動きで梯子を下る。
何で、なんだって急にこんなに恥ずかしくなるんだ。
だからそんなにニヤニヤしてこっちを見ないでってば、アノンさん。
時代の混迷期に生まれたマグラドは、一体誰が中心となってその街を作っていったのか、今となってはそれを知るものはいない。それは昔から今に至るまで、この街は人やドリーマーの出入りが激しいため、街自体に対しての知識や文化の継承が難しいという背景も助長していた。
そのため、どうして作られたのか由来の解らない建造物や何故生まれたのか名産品などが存在しており、街に住む人々はそれを当然のように受け入れていた。まるでまともに取り合っても無駄、とでも言うように。
マグラドの地下に広がる世界は、そうした「昔からあるけどよくわからないもの」の最たる例の一つだった。
街の地下に無数に張り巡らされた下水道、そしてそれに入り交じる地下道や用途が解明されていない謎の空間などが入り交じり、混迷を極めていた。
その規模は他と比べても大きい街であるマグラドの二倍や三倍、もしくはそれ以上とも言われている。そして、大小含めるとそこに点在する地下街の数は到底数えきれないほどに存在していた。
そうしたこともあってか、あまりにも広すぎる地下の前にVACの検挙は殆ど意味を成さなかった。
そのためVACは基本的に地下は野放しにし、地上の警戒を強めるというスタンスをとっていたが
とどのつまり、マグラドはVAC本部にとってドリーマーが多く存在する以上見捨てることも出来ず、かといってその管理には大いに手こずるという目の上のたんこぶ的な存在だった。今回クロウスやニールセンがマグラドで上手く動けないのも、そうした事情があってのことだったのだろう。
三人はマンホールから下ってしばらく下水道を歩いた後、比較的規模の大きい地下街を訪れていた。
「オレの側から離れるなよ、コニー、アノン。ここで見失ったら事だからな」
グライドは地下街に入ると直ぐに二人にそう告げた。
そうしてグライドは目つきの悪い目を普段以上に光らせて、周りを警戒しながら地下街を歩き始める。
グライドの周りの二人は、始めて訪れる場所に不安を覚えて親にくっつく子供のように、彼に離れないようにしつつ辺りを観察していた。
しばらくすると、アノンが意外そうに呟いた。
「…なんか上とあんまし変わらないね。ちょっと色々とアブなそうには見えるけど」
コニーも警戒すると言うより、好奇心の眼差しを周囲に向け始めていた。それも無理は無い。何せ彼女にとって今まで見たことも無い食べ物や生き物、奇妙な形状をした道具などが無造作に置かれているのだから。
「まあな。上の奴らがある程度の危険を承知で、地下に買い物しに来るのも珍しいことじゃないからよ。上だとVACやら体面やらでうるさく言われるのは、大抵地下に流れてくるからな」
法を無視したでたらめな構造のものや、掘っ立て小屋に近いものなど、好き勝手に立てられたいくつもの建物が、縦横無尽に折り重なって地下街は形作られている。
「別に地下に住む奴ら全員が全員、法を犯したあれくれものって訳じゃねえんだよ。別に何もしてなくても、持って生まれたモノのせいで上に暮らしたくても暮らせねぇ奴だってたくさんいる」
三人は狭い通りを人を縫って歩くだけで無く、建物の上を渡り歩いたり、板が乱雑にかけられただけの道などを横に縦に斜めに進んでいった。
「要はここは上より受け入れられる容量が色々と大きいんだ。だがな、地下には地下のルールがある。それさえ守れない輩は、更に深く暗い場所に潜っていくしかないんだろうな」
グライドは特に迷った様子も見せず、黙々と道なき道を進んでいき、いつのまにか目的地へ辿り着いていた。その間二人は、周りを警戒しつつ観察もして、グライドについて行くと大忙しだった。
基本的にそれまでの地下街の建物はスペースに溢れんばかりに詰め込まれたものや、見かけに無頓着そうなものが殆どであった。
そしてその地下街を深く入っていった場所に、目的の店はぽつんとあった。それは建物の中に溶け込むようでいて、しかしよく見ると他の建物よりしっかりとした、凝った作りになっているのが解った。その質素かつアンティークな外観は、地上の小物屋のような小洒落た店より余程センスを感じさせる。
それが壁に掛けられたランタンの炎によって、ぼんやりと照らされていたのだった。
「……すてき」
アノンは思わず呟いた。コニーも頷いて同意を示す。
グライドはそれを聞いて、ああお前達はこれ見てそう思うんだなとのんきに考えていた。
開業中とかかれた札を下げた扉を開け、グライド達は中へと入った。
明かりの絞られた長い廊下がそこには続いており、三人はグライド、コニー、アノンと並んで進んでいく。
奥にはまた扉があった。グライドはノックをするが返事は無い。かまわず彼は扉を開けて中へと入った。
「ッ!?」
途端に、後の二人の鼻の前に鮮烈な幽香が漂った。それは思わず頭を抑えてしまいそうなほど、妖しくかぐわしい香りだった。
その部屋は凝った装飾の長机と、その奥にかかったヴェールによって区切られていた。ヴェールの奥からのおぼろげな明かりより、そこに何者かの影が映っているのがわかった。
「どちら?」
ヴェールの向こう側にいる人間が尋ねてきた。どうやらそれは女性のようだった。
「オレだ」
その声の主はグライドの声を聞くや否や、あからさまにため息をついた。そんなことは解ってるけれど、聞かずにはいられなかったとでも言いたげに。
そしてするすると、ヴェールが徐々に開いていく。
ヴェールの奥のソファに腰掛けて居たのは、何処か蠱惑的な空気を持った女性だった。半開きの少し隈のある目に、大胆に着崩した上品な布による服。そうした、わざとくしゃりと崩したような雰囲気を纏うその女性は、この店の奥に潜むものとしてこの上なく相応しい存在だった。
気怠げな表情で、手に持ったキセルを咥える。そしてグライドの方を見据えると、ふうと煙を吐いた。先に訪れたときの妖しい香りがまた強まる。
「久しぶりじゃない、グライド」
「そうだな、フィ……いや、こっちではアマレットで通っているんだったっけな」
「それを言ったら殺すわ。言葉通りに。今すぐに」
いつの間に取り出したのか、キセルを持つ反対の手には鋭い串のようなものが握られている。
「ああ、悪い。悪かったよ。頼むからその物騒なものをしまってくれ」
「全く…」
彼女は串を回転させると服の何処かにするりと隠した。その間アノンとコニーは部屋に充満する香りに半ば酔っていたのもあり、目の前に現れたその大人な女性とグライドとのやりとりをぼんやりと凝視していた。
「相変わらず無神経な男ね、アンタは」
「おまえは昔と印象を変えすぎすぎなんだよ。ドリーマーになろうがどうしようが、基本的に人の根っこは大きく変わんねぇもんだろ」
「……だから、私の昔の話はしないでって。直接言わなきゃその頭じゃわからないかしら?」
言葉にたくさんのトゲをつけてアマレットは呟いた。
本当にやりずれえ。グライドは探偵を名乗る癖して、相手の心を察するということが苦手だった。人間観察により視覚的な情報を認識し考察することは出来るが、対象の心境を想像するということが彼的に不向きなのだ。
昔は風が吹いたら倒れそうな程弱々しかったくせに、今ではまるで地下街の女傑とでも言いたげにトゲトゲしく、そして逞しくなりやがって。
グライドが気まずそうにしているのを見てアマレットはフンと鼻を鳴らした。そして何時までも変わらない男から視線を外し、その側で縮こまっている子供に興味を移した。
「その子があんたが最近連れてる子ね。聞いてるわよ、やもめのおっさんが年端もいかない少年を連れ回し始めたってね」
「えっ、あっハイ!」
話題がこちらに移ってきてコニーは我に返る。
さも面白そうにアマレットは言いつつ、流れるようにコニーを下から上へと観察する。見られているコニーは気が気でなかった。
近くを浮遊するアノンも、ドリーマーで無いであろうアマレットに見えてない筈なのに、何処か落ち着かなく感じコニーの肩を掴んでその後ろに隠れる。
「おい。言い方が悪いぞ」
「でも事実でしょう。自分が他者にどう思われているのかって言うことを、自分の胸に手を当ててもっとよく考えてみる事ね」
アマレットは素っ気なく答えた。グライドはそれを聞いて苦虫を噛み潰した様な顔をする。
コニーは咳払いして気を取り直すと、目の前に存在する今まで出会ったことの無いタイプの人間に対し、なるべく無難で友好な態度を取ろうと試みる。
「初めまして、コニー・ニコルといいます。最近グライドさんのところでお世話になっています。ボクがいることで気分を害してしまったなら謝ります」
彼女はアマレットの目を見据えて話した。
アマレットはそれを聞くなり、常に眠たげに半開きだった眼を少し見開いた。
そしてしアマレットはしばらくコニーを見つめていたが、急に吹き出した。
ふふ。うふふふ。あはははは!
アマレットは面白くてたまらないと言いたげに、高らかに笑い声をあげる。
コニーは訳が彼女の反応が全く理解できず、困惑の極みにあった。正直もう泣きだしてしまいそうだった。
「あらあら、こんな朴念仁よりよっぽど良く出来てると見たわ。いいわね、ウチで働いてみない? 給料も出ない地味な」
「この人訳わかんない人だけど、ちゃんと評価されてるのよコニー君。だから落ち着いて、自信持って」
アノンは固まって動けなくなっていたコニーを励ます。
「おちょくるのもいい加減にしろ! 結局情報は見つかったのかどうなんだ!」
業を煮やしたグライドがぴしゃりと叫んだ。何時までものらりくらりとしたこいつに付き合わされてると、まだ若いコニーが自分を失って泣き出すのは明白だった。
明らかに聞こえる大きさで舌打ちした後、はいはいと言いながらアマレットはグライドの方に向き合った。
「聞いたとおり調べておいたわよ。スカーグが事件を起こし始めた時期の前に起きた、少年が関わった行方不明事件」
どこから取り出したのか、ばさりと机の上にいくつかの事件を纏めた資料が置かれた。グライドは既に電話で今回の件を伝えていたのだった。
「そしてあんたが欲しい情報は恐らくこれね。半年前に秘密裏に処理された失踪事件」
アマレットは広げられた資料の一つを掴み、それを顔の前に掲げた。
「マグラドでも多少名のあった地主と、その一人息子。彼らは召使い達を除くと二人だけで暮らしていたみたいだけど、日召使いが全員暇をもらっていたある日に、二人は屋敷から忽然と姿を消した。争った形跡はあったらしいけど、それが二人によるものか外部からの侵入者によるものなのかは判断できなかったそうよ」
「秘密裏っていうのは、親族にその事件を潰されたのか?」
グライドの言葉にアマレットは頷いて了解の意を示した。「ええ。一族にとっての汚点ですもの。手付かずの遺産もあったから、事を荒立てないほうが良いと判断したんでしょうね。街の名士が突如遺産も何もかもを残して、息子もろとも霧に消えたっていうのが上で知られてる情報」
「地下に話の続きがあるんだな?」
グライドがアマレットの言葉を継いだ。彼女は面白くもなさそうにふんと鼻を鳴らす。
「見つかったのよ、その地主の男が。下水道の隅の吹きだまりにあったから損傷が酷いらしいけど、残った服の切れ端と歯形でその地主だって最近判明したらしいわ」
「その仏の死因は?」
もう大方その答えは予測できていたが、グライドはアマレットに尋ねた。
彼女は口の端を少し吊り上げた。
「……もちろん、絞殺。首の骨が粉々になるほどに絞められ、いいえ潰されたせいで頭と身体が皮一枚で繋がっていたそうよ」
「成る程な……」
グライドは納得した様子を見せた。
「可能性としてはその男の息子か。そいつの年齢は?」
「16。確かにその子の死体は見つかってないけどね」
そう言いつつアマレットは何処か楽しげだった。
先日見た外見からも年齢は合致する。スカーグの正体がその地主の息子というのは十分あり得る話だろう。
アマレットは机の上に何枚かの写真を広げた。それは誰かの部屋を映したものだった。
壁一面に並ぶ大きな本棚と、しっかりとした木の作りの大机。机の上には開きっぱなしの参考書が置かれているのがわかる。
「もしかしてこの部屋って、その息子さんの……」
コニーは驚いた様子で写真を見ながら言った。
「そのもしかしてよ、可愛らしい助手クン。既に屋敷は親族に売り払われたけど、調査のために取られた写真をいくつか入手できたの。おそらく、息子さんの部屋と思われるものもね」
流石に話が早い。付き合いが長いというのは面倒なことも多いが、基本的にこういった時に余計な手間が省けられるのは悪くない。
「本だらけで別に変わった様子はねえな。まさに良いとこの坊ちゃんの部屋って感じだ」
グライドは見てそのままの感想を言った。この写真だと死因だけでその息子をスカーグ扱いするのは早急な事のように思える。
「そうね、私もそれだけを見たら普通のお坊ちゃんの部屋くらいにしか思わなかったでしょうね」
「もったいぶってないで早く出せ。その言い分なら、決定的なモノが他にあるんだろ?」
アマレットは懐から小ぶりなファイルを取り出した。
「その部屋の机の隠し戸棚から発見されたそうよ」
机の上にそのファイルが置かれた。どうやってそんなものを手に入れたんだと考えると別な事件が関わってきそうだったが、グライドはあえて無視した。
彼はそれを手にとり、まずは表紙を見渡した。内容を示すような文字や記号などは書かれておらず、それ自体は市販で買えるような何の変哲も無い代物だった。
グライドはそれを開いて中身を見た。
そして中にファイリングされていた写真達を見たグライドは、少しの間言葉を失った。
視線を送らずとも彼の隣の二人も、それを見て明らかに動揺しているのがわかった。
スカーグの執念。夢の源泉。そのファイルにはそれが詰まっていたのだった。そして疑念は確信へと変わる。
「まあ、変わった奴なんだな。アイツ」
「グライドがそれ言う?」
側のアノンは思わず返したが、その声はすこしかすれていて、どことなく元気がない。
「…………」
グライドは言葉を返さなかった。アマレットはそんな彼をじっと見つめていたが、ふと視線を逸らしたかと思うと大きな欠伸をした。前の三人はアマレットのその様子を見て、すっと毒気が抜かれたように我に返る。
「今回はこんなものね、探すのにちょっと手こずっちゃった。やっぱり、変に立場がある人間が関わってくる案件はなるべく首を出したくないもんだわ」
ふうとアマレットは一息ついた。そして思い出したようにグライドの方を気怠げに見る。
「払えるツテはあるのね? ちゃんと?」
アマレットはキセルの先をグライドの方へと向けた。
グライドの動きが一瞬ぴしりと固まったのが隣の二人にも理解できた。そして彼は自然な動きで資料をしまおうとしているが、その実ぎくしゃくしてしまっているのが丸わかりである。
つうと一筋、グライドのこめかみに汗が流れる。
グライドがゆっくりと口を開いた。
「ま……」
「私もこれは仕事よ。何時も言ってるけど、信頼問題があるから後払いなんて普通は受けつけないんだからね。私と縁があったことを天に感謝なさい」
彼は開いた口を閉じかけたが、言い返すことはできると思い直した。
「払えねぇわけじゃ」
「何? あんたもう誰も顧みずに一人で好き勝手にできる状況じゃないってこと、もう忘れてるの? また変に意地張って駄目な方向に行きたいの?」
完敗だった。自分の事情を自分以上に理解する目の前の馴染みに対して、グライドは両手を軽く挙げて白旗の意を示した。どんなに情けなくても、ここは彼女の情に甘えるしかなかった。
「用件は終わり。んじゃさっさと出て行きなさい」
アマレットはそっけなくグライドに言い放った。グライドは言われずとも解ると言いたげに、だが少し気まずそうにその場を後にしようと立ち上がった。後の二人も慌ててグライドに続く。コニーは彼がここに自分たちを連れて行きたがらなかった理由が、その哀愁漂う後ろ姿から何となく想像できてしまった。
そして三人とも何も言えず、部屋から廊下に出てそそくさとその建物から出ようとした時だった。
「ちょっと待って」
廊下の中頃まで歩いたとき、後から呼びかける声が響く。そこにはいつの間にいたのか、アマレットがキセルを片手に廊下の壁を背もたれに佇んでいた。
「貴方たち、少し時間いいかしら? ああ、言わないと解らないでしょうから言うけど、あんたは先に行ってて」
グライドは何か言いたげな視線をアマレットに送ったが、傑局下手に言い返すこともできずにその場を去った。
「……何でしょうか」
コニーは目に見えて解るほど警戒していた。グライドの知り合いとはいえ、胡散臭い雰囲気の彼女を信用することができなかったのだ。
コニー自身には、それが彼女への嫉妬にも近い感情であることを、まだ理解できていなかったのだが。
「あー……さっきはごめんね。べつに意地悪したかった訳じゃないのよ。アイツが女の子を連れてるのが似合わなすぎて、それがあんまりにも面白くて」
うふふとアマレットは心底楽しそうに笑う。その笑顔は先の雰囲気から想像できないほど、無邪気なものだった。その様子を見て二人は意外に思った。
「言っておくけど、あのバカを先に行かせることに関しては問題ないわ。どうせ店の前で一人時間を潰してるでしょうから。気まずそうに」
コニーはアノンは視線を送った。どうやらアマレットはそれほど警戒する必要はないということを、二人は視線で交わし合った。
「よく知っているんですね、先生のことを」
コニーは少し砕けた様子でアマレットに尋ねた。
「先生、か。いっちょ前に呼ばれちゃって」
まるで自分の事のように、アマレットは嬉しそう笑いながらに言う。
「まあ何だかんだで長いわね。アイツとの付き合いは」
キセルを吹かせながらアマレットは遠い目をした。
「気が向いたら今度話してあげるわよ。少し脱線したけど、なにが言いたいかってかっていうとね」
彼女は少しだけ恥ずかしげな様子だったが、意を決したように二人を見据えた。
その表情は真剣そのものだった。
「支えてあげて、グライドを。アイツ自身は自覚してないけど、マグノリアさんを亡くしたことを心の底でまだ引きずっているのよ。私ができなかったこと、貴方たちにはできそうだから」
マグノリア。それは二人が出会う前、探偵業を始める前に亡くなったグライドの妻の名だった。アノンとコニーは話では聞いていたが、詳しいことは結局聞けずじまいで終わっていた。
けれども、グライドがその妻を本当に大切に想っていたことだけは二人とも理解していたのだった。
「努力します。ボクにできることは、まだ少ないですが」
ボクたちならきっと出来るはずです。コニーはその言葉を飲み込んだ。
アノンもアマレットの方を真面目に見つめながら頷いていた。果たして彼女にはアノンが見えていたのだろうか。
アマレットはまだ年若い少女の、素朴な決意を見て満足げな表情を浮かべた。
コニーはそう、決意したのだ。
もっと彼の役に立ちたいと。
「アマレットさん、折り入って頼みがあるんです」
「……何かしら?」
アマレットはその少女の決意を、さも面白そうに見つめた。
グライドはアマレットが言ったとおりの様子で、二人を外で待っていた。
「あいつに何か吹き込まれたか?」
グライドは単刀直入に二人に聞いた。
「いや、特になにも? 相手が相手だから気をつけてって言われただけ」
コニーは破顔しそうになるのを必死に抑えた。その相手はスカーグではなく目の前の相手のことであったが、少なくともアノンは間違ったことは言っていない。
「そうか、ならいい」
グライドは彼女達が話したことが、それだけにしては随分と待たされたことを思いつつも、それ以上は聞かなかった。
「詳しく聞かないの?」
彼の追求がそれで終わったことに対し、アノンは思わず口に出していた。
「聞いても仕方ないだろ」
それ以上でも以下でも無い。女同士の話を掘り出すことが無粋以外の何ものでもないことを、グライドでも流石に理解していた。
「先生、あの人と昔どんなことがあったんだい?」
「気になる気になる! 教えて!」
コニーはずばりと思っていたことを聞いた。その言葉につられてアノンもわくわくとした様子を見せながら続く。
「少し、ほんの少しの間付き合ってたくらいの縁だ。その時より、情報屋になってからの方がよっぽど付き合いが長いだろうよ」
グライドは二人の若い好奇心に若干押されながらも、無難に答えた。
「ええーっ、もっとなんかない?」
アノンはその答えに不満を覚えたのか不服そうに言う。グライドはそれを無視するかのように彼女に視線も向けず進んでいたが、しばらくしてからぽつりと呟いた。
「まあ、大事な女だよな」
その言葉は何故か聞いてはいけなかった様に思えて、二人はそれ以上追求しなかった。
それきり三人は地上に上がるまで一言も言葉を交わすことは無かった。
「ふん、空気が湿気ってきてやがるな」
グライドはそう言いつつ、背もたれに身体を預けて空を見上げた。地上に戻ってきた三人はひとまず中央広場に向かうと、ベンチに座ってくつろいでいた。
「恐らく今日明日辺りで雨が降って霧が出る。奴はその時にまたなにか一騒ぎ起こすはずだ。そこを叩いて止める」
グライドは自分で確かめるように言う。他の二人は黙ってそれを聞いていた。
スカーグのことはおおよそ掴めた。後は真正面から立ち向かって、そしてその夢を受け止めてやるだけだ。
勿論それには大きな危険もあった。だがこのまま放っておけば更なる犠牲者が出ることは明白であり、そしてなによりその男を、その少年をこのまま放っておくことなどグライドには出来なかった。
問題は、奴をどうおびき寄せるかだが……
「先生」
顎に手を当てて悩むグライドに、コニーは呼びかける。
「ボクにいい考えがある。聞いてくれるかい?」
そういうと彼女は不敵な笑みを浮かべた。
グライドは始めそれを少し面食らった様子で見ていたが、コニーの笑みに合わせるかのように、悪そうな笑みを返した。
それはまるで母親に隠れて悪巧みをする親子のようだと思え、アノンは思わず苦笑しつつも、ベンチの縁に座って二人のやりとりを静かに見つめていた。




