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DREAMER  作者: ツギハギ風船
事件ファイルNo.1「SCRAG(スカーグ)」
1/6

#1

/00/


 霧の夜。この時怪都マグラドは、不気味なほどの静寂に包まれる。

 濃い霧におぼろげに映し出されるのは街灯、そして民家の明かりたち。それらは霧の中で今にもかき消えてしまいそうなほど、弱々しく揺らめいていた。

 霧はまるで生き物のように流動し、何処へと向かって流れていく。その流れの果てにあるのは、果たしてこの現実であるのだろうか。

 人一人、いや生き物一匹として、その街の通りや広場を往く者は居ないように見えた。その様子からは、数時間前にこの場所が賑やかな喧噪に包まれていたとは到底想像出来なかった。

 そう、マグラドを初めて訪れた人は、まずこの街の昼と夜の顔の違いに驚く。騒がしいと感じるほどに、人々の喧噪にあふれる昼。そして人々が身を潜め、月明かりが街を照らす静かな夜。

 そして運良く……霧の夜に遭遇したのなら、ゴーストタウンと見まがうこの街の一側面を拝むことになる。

 その異様な雰囲気に飲まれ、何も知らない外の人間でも霧の中へ繰り出そうとするものは殆どいない。だが、僅かではあるが確かに、自分の威と好奇心を試すために霧の中へと向かおうとする愚か者が少しはいるものだ。 

 その者にマグラドに詳しい友人がいるのなら幸いである。何せこの街で今もなお多発する行方不明者の一人に、名を連ねることを止められる余地があるのだから。


 マグラドの霧は人を飲む。


 それは古くからこの街に対して囁かれる噂の一つであり、この街に住む者なら誰しも知っている「事実」だった。生き物一人居ないこの夜は、そんな住人達とこの街との一つの付き合い方の形なのだ。

 百年前に生まれた時から、マグラドは数え切れないほどの怪異と隣り合わせの街だった。夜の霧も、この街で最も警戒すべき怪異の一つにすぎない。

 しかしいつだって、そんな夜にも例外はある。

 今日の夜は、霧を避けるようにして夜道を静かに駆ける男が一人いた。彼は頑丈なスーツケースを小脇に抱えている。

 男は先を急いでいた。同時に警戒もしていた。

 危険を冒してまで霧の夜を出歩くのは、地下街や下水道にはより大きな危険が彼を待ち構えているということに他ならない。

 そう、彼は迷信の危険より現実の危険を回避することを重視したのだった。幸い、霧の夜でも長い間出歩かなければ何も問題は無いという話を、信用ある同業者から聞いている。

 だがそれにしても、この霧は気味が悪いものだった。冷たいはずなのに生暖かいような、外に出ているはずなのに何かにすっぽりと包まれているような……そんなちぐはぐで名状しがたい感覚に襲われるのだ。

 そういう心境もあって、その男は待ち合わせ場所に急いでいた。今回の取引が成功すれば、この街の裏の環境と彼の立場は大きく変わる。それはこの街を、更に大きく回ればこのふざけた世界の情勢を掌握できるかもしれないチャンスでもあった。

 そんな夢を彼は抱きつつ、地下街へ向かう「抜け道」を通っていた最中のことだった。

「マチス・ベルアルノールだな?」 

 背後から聞こえる自らの名を呼ぶ声に、マチスは足を止めた。

 振り向くと、黒い帽子、黒いコートと全身を黒ずくめの衣装に身を包んだ男がそこに立っていた。

 白い霧の中にゆらりと浮かぶ黒い姿は、まるで影のように見えた。

「誰だ貴様は?」

 その男の顔は影に隠れて確認できなかったが、声質からそのコートの男がまだ年若いことがうかがい知れた。恐らくまだ二十歳にもなっていないだろう。

 だがマチスは警戒を怠らなかった。この霧の中では何が起きても……どんな存在が唐突に現れても不思議ではないのだ。

「質問に答えろ。お前は最近この街を根城に違法物を横流ししているマチス・ベルアルノールだろう? 先日はデータを取るためだか知らないけど、街の学生グループに試作の麻薬を流して破滅に追い込んだばかりだったね」

 意外と物知りなやつだ。気に障る。  

「フン、何だか知らんが貴様のようなガキに答える義理はない」

 一切無駄のない動作で懐から拳銃を取り出すと、マチスはその男に向けて発砲した。それは屈強な男でも直ぐさまに昏睡するほどの強力な麻酔銃だった。狡猾で残酷なマチスは様々な状況を想定すると同時に、自分に楯突いた相手をただ一息で殺すだけでは気が済まないのだ。 

 そう、撃とうとした筈だった。

 男に標準を合わせた刹那、マチスは銃を持った手に大きな衝撃を感じた。同時にバシン!と何かが右手の壁に叩きつけられる音が響いた。

 マチスは壁に目を向けた。そこにはぐちゃぐちゃになった麻酔銃と自身の手があった。彼が男に向けた腕の先は唐突に途切れ、骨が飛び出ている。

「ッ……!」

 若いときから各地の裏の世界で生きてきたマチスは、人並み以上に度胸も胆力もあり、何度も死地を見てきた。しかし今回に至っては想定外だった。

 不可解な街で、霧の中に一人。何時も自分を守ってくれた手段が、一瞬でゴミ屑のように払われたなどと。

「今持っているそのケースはその試作の麻薬だね? 知っているよ。この後地下街の取引場所に向かって、それを本格的にこの街に広めようとしているのも」

「クソッ!」

 踵を返して逃げだそうとしたマチスだったが、それは叶わなかった。 

「がああっ!」 

 片足を吹き飛ばされたマチスは今度はたまらずに叫んだ。バランスを崩してその場に倒れ込むと、芋虫のようにその場を這って逃げようとする。

「何を急ぐんだい?もう既に取引相手はこの手で始末したよ。もう貴様の行き着く先はどこにもない」

 こんな筈では。何故こんなことに。護衛の一人でもつければとも後悔したが、こんな化け物相手では全くの無駄かと思い直した。

 そう、今日はツキが悪かったのだ。すこぶる悪かった。

 マチスは自分の夢が霧の中に消えたことを知り、半ば諦めに近い感情に支配されていた。

「お前のような愚図がのさばるうちは、このマグラドに平穏は訪れない。お前のような害虫を死滅させるために、俺の力はある」

 男はマチスの身体を起こすと、首を掴み上げた。そしてゆっくりと、首を絞める力を強めていく。

「くそ、ドリーマー、め……」

 死を覚悟したマチスは目の前の男を忌々しげに睨み付けた。

「こんなのが、人間であって、たまるか。貴様ら全員、気色悪い化け物だ……」

 それを聞いて、俯いてマチスの首を絞めていた男は顔を上げた。

 それはまさしくまだ幼さを残す青年の顔だった。その口角がつり上がり始め、目が見開かれていく。

 笑っているつもりなのか。そんな狂人のそれに近い、ちぐはぐな表情を浮かべて?

「そうだ。害虫どもを裁く権利を持つのは人間じゃ無い。人間から進化したドリーマーだけだ」

 ぼきり。

 その音が自分の首の骨が折れた音だと理解したのを最後に、マチスの意識は霧の中へ霧散していった。



/01/



 グライド・バーシルは今日も事務所で仕事机の椅子に座り、窓からマグラドの街の通りを行く人々を見下ろしていた。 

 今は昼時。中央広場に続く通りは多くの人たちで最も賑わう時間帯だった。

 通りを往くのは、様々な外見をした人々。その人々に声をかける出店の人々。ストリートパフォーマンス。世界で最も観光客が訪れる街の一つであるこのマグラドは、何十年も前からこうした特色に合わせた発展を行っていた。

 それはいつ見ても飽きの来ない光景で、実際グライドはマグラドが生み出すこの世界が好きだった。二十年以上前にこの街に移り住んでから、その気持ちは今でも変わらない。

 グライドはそんなマグラドの街で数年前から、探偵業というこの街では唯一の職業を営む男だった。探偵と言っても、彼は探偵小説に出てくるような【安楽椅子探偵アームチュアデイクテイブ】のような存在でもないし、【灰色の脳細胞】を持っているわけではない。

 グライドのモットーはいつだって身体を張ることだった。彼はもう若いと言われる年ではなかったが、かといって街のチンピラやそこいらにいる悪党に後れをとるほどヤワでもない。そのシンプルで説得力のあるモットーが功を奏したのか、この仕事でもグライドは何とかやっていくことが出来ていた。特に無くしたものを探すことに関しては、安定した評価が事務所にあった。

 ただやはりというか、何というべきか。こういうぼんやりとしがちな時期は今でも急に訪れたりするのだ。

 彼はほうと大きく一息ついた。時計を見ると、こうしてからもう一時間も経っている。そのまま椅子を倒して身を預けると、天井を見つめてじっと固まった。

 何て言うんだろうな、その……

 グライドはぼんやりと取り留めの無い考えを巡らせつつ、目を閉じた。長手袋をつけた左手を額にあてがう。手持ち無沙汰になったり、考え事をしたりするときの彼の癖だった。ひんやりとした感触が額に広がる。

 急に、誰かが彼の左手を握り額からそれをどけた。思わずグライドは閉じていた瞳をゆっくりと開けていく。

 ぼんやりとした視界に、少女の顔がひろがっていくのがわかった。

 グライドの頭上に一人の少女が浮かんでいる。

 彼女のらんらんと輝く緋色の瞳が、彼の瞳を捕らえた。

「平和ね。素晴らしく」

 そう言うと少女はにっこり笑った。

 褐色の肌に、薄い銀色の髪。白いワンピースに身を包んだ彼女は、瞬きすると消えてしまいそうな儚さがあった。

 少女はそこが何もない空間であるのにもかかわらず、両の手を頬に当て身体を楽にするようにくつろいでいる。

 だがグライドはそんな景色は慣れっことでもいうように、あくまでも冷静だった。

「……どいてくれアノン。息がしずらい」

「あら、いじわるー」

 そう言いつつも、アノンと呼ばれた少女はふわりとグライドの頭上から離れる。そして机の横の低いタンスの上に座り込んだ。そこには本や可愛らしい小物等が雑多に散らばっていて、彼女のくつろぎ場所でもあった。

「どうせ暇だとでも思ってたんでしょ」

 足をふらふら遊ばせながら、リズムをとるかのように身体を揺らしてアノンは言った。 

「だったらどうした。仕事のことを考えてれば仕事が来るのか?」

 我ながら嫌みったらしいなと思いつつも、グライドはつい口を出してしまっていた。

「そーいうことじゃないよ。ただぼんやりしてるグライドが面白かったから、少しちょっかいかけただけ」

 ふふっと悪戯っ子のようにアノンは微笑んだ。奇妙な出来事が日常のような光景となっているこの街でも、アノンの存在はとりわけ異質だった。グライドは彼女を幽霊の親戚か何かと考えることで一応の納得は得ていたが、それでも妙な力があったり、いつも空中に自由に浮いていたり、人々の認識にズレを生じさせたりと、考えの及ばない特徴がアノンにはいくつもあった。

「ここ最近、大きな事件もないからね」

 一方から、別の声が響く。それは中性的で、張りのある凜々しい声だった。

 グライドが座る机の正面、客用のソファに座り新聞紙や本を広げつつノートをとる少年……いや、男装の少女がいた。

 コニー・ニコル。数ヶ月前彼女はとある事件でグライドと関わって以降、訳あって彼の事務所に居候していた。

 コニーは顔を上げてグライド達を仰ぎ見た。彼女の視線はどこか憂いを帯びている様で、それは彼女の性別の境界を曖昧にさせている。

「ここに来てからしばらく経つけど、こんなにゆっくりできたことはこれが初めてだ。お陰でようやく、今までのことを振り返られるってものさ」

 少しキザったらしくコニーは言った。その言動、憂いの瞳と相まって、彼女は同年代の少女から密かに人気を集めているらしい。

 その仕草を見て、グライドは彼女がここに初めて訪ねて来た頃を思い出した。あの殺伐とした様子から随分と余裕が生まれたもんだ。彼はそれを少し嬉しく思うと同時に、だがどうしてそれこんなキザな態度に行き着くんだ? と少し不思議に思った。

「じゃあコニー君、買い物でも行く? 普段はそれでもいいけど、たまには女の子らしい格好しなきゃね」

 アノンが嬉しそうにコニーに話しかける。

 マグラドは人も何も受け入れる街であり、そういう意味でも他の街と比べて物騒なところがあった。それも理由となって、今や天涯孤独の身であるコニーは、事務所に転がり込んでから今でも男装を続けている理由の一つになっていた。

「え?あ、いや。それはまだいいかな……」

 虚を突かれたコニーは少したじろぎ、視線を外した。明らかに触れられたくない話題のようだ。

 アノンは面白い玩具を見つけた猫のように目を丸くする。そしてふわりとコニーの方に飛んでいくと、彼女の肩を揺さぶった。

「えー行こうよ行こうよねぇねぇ。せっかく暇なんだし」

 コニーは頑なにだんまりを決めていた。アノンのペースに飲まれると、どんな格好にさせられるか予想がつかないからだ。そして一方でアノンの無自覚な言葉のトゲが、グライドに突き刺さっていた。

 たまらずグライドは口を開いた。

「お前らなぁ……今の状況わかってんのか」

 好き勝手言い合って盛り上がる女の子二人に対し、グライドは大人として冷静に現実を突きつけることを決めた。

「二週間だ。ここ二週間、客が来ないんだぞ」

「正確に言うと十六日間だね。前の依頼完了からもう半月は過ぎているよ」

 アノンの追求からなんとか逃れようとするコニーの指摘に、グライドは少し言葉を詰まらせたが気を取り直して話を続ける。

「そうだ。だから何か依頼を受ける必要がある。そのために努力しなくちゃならないんだ、オレたちは」

「あたし達ちもなんか入ってるみたいだけど、それは主にグライドが悪いんじゃない? 外の人は勿論この街の人ですら、この事務所が何してるのか知ってる人は少ないんじゃないの?」

「あ、アノンさん!」

 その何一つ憚らない物言いに思わずコニーは声を上げた。

「だって~この場所眺めは良いけど、隠れ家的な感じになってるじゃない。殆どの人は一階の喫茶店に目が行って、その二階に何があるかなんて覚えてないわよ。宣伝もしてないし、場所からしてもやる気が無いっての」

 素っ気なく遠慮無くアノンは言葉を続ける。コニーはおずおずとグライドの方を見た。

 グライドは怒った様子はない。だがアノンは彼の右手とこめかみが僅かにひくついているのがわかった。

「コニー、いいんだ。こいつの言い分にも一理ある」

「一理どころじゃ無いと思うんだけど?」

「お前は黙ってろ」

 ショックを受けたとでも言いたげに、アノンは口を押さえて空中をくるくる回る。

「先生、ボクだっていつまでも穀潰しでいるつもりはないよ。貴方が許してくれれば、少しでも助けになれるよう働くつもりさ」

 コニーは必死にフォローする。実際それは本心で、ここ最近暇そうにしているグライドを観察するのは面白かったが、同時にそんな彼に何も出来ない自分に対し不安を覚えていたのだった。

「わたしもモノ探しくらいなら手伝えるよ~」

 にへらと笑いながらアノンはコニーの言葉に続いた。実際落としもの探しやペット探しの時は彼女の特性がとても役に立つのだが、残念ながらそれが直接多額の報酬に結びついたことは少ない。

 グライドはその二人の様子を見て眉間にしわを寄せ、そして額に指を当てた。目の前の少女達に対して呆れたのではない。いい年した大人が、子供二人……正確に言うとアノンは飲食を必要としないので勘定に入れなくても良いのだが……養うことに頭を悩ませていることに対して、嫌気がさしたのだ。

 そして何より、この年になって子供二人に心配されるとは…… 

 そうだ。気がつくと、既に自分一人の問題ではなくなっている。彼は数年前、事務所を開いたばかりの頃、一人で途方に暮れていたあの時を懐かしく思い出していた。

 実際、あの頃は今と比べものにならないほど生活は苦しかった。こうして探偵業を続けられたのは、なんだかんだでやることがあったからだ。前の職場のツテ、近所付き合いも兼ねた悩み相談、街のお尋ね者捜し。 

 ……そしてアノンと出会ったことによって、自分がやれることはもっと広がった。

 今のオレは一人ではない。一人で好き勝手にやりたいと駄々をこねるほどの子供でもない。

 コニーの言うとおり、オレの回りが騒がしくなってからこんな暇をもてあますのは初めてのことだった。色々忙しかった日々とはいえ、一息つくにはもう十分に時間を過ごした。

 寧ろここが大人になったオレの仕事か。

「いや、大丈夫だ。オレがなんとかする。お前らはオレが本当に必要とする時に備えとけ」

 二人はグライドのその言葉をまじめに聞いていた。アノンは言われなくてもと言いたげに、ふふんと少しふんぞり返って鼻を鳴らし、コニーは少し緊張している様子も見られたが、その目は真摯にグライドを見据えている。

 何だ、いい顔出来るじゃねえか。グライドは目の前の女の子二人を頼もしく思った。

 まずは顔でも洗って街にでも出るか。尋ねモン探しを受けて、必要とあれば地下で情報でも探って……

 グライドがそうしようと席を立とうとした時だった。

 事務所のドアをノックする音が響いた。


 その瞬間、彼らは直ぐに動いた。古い椅子に身体を預けていたグライドは背筋を伸ばして姿勢を正したし、アノンはひゅんと瞬時に彼の後ろに回って彼の肩に手を置いた。コニーは机の上の資料を直ぐに片付け立ち上がると、事件用のノートを懐から取り出すとその訪問者に備えた。

 グライドは最後に咳払いを一つすると、重々しく口を開いた。

「開いてるぞ、入ってくれ」

 ぎいいと立て付けの悪い扉が音を立てて開いていく。その訪問者とは……

「やあ、みんな元気かい?」

 どこか気の抜けたような、人の良い声が事務所に響いた。 その瞬間張り詰めていた空気が、盛大に足を滑らせて倒れ込んだ。事務所の三人は脱力すると同時にその訪問者を歓迎する。

 それはグライドの恩師こと元上司の、クロウス・クライズだった。

「なんだ、クロさんかぁ。サボりかな」

「なんだじゃねぇ、お前は大人しくしてろ」

 小声でグライドはアノンにそう告げる。

 アノンは一般人に、普通の人間には認識されないという特徴があった。それは自分だけに見える幽霊のようなもので、様々な人々に出会いと別れを繰り返してきたグライドであってもアノンは特に奇異な存在だった。

「お久しぶりです、先輩。そちらも元気そうで」

 クロウスはグライドが敬愛し、言葉に気を遣う数少ない相手の一人だった。

「君も相変わらずそうでなによりだ」

 クロウスは友人の様子を見て微笑んだ。

 彼は応接のソファに静かに座ると、ふうと一息ついた。

「やはり落ち着くね。外の騒々しさに疲れた時はここに来るのに限る」

「クロさん、最近の調子はどうですか?」

 接客担当のコニーは、もう既にコーヒーを炒れる用意を始めている。彼女は小さい頃からコーヒーを炒れていたので、無駄のない美しい仕草で作業を進めていた。それは色々と不器用なグライドには出来ない芸当だった。

「ああ悪いねコニー君。まあこっちは相変わらずだよ。君の方は、この事務所の生活にはもう慣れてきたかい?」

 クロウは優しく微笑んでコニーに問いかけた。

 逆に質問を返されたコニーは、少しきょとんとして作業の手を止めた。そして直ぐにハッとして気を取り直すと、慎重に言葉を選びつつ答えた。 

「……少しは慣れてきたと思います。グライドさんの仕事をある程度は手伝えるようになってきたので」

「そいつは上々。聞いて良かった」 

 まるで自分の子の成長を見るかのように、クロウスは嬉しそうに頷いた。そういえば、先輩は結婚していたが子供の話はついぞ聞かなかったなと、グライドは思い返していた。

「どうぞ、お口に合うといいんですが」

「ありがとう。どうやら、君のコーヒーは僕の舌に本当に合うようだ。ここに来るときはいつも、これを楽しみにしているからね」

 コニーはそれを聞いて少し頬を赤らめた。クロウスの初老の優男という雰囲気が、こうして若い女性をどぎまぎとさせるのだ。普段はクールを気取るコニーも、こうやって年相応な反応をがあるんだなとグライドはぼんやり考えていた。二人の他愛ない話をひとしきり聞いた後、グライドは口を開いた。

「もしかすると、何か心配事ですか?」

 二口目を味わおうとしていたクロウスの動きがゆっくりと止まった。そしてカップを静かに受け皿に置く。

「流石に鋭いね。カンは衰えてないということかな」

「オレはこいつと身体張ることしか能が無いんで」

「何を謙遜しているんだい」

 クロウスはそれを聞いてさも可笑しそうに笑う。そして一息置いた後、彼の顔に常に浮かんでいた人懐っこい笑みが消えた。

 クロウスの鋭い視線が、グライドを射貫く。

「ここ最近、この街で連続絞殺事件が起こり始めていているんだ」

「絞殺……」

 アノンが呟いた。久々に物騒な単語が出てきたなとグライドは思った。コニーはいそいそとペンを取り出し始め、続くクロウスの言葉を待っている。

 そしてクロウスは膝の上に手を組み、事件の詳細を淡々と話し始めた。

「先程も言ったとおり、被害者はいずれも絞殺。それも人の手によって直接絞め殺されている」

 クロウスは言葉を続ける。

「奇妙なのが、そうして手で絞め殺された後に放置されず、壁に吊されているんだ。最近だと裏通りでの事件があったが、煉瓦の壁にわざわざ棒を突き刺して、それに縄をかけて犠牲者を吊している。まるで、そうだな……」

「……絞首台のように」

 アノンがクロウスの言葉の後を継いだ。しかし彼には彼女の言葉は聞こえない。

「見せしめの殺し方だっていうことですか」

 グライドはアノンの意を汲んで話を続けた。

「そうだな」

 クロウスはそれを肯定する。グライドとのこうしたいつもの会話の流れもあり、彼は癖で煙草を取り出そうと懐に手を入れたが、コニーのことを考え止めることにした。

「絞殺されたガイシャは年も性別もバラバラで、事件の状況的には首吊り以外共通することはないんだが、彼ら全員の素性の方に共通していることが一つあるんだ」

 クロウスは言葉を続ける。

「被害者は全員、素行がよろしいものでなくてね。ある者は昔からの指名手配判、あるものは最近はやりの薬物の大元、果てはどこにでもいるような只のチンピラにも、その吊し上げがされていた」 

「ふん、悪人を裁いているつもりか?」

 グライドは唸るように言った。コニーは彼のその言葉に裏に荒々しい怒りを感じ取り、ほんの少し怯えた様子を見せる。

「さあね、そこはまだ不明なところだ。今わかっているのは、この街に潜む犯罪者達の命が狙われている可能性が高い、ということだ」

 クロウスは一息ついた。そして少し冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干すと、話の核心を切り出した。 

「殺しから分かると思うが、恐らく犯人はドリーマーだ。放っておくと厄介な部類のね」

 ドリーマー。

 その言葉を聞いた事務所の三人は思わず身構える。グライドは手袋で覆われた左腕が疼くのがわかった。

 世界転生の後に現れるようになった、ヒトであって人でない者達のその名前に。



 それは百年前以上前のことだった。突如として、世界の全ては濃霧に包まれた。

 既に一世紀が経った今では、当時の様子を詳しく覚えている存在は殆ど存在しない。ましてや、何故そんなことが起きたのかなど。後世の人々は、あくまでもこう教わってきただけだ。霧によって世界が塗り替えられたと。

 霧が晴れた頃、世界の常識は大きく覆された。今までの歴史と科学は只の空想となり、世界は再び未知に溢れる世界へと変わっていた。

 これが後世の人々に知られている、「世界転生」と呼ばれる出来事だった。

 それだけではない。世界各地に「新人類」と呼べる存在の報告が相次いだのだ。

 人々はそれをドリーマーと呼んだ。自分の夢を想い続け、それを現実へと映し叶えた者達の総称だ。彼らは自分の願いを叶えるために、特殊な能力や身体的特徴をを持つに至った人間達だった。

 だが誰しもドリーマーになれるわけではない。何年も夢を見て努力してもドリーマーに至らないものもいれば、ふと望んだ小さなことがきっかけでドリーマーとして覚醒する者もいた。

 そしてそのドリーマーの中には、その力を悪用しようとする者も少なくなかった。そして特にその危険性が大きい者は「怪人」とも呼ばれるようになっていた。



「加えて犯人はガイシャ一人を狙って現れる傾向にあるらしい。標的の周りにいた邪魔な人間を退ける目的で危害を加えることはあったが、殺されてはいない……まああくまでも死んではいない程度だがね」

 その言葉の様子から、事件の被害は馬鹿にできないようだった。

「待ってください。その犯人の顔は割れているんですか?」

 すかさずコニーがクロウスに問いただす。確かに、聞く限りだと事件の規模は小さくなく被害者に生存者がいる。目撃者から容姿が割られて既に指名手配されていていてもおかしくはない。

「ああ、ガイシャを殺した犯人を見た者は何人かいる。いわばガイシャの殺しに巻き込まれた外野の話でな。犯人の姿は黒づくめの服装だったらしいんだが、残念なことに遠目からだと言うことと、事件のショックで詳しい容姿は思い出せないらしい……皆頭を強く打ってるみたいでな」

 申し訳なさそうにクロウスが言葉を返す。

「負傷者はどんな負傷を?」

「聞くと、負傷者は犯人に近づこうとして、いきなり大きな衝撃をくらって吹き飛ばされたそうだ。それによって昏睡、骨折、打撲。中には腕を吹き飛ばされた者だっている」

 グライドはそれを聞き少し言葉を詰まらせる。

 そしてもう一つ疑問が生まれた。

「……そこまで大事にもなって、VACは動いていないんですかね?」

 グライドは恐らく今回クロウスがわざわざ事務所に訪れた理由であろう事柄を、彼に尋ねた。もうある程度答えは分かりきっていることではあったが。

 クロウスはグライドを見据えると首を縦に振り肯定の意を示した。グライドはそれをみるなり額に手をついてため息をついた。

 クロウスは夢幻管理局(Vision Administrate Center)……通称VACに所属する一人だった。彼らはドリーマーの研究及び鎮圧を目的とする組織で、世界転生の後の混迷期の活躍からこの世界の実質的な治安の主権を握っていた。グライドは元VACの一員であり、その折でクロウスと知り合ったのだった。

「僕以外にも、この連続絞殺事件がドリーマーによるものだと気がついている者が本部に居るはずなんだ。それなのに動こうとしないのは、恐らく犯人の存在が都合が良いからだろう。大々的な事件にならず、目の上のたんこぶの犯罪者が刈られていくことがね。負傷者も犯罪組織同士の抗争での負傷とでも言えば何とでもなる」

 グライドはそれを聞いて少し顔をしかめた。古巣の事情を思い出しているのだろう、容易に想像できる事態だった。

「……それがもっと厄介な事態を引き起こす可能性があることも無視して、か」

「そういうことだ。僕が君に相談したのは」

 クロウスはふうと一息ついた。

「わかりました先輩。資料があったらオレに渡してください。直ぐにでもこちらで調べてみてみます。今丁度……」

「やはり今は少し暇だったかい?」

 少し意地悪そうに笑ってクロウスは言った。 グライドは思わず言葉を詰まらせる。

「……すんません。なんか気を使わせてもらえたみたいで」

 クロウスがこうやって暗に事件の調査を持ってくることは珍しくない。グライドは依頼を受ける形で、この元上司の悩みを受けるのだ。事件解決に導いた場合には、彼が元VACというのも相まって、報酬は約束される。

 要は昔辞めた仕事をまた行っているのだ。探偵業という不安定な職を営んでいるのも相まって、これはグライドにとってありがたいことだった。

「いやいや、こちらも君の独自の動き方には何時も助けられている。やはり組織じゃ色々動きづらいことも多くてな……いや、これは一言多かったな。すまない」

 クロウスは思わず口に出た自分の失言を詫びた。誰にも人付き合いが良い彼のことを考えると、これは珍しいことだった。

「気にしないでください先輩。だからこそこうして、オレが先輩の相談を聞くんですから」

「本当に昔と変わらんな、君は」

 クロウスは友人の、初めて会ったときから向けられるその真摯な気力を頼もしく思い、笑った。

「ふーん」

 いつの間にかコニーのとなりに浮かんでいたアノンは、その二人の様子をまじまじと眺めていた。「漢の友情ってやつ?」

 コニーは自分にその言葉が向けられていることを知り、とりあえず少し首を傾げた。その関係の重みを知るにはまだ自分にとって早いように思われたが、コニーは目の前のもう若くない男二人の繋がりを羨ましく思えた。

「んじゃ悪いけど協力頼むよ。詳細は置いておくけど、何か知りたいことがあったら直ぐに言ってくれ。くれぐれも無茶はしないでくれな」

 帰りの決まり文句を言いながら、クロウスは調査資料の束をグライドに渡すと公務の方へと戻っていった。

 元上司を見送ったグライドは緊張の糸が解れたのか、椅子にどさりと座り込んだ。そしてコニーとアノンに視線を送る。

「絞殺事件かぁ……」

 アノンは複雑そうな顔をしている。依頼に人の生き死にが関わってくると、彼女はいつもこうだった。感受性の強いアノンはいつだって、他の世界に感情を入れ込んでしまうのだ。良くも悪くも。 このような事件にもう慣れてしまったグライドにとって、それは身近ではあるが貴重な反応だった。

 コニーは空を見つめて持っていたペンを回している。緊張からか、それが何時もよりぎこちない動きになっているように見えた。

 事務所で働いてから、このような深刻な事件に関わるのが初めてだからだろう。少し気を遣う必要があるかなとグライドは思った。

 グライドは腕を突き出して背筋を伸ばした。なまり始めていた身体がバキボキと音を立てる。

 そして姿勢を戻すと、今の仕事仲間二人に号令をかけた。 

「大事な仕事だ。解決させるぞ」

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