1-04 Ⅳ級クエスト:腐臭禍ツ屍人屋敷ヲ一掃セヨ
半月が経って、カロは初めて一勝を飾った。
「だからって、なんでアンデット屋敷なのよ。腐臭がついちゃうじゃない」
「……うるさいな。いちばん報酬がよかったのがこれなんだから仕方ないだろ」
「腐乱屍人の巣窟ですか。ま、ほかのパーティーがいなきゃぼろ儲けですね。叩けば潰れる! 動きもトロい!」
カロは四人を引き連れ、依頼のためにマジャリスより遠くノリノイ湿地まで赴いていた。
昨日、初めて模擬戦闘で一人倒した。カロがびびってかがんだのをフェイントととった相手のミスではあるが、勝ちは勝ちだ。参った、と言われた。カロは文字通り舞い上がった。残り少なくなった手持ちの金で高いラム肉を食らって、飲みなれない酒を飲んだ。琥珀色のエールは苦いばかりだったが、カロは満足して腹太鼓を打った。
翌朝、すぐに依頼を取って酒場に駆け込んだ。ろくでなしのクソ野郎どもは、朝晩を問わずそこで古椅子を軋ませている。「討伐依頼だ! 今から行くぞ!」と声を掛ければ、各々気だるげな返事の大人たちのケツを叩いて蹴り上げて出立だ。
「おいガキ、てめぇ、あんな馬車どっから借りてきやがった。水白馬なんざ借りる余裕があんのか」
後ろから飛んできたズビの声にカロは肩を強張らせた。余裕。そんなものはない。湿地だし、馬より飼いならされた異種族の水白馬の方がいいと思ったんだ。実は勘定、足りていないのだけれど。後払いだというから、今日の報酬でなんとかなると踏んだのだ。
「小径の手前に繋いできちゃいましたけど、盗まれたらことですよねえ。モネさんこわぁい」
湿地。というよりジャングルだ。足場が極端に悪い鬱蒼と茂る森。こんな場所に屋敷なんて誰が建てたのだろう。
ノリノイ湿地の西側奥深くは、東側のひらけて明るいそれとは訳が違う。季節によっては観賞できる花も咲く東側と違って、西側の花は観賞できない。咲いた花は見つけ次第即、叩き切らねば四肢か、運が悪ければ命を持っていかれる。脚喰い腐花の撒き散らす胞子に触れてはならない。胞子を吐き出す前に根元から刈り取れ。また、蛇の薬指のツタが這いずり回る音に注意せねばならない。触れられたら最後、鋼鉄よりも頑丈なツタに首が落ちるまで愛されることになる。いたいけな少女の笑い声耳を傾けるな。血の臭いを好む花鈴妖鬼に頭の中身を吸われたくなければ。クソッタレ。こんな致死性異種族だらけだなんて聞いてない。報酬が弾むわけだ。
「こんなの、モネさんだったらひとりで全部焼き払っちゃいますけどねえ」
「できるわけないだろ。銀粘土が残って発狂種になるだけじゃんか」
「モネさんなら銀粘土も焼けますよ。こんがりと。……あっ。これ言っちゃいけないんだった。いまのなしでお願いしますね」
カロは先頭で舌打ちをした。ほざきやがって。ブロードソードの刃はすでにぬらぬら光る粘液でグチャグチャだ。銀粘土は付いていない。カロが察知次第切り付けている致死性の化物植物は絶命に至っていない。ごく僅かな銀粘土を核に、しばらくしたら再生し動き始めるだろう。銀粘土。ナナ。その正体は銀粘土鑑定士のみにしか知られていない。異種族と呼ばれる、人に仇為す化物を作り出す銀色の、流動性のある、粘土に見えなくもない何か。それは人間にとって毒にも金にもなる。じかに触れれば毒、触れずに鑑定士に差し出せば金だ。銀粘土を一定以上保有する異種族は賞金首になる。それは往々にして知性を持っていたり、人間に甚大な被害をもたらしうる魔力を持っている。今回の腐乱屍人は後者だ。何せ、人間の屍が人間を超える膂力を持って動き出す。それは感染性である。もしも体内の血流に腐乱屍人の体液が流れ込んだ場合、ただちに血清を打つ必要がある。手持の血清は三回分。パーティー人数分には足りないが、カロのパーティーには神官がいるのだ。それも、大神官。アンデッドなど恐るるに足らず、だ。まともに機能すればの話だが。機能しろよ。頼むから。屍姦嗜好にはアンデッドも含まれるのか?
「おい、クソガキ」
ズビの声が飛んできた。カロは乱暴に返事をする。一拍おいて、今度はシャーリーの声がした。
「つけられてるわよ」
「知るかよ。他のパーティだろ。オレがリーサルを追っ払った道を楽して歩いてきてんだろ。クソ」
ひそひそと、後ろで大人たちが囁き合っている。クソ。クソ。クソ野郎! 言いたいことあるなら言えよ。大人はすぐに隠す。隠して、子どもを利用する。カロが金で買った大人ですら同じなのか。カロを金で買った大人と同じなのか?
若さを溶かす欲しがりの木の滴る樹液が数度かすめた頃、カロたちはようやく屋敷に到着した。それを屋敷と言っていいのか疑問ではあるが、扉が見つかったのだから建造物ではある。傍目から見れば、樹木とツタにまとわりつかれ、緑と黒の巨大なだまになった何かだ。
「テディ! おまえが先頭で入れよ、今日こそ働けよな」
「ムッ」
テディが戦斧を構える。ドアを叩き壊す気だろうか。なんて思ったのも束の間、すぐにだらりと腕を下ろした。
「屍……やわい、のぅ。ワシはカタイもんしか相手にせん……! フン」
ニヤッと笑って、それがさすが歴戦の猛者という雰囲気でカロは悔しい。その表情に見合ったはたらきをしろよ。カロは苛立ちを抑えきれない。でも、半分は、自分に対する苛立ちだ。
あきらめてカロが先頭で突入する。シャーリーは欠伸なんかしてやっぱり先行する気はなさそうだ。いつも。いつもいつもいつもこうなんだ。結局、カロがなんとかするしかない。カロがひとりで。手にした力も使いこなせない子どもは、うすっぺらい経験のありあわせで状況ひとつひとつ、変えていくしかない。
強くならなきゃ。
強く、強く。どんな力も従わせるくらいに。
「ねえ、やっぱり戻らなぁい? 腐臭がひどくていやになっちゃう」
ふざけたことを抜かすシャーリーなんか、無視だ。カロは勇んで屋敷に踏み入った。
その瞬間から空気が違う。
異様に冷たくて、血と肉が腐った臭いが一層強くなって笑えるくらいで、まるで屍の中に埋もれてしまったみたいだ。廊下を進んで、進んで。まだ会敵しない。しない、けど。想像以上に来るものがある。悪臭で鼻から脳が揺らされて、じきに前後がわからなくなった。身体のと周囲の境界線が曖昧になった。足が地面に縫い付けられたように動けない。嘘だろ。まさか。たかだかⅣ級の、アンデッド屋敷で? だいたい、腐乱屍人にこんな異端術が使えるなんて聞いたことない。今は屋敷のどのあたりにいるんだろう。ていうか、みんなついてきてる? 動悸。吐き気? ここはどこだ。頭の中がひたすらぐるぐるする。倒れるな。クソ。心臓の音がうるさい。まるで禁制呪術じゃないか。まだ前は見える。見えない? そうだ、ゴーグル。震えて痺れる両手でゴーグルを暗視モードに切り替える。十時の方向。会敵。腐乱屍人。声ならぬ声を上げて、何かを振り上げてカロを強襲せんとする。迎え撃たなきゃ。この状態で? 脚も腕もぐらぐらだ。ふざけんな。この状態でも、やれ……!
カロは死ぬわけにはいかないのだ。強くならねばならない。誰にもその生を侵犯されぬように、もっと強くなって金と権力と名声を。カロは地獄にミンミを置いてきた。いつか迎えに来るから待っててくれと言い残して、ミンミの鎖を砕くことをあきらめた。だから、ここでは死ねない。世界も異種族も銀粘土の秘密もどうだっていいが、ミンミを迎えにいかなくてはならないのだ。
だから、頼むよ。
こんなところでビビってんじゃねえ。
オレの身体、動け──!
「──言わんこっちゃねェ」
そう言ったのは、誰だったのか。
刹那、カロの目前に迫っていた腐乱屍人が爆発した。
次回、「仕組まれた屍人屋敷」
5/1投稿予定です。
<世界を救わない豆知識:Ⅳ級依頼>
冒険者は往々にして依頼を受注し、報酬を得ます。今回、カロの受注したⅣ級は最も一般的なパーティークエストのランクになります。異種族との交戦が必ず含まれます。なお、これ以下は「おつかいレベル」、一つ上だといわゆる「レイド戦」となります。同じ級の中でも難易度に大きな幅があるので、内容をよく確認しなければ痛い目に遭うそうです。