1-02 強くならなきゃ
「なああああああああああああああああんでちゃんと動かねえんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
夜の酒場でカロは絶叫した。
ろくでなしの大人たちと、まばらな他の客がカロを見て小ばかにしたように笑っている。
「オレの! 指示通り! 動けよ! なあ!? なんでテディはいっつも後ろにいるんだよ! お前が前に出ないと進めないだろ!? なんで岩ばっかり斧でぶったぎるんだよ!」
テディは呵々と笑った。白髭をエールの泡でさらに膨らませていた。
「ったりめえよお! ゴブリンより! 岩の方が! 硬い! ワシは硬いものをぶったぎるゥ……! なんでもだ! ワシは! 硬くてでかいもんを切る……ムフゥッ……!」
テディは腰布一枚以外は全裸だった。ほぼ全裸で筋肉を見せつけながら弁明した。カロは目眩がした。やめよう。テディのクソジジイはボケているのだ。次だ。次。
「シャーリー」
「アタシ、パス」
「パスじゃねぇよ!」
カロはぶんぶん腕を振り回した。大爆発寸前の怒りエネルギーを、どうにかこうにか発散しないと限界だったのだ。
「盗賊だったくせに斥候ができないってどういうことだよ! ふざけんなよ! なんでオレが行くんだよ! おかしいだろ!?」
「やぁよ」
「なんでだよ!?」
シャーリーはぐっと体を傾け、カロに顔を近づけた。甘ったるい酒のにおいがきつかった。くらくらするのはテディのせいか、酒のにおいか、はたまたその微笑みの色香か。
「だめよぉ、クソガキ。レディの誘い文句も覚えられないようじゃ、この先苦労するわよ」
カロは強く舌打ちして目を逸らした。ちくしょう。こいつも話が通じやしない。
「モネは前に出すぎだって言ってるだろ。魔術師が前衛でどうするんだよ」
モネは青白い顔を傾げて不思議そうだった。
「はて。魔術師は前衛では?」
「んなワケねーだろ! おまえほんとにリコリス軍にいたのかよ! リコリスの魔術師絶対そんなこといわねーよ!」
「そうですかねえ」
へらへらと笑うモネを見ていると、それはもう胃がひっくり返りそうなほどムカムカムカムカこみあげてきた。いっつも死にかけているくせに。突っ走って敵陣ド真ん中で詠唱を始めるなんて気が狂っている。フォローするのはいつもカロだ。死ぬ気でフォローしないと、モネはきっと簡単に死ぬ。なぜって、このパーティーの神官はたいがい機能していない。
「ズビは」
怨霊の塊みたいな暗い声が出た。憎さあまって癇癪百倍だった。
「テメーはよお! ふざっけんなよおい! なんなんだよ! なんなんだよほんとふざけんな! 死ね! 死ね! 死ね! 百回死ね! 倒錯聖職者! あぁ!? テメーのどこが聖職者だ!? 脱げ! 今すぐその神官服脱いじまえよこの……!」
カロはズビにつかみかかった。ズビはおかまいなしにカロの頭を押さえて煙を吹きかけた。カロは咳き込んで目をつむる。頭上で大笑いする大男のクソ神官を、本気で殺してやりたいと思った。
「脱いでいいのか? お誘いか? わりぃな仔猫ちゃん、あと五年――十年経ってから来い。ガキは趣味じゃねぇ」
「死ね! オレは男だ!」
「男でもいいが、ついてるか、もともとついてた奴じゃねえとそそらねェんだよ。青年聖歌隊の連中はよかった。ありゃあ良い」
「しっ……!」
死んじまえ。
斥候に失敗したのは、そりゃオレの責任かもしれないけど、そもそもそれだってシャーリーがやるべき仕事だったはずだ。そうして前方から押し寄せるゴブリンをテディが止めるはずだったのに、奴は後方で岩を砕いていた。余計にゴブリンが集まってきた。なぜかモネが突っ込んでいった。おかげでカロが前衛だった。カロが魔術師のモネの盾になって交戦を始めると、モネは軍事魔術の詠唱を中断した。クソ。なんでだよ。ふざけんな、とめンじゃねえよ! 叫びながらまだ未熟な剣の腕で、なんとかしのいだ。嘘だ。とてもしのげなかった。猛攻に傷だらけになった。カロは盾が持てない。小さなカロは、いちばん軽いブロードソードだって両手でないと扱えない。そんなカロが五体満足でいられたのは奇跡だった。ズビ。回復を。ていうか、防護壁くらい張れるんじゃないの、なにしてんだ――と思ったら。
四肢を杖で潰したゴブリンを。
たぶん、雄を。
揚々と犯していたとか。
「ほぁんぐうおおぉぉおおあああああああああああああああああああ」
思い出すと吐き気がする。
ちょっと吐いた。
「汚ぇもん見せつけてんじゃねぇよドグサレ変態ハゲ神官……! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ねよ! なんでテメーが生きてんだよ死ねよ!」
「俺が死んでたらてめぇが生きてないだろうが」
「うるせぇ! えらそうにすんじゃねぇよ! ろくに仕事もしてないくせに!」
「傷くっつけてやったろ」
「ほかのパーティーに全部持ってかれたあとじゃねえかあああああああああああ死ねよおぉおおおもおおおぉぉおおおぉおお」
カロはいつだってこうだ。昔から、こう。大人に振り回されて。大人に逆らえなくて。大人が美味しい思いをしているのを指をくわえて見ているだけ。爪を噛んで、噛みすぎて、カロの指先はいつも血が滲んで痛い。
シャーリーがパイプの先から紫煙を立ち上らせながら言った。
「ねえ? あんたなんで回収士雇わなかったの? 雇ってたら火事場泥棒だってできたでしょうに。むしろ競合する依頼はそれが華ってもんでしょうよ」
「お。さすがはシャーリーさん。盗賊らしいですねえ。モネさん同調しますよ。それができてたら今日の報酬ゼロは――」
異種族の死体から生じる銀粘土。それを銀粘土鑑定士のもとに持ち込むことで特定の異種族を討伐したことの証明となる。シャーリーの言う通り、他のパーティーが討伐した異種族の銀粘土を手早く回収すればそれを自分の手柄にだってできる。それを防ぐためにパーティーに銀粘土回収士を組み込むのは定石だ。それを行うために回収士を組み込むのもまた、後ろ暗い連中には定石だ。
カロはカウンターの上のグラスを取り上げて一気に飲み干した。モネの、まだ手の付けられていない真っ青なカクテル。口に含んだ瞬間から舌がしびれた。喉は焼けそうに熱く感じた。それでも全部飲んでやった。ヤケになっていた。腰布もとっぱらって全裸のテディが賞賛に手を叩いた。うるせえ。全部全部耳障りだ。飲み干したグラスを高く掲げた。その勢いのまま床に叩きつけた。傷だらけに曇ったグラスは何度も嘔吐をブチまけられた汚い床で粉々になった。
「強ければ、そんなのいらないだろ」
力こそがすべてだ。
力のないもの。腕力のないもの。権力のないもの。財力のないもの。知力に欠けるもの。みんなみんな、損を見る。それは総じて子どもだ。カロのような、小さな子どもには力がない。だから、騙される。使われる。いたぶられる。だからカロは考えた。考え抜いて計画を立案した。勇んで実行した。その結果、カロは金を手にした。女より力の強い、男になることにした。さらに金で力を買った。雇用主になって権力を持った。
「オレが、まだ弱いから……!」
誰かが大きなため息をついたのを聞いた。カロは顔を上げなかった。見たくない、見たくない! オレをバカにするやつの顔なんて!
カロは歯ぎしりして身を翻した。立て付けの悪い酒場のドアを蹴り飛ばして外へ出た。夜風を切り裂いて走り抜ける。とても平和とは言えない、マジャリスの風にかおる血の匂い。ここでカロは強くなるのだ。強くなってやる。もっと、もっと強く。だれにもバカにされない、大人たちが唯々諾々と従うくらいの力。力。とにかく力が欲しい。
そして、いずれ迎えに行くのだ。結婚しようって。一緒に暮らそう、幸せになろうと言う、汚泥にまみれた吐きだめの地獄から救い出してみせる。ミンミ。必ずだ。いつかきみの声を聞くために──。
強くならなきゃ。
★
酒場のカウンターから離れた、テーブル代わりの酒樽を囲む数人。マジャリスの場末の酒場にしてはいやに上品に酒に口をつける輩がいた。いかがわしい甘い香りをさせて、彼らは冷笑を交わし合う。視線の先には騒がしいカウンター。カロと、ろくでなしの大人たちの一部始終について、濁って鈍く光る目で様子をうかがっていた。
「間違いない。あいつだよ」
そう告げたのは、冷たい大人の声だった。
本当はここまでが第1話の予定だったんです。本当です。
次回、「義勇兵修練場」