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2-05 約束

 うわ、と、カロは顔を引きつらせた。


「えっと、あの、ルシルぅ……」


 青金石の瞳は見間違えようがなく過剰に潤んでいた。ずずっ、と鼻をすする音。先刻まで戦斧を振るっていたとは思えない細い肩は、微かに震えていた。

 ルシルはカロの呼びかけに答えない。こちらを向こうともしない。涙の張った瞳は土埃に汚れた瓦礫を捉えてばかりで、カロは辟易してしまう。


「泣いてないわ」


「……そっか」と、納得したふりをする。


「ふん。意外と気が遣えるのね」


「べつに」


 ルシルに対して気を遣ったわけじゃない。ただ、カロなら、聞かないでほしいと思った。泣くのは弱い証拠だから、見咎められてはならない。


「代わりに、もしもオレが……その……見ないフリしてくれよな」


「どうせ二度と会わないわよ」


「……オレも泣いたりしないけどなッ!」


 ルシルが金色の髪をなびかせて立ち上がる。ふわりと香ったのは衣服に染みついた血の臭いだった。カロは袋小路での、一方的な虐殺を思い出して苦い顔をした。胸のつかえが棘を増していく。堪え切れなかった。


「ルシルは、また殺すのか」


 瓦礫の隙間から差し込む光は茜色を帯びはじめている。(ほむら)の色彩に支配されつつつある世界で、ルシルは薄く笑った。もう、涙は見えなかった。


「そうね。必要とあらば。いずれ終わる世界だし、だれもあたしを咎めやしないもの。──あなたは? 自分に不利益をもたらす人間がいたら。殺せない?」


 思い出すのはあの日のこと。神聖白光(ハローダスト)の満ちる屍人屋敷。震えて落とした両刃剣(ブロードソード)。あんなに憎んでいたはずなのに、カロはクララック卿を殺せなかった。ミンミのをことを聞き出さないといけなかったから? そんなのは言い訳だ。カロは人間を殺すことに躊躇した。


「──あなた、きっと幸せ者なのね」


「……へ?」


 そんなわけないじゃないか、と反駁する気にはなぜかなれなかった。幸福の総量で言ったら、カロのそれは下の下だ。物心つくころには娼館に並べられて、同じ境遇の子どもの断末魔をに耳を塞いで生きるだけの日々だった。原型をとどめない亡骸を見て、明日は我が身かと震えて眠った。ただ、手足が千切れたり、眼窩が空になるような客がつかなかったことは幸運だったのかもしれない。

 ルシルがどんな境遇なのかは知らない。けれど、だれかを殺めることなしに生きていくことができないのであれば。それは、カロよりずっと不幸なことなのかもしれない。そんなふうに思ってしまって、喉の奥がきゅっとする。



 ★



「やっっっっっっっと見つけた……」


 ため息とともにそう声を絞り出したのは、夏の長い陽がとっくに落ちてからだった。


「おうクソガキ、てめえどこ行ってたんだ」


 髪の毛一筋ほども心配していなかったことを隠す様子もない。ろくでなしの大人たち四人は陽気に酒をかっ喰らっていた。まあ、そうだよな。ズビ(おまえ)、ハゲだしな! なんて、カロには言い返す気力もない。

 もとはといえばカロが後先考えずに走り回ってしまったせいだ。その上、カロはどこで馬車を降りたのかも思い出せなかった。そうなってしまっては、ろくでなしの大人たちがいそうな酒場を手当たり次第探すしかない。どうせ大人たちはカロを探しなんかしないだろう。思った通りだ。どいつもこいつも呑気に麦酒(エール)腸詰め(ソーセージ)でよろしくやっている。

 やっぱりカロは、幸運なんかじゃ、全然、ない!


「──おや? そちらの可憐なお嬢さんはどなたです?」


 めずらしく頬に赤みが差したモネが示した先。ルシルがよそゆきの顔でにっこり微笑んだ。


「道迷いの子どもを見てしまって、放ってはおけなかったので」


「こっ、子どもじゃ」


「ああ〜、うちのカロさんをどうもありがとうございます」


「うるせぇ! ……はン、オレひとりでもこいつらなんて見つかってたぜ? 勝手についてきただけ」


「ええ。心配だったので、ついてあげてたんですの」


 ルシルの青金石の瞳がじろりとカロを射る。やっぱり、おっかない目をしている。カロは小さくなった。

 悔しいことに、カロの言ったことは大嘘だ。カロは街を歩きなれてはいない。マジャリス自治区は混沌としている代わりに目印(・・)がわかりやすかった(それは往々にして真新しいされこうべだったり、雨晒しにも落ちない血の跡だったりした)。しかし、整然とした建物のならぶ街並みでは、カロは迷いに迷った。間違い探しみたいな景色に徐々に頭が痛くなった。ルシルがついてくれなかったら、最悪、カロは裏路地でくたばっていたかもしれない。


「フンッ……娘……! すこやかにッ! 育てェ……! ウワーッハッハッハッハ!」


「はいはいおじいちゃん、夜は冷えるから服を着ましょうね、服を。……悪いわねアンタ、お礼に一杯どう?」


「……いいえ。結構ですわ」


 シャーリーの誘いを断ったルシルがカロを肘で突いた。その視線はは上裸(今日は下半身は衣服に守られていた。「街」ゆえに自粛しているのだろうか?)でバカ笑いするテディとカロを往来している。


「まさかとは思うけど」


 騒がしい酒場で、ルシルのささやき声はカロ以外に聞こえようはないだろう。


「あれがテオドア?」


「そうだけど」


「伝説の?」


「伝説の」


「ただのアル中ジジイに見えるわ」


「まあな。本気出せばちゃんと強いぜ」


 信じられない、とルシルは首を横に振る。カロだって屍人屋敷での容赦のない斬撃を見るまでは信じられなかったから、気持ちはよくわかる。でも、本当に強いんだ。テディは。飲んだくれだけど。それに、他の三人と違ってカロをばかにしないんだ。


「ねえ、ていうか、カロの仲間って──」


 シャーリー、ズビ、テディ、モネ。順に目配せして、ルシルは口を閉ざした。魔女は感知能力が鋭いという。きっと気付いたのだろう。彼らの正体が人間ではないということ。


「やっぱり、あなたは幸せよ。カロ。……少し羨ましいわ」


 でも、それがどうして「カロが幸せ」ということにつながるのか。カロにはわからなくて首を捻るばかりだ。 

 それじゃあ、とルシルが会釈して踵を返した。騒がしい酒場を後にして夜闇の街へ。カロはその後ろ姿をつい、追いかけてしまった。今度は迷子になんじゃねえぞ、と野次が飛ぶ。うるせえ。


「ルシルぅ!」


 店を出てすぐ、さあっと夜風が通り過ぎた。燐燈石(フォスタ)に照らされてきらめく金色の髪が不規則に揺れる。振り向いたルシルの顔はいささか不機嫌そうだった。


「──じゃ、なくて。エトワール、だよな」


「…………ああ。あなたにはもうバレちゃってるんだっけ。まあいいわ。二度と会わないでしょうし、あたしももうここには留まれない。──エトワール=スターダスト・ジュスト・アユイ。それがあたしの名前。……で、知ってどうするつもり」


 空気そのものが鋭さを増したのを感じた。ごくりとつばを飲む。あからさまに警戒されている。でも、カロには偽名ばかり使う彼女に言いたいことがあったのだ。


「いやその……名前、大切にしろよ、って」


「……はあ? そんなこと?」


「そんなことって言ったってな、大事なことだと思うぜ。迷子にならないためには」


「迷子? それは今日のカロじゃない」


「そういうことじゃなくて! ……ああもう、オレにはうまく言えないけどさ! おまえはエトワールなんだろ? その……ちゃんと信念があって、自分のためなら手段も選ばなくて、容赦がなくて、おっかない目ェする奴。いいか? エトワール、名前は記憶するんだ。名前が覚えてるんだよ」


「はあ……名前が、記憶?」


 「カロ」は覚えている。


 カロがカロになる前(・・・・・・・・・)から、そう呼ばれていたこと。カロ。私の愛しいカロライン。慈愛に満ちた優しい声音を、傷付けまいと触れる大きな手を。店から金を盗んで逃げ出した身なれば、「カロ」を名乗るべきではないことはわかっていた。けれどもこの名は記憶に深く結びついている。その記憶は失われるべきではない。失いたくない。もしかすれば、それは執着と呼べる感情だ。であれば、カロはカロであり続けるべきなのだ。その記憶の主がカロとは全く別人の「カロライン」であったとして、それでもこの記憶は、この名前は、カロに与えられたものだ。


「約束!」


 張り上げた声は幼くて、子どもっぽくて、いかんせん格好がつかない。


「エトワールはもうエトワール以外名乗らない! オレはてっぺんをとってミンミと結婚する!」


 星空の瞳の少女が蒼い夜闇の中、面くらった顔をしている。そりゃあそうだろう、カロだって似たようなつらで、どうして自分が「約束」だなんて言い出したのかさっぱりだ。


「なんであたしが今日会ったばかりの子どもと約束なんて──いいえ。話しすぎたのはあたしの方ね」


 不意にチカチカと瞬く光が闇を払う。星屑(スターダスト)と称するには眩すぎるそれは、確かに夕星(ゆうずつ)を集めて散らした綺羅星たちに違いなかった。


「あたしが何者なのか。あたしが何をしようとしているのか、あなたは何も知らないのに、無茶苦茶なことを言うのね。でも、いいわ。面白そうじゃない?」


「何者って、魔女だろ。……何しようとしてるかは知らないけど」


「復讐」


「え」


「絶対に殺したい奴がいるのよ。まあ、そいつはもう死んだって言われてるし、生きててもあたしには手に負えないんだけど」


 不穏な言葉ながらその声音は朗らかだった。それらの隔たりを正すよう、エトワールは言葉を続ける。


「なんてね! 嘘よ、嘘。そんな大それたことしようとしてないわ。あはは。けっこう嘘つきなのよ、あたし」


 瞬きが収束して形を成す。魔法のきらめきを纏った魔女の箒がその手に現れた。魔女は箒に乗って飛ぶ、という話は本当らしい。空を飛ぶ魔女はおとぎ話のように語られているけれど、目の前に実在する。


「じゃあね、カロ。もう二度と会いませんように」


 箒に乗った星屑の魔女がふわりと飛翔する。あっという間に夜空に舞い上がって見えなくなる。紺碧の空は蒼白い月が見下ろすばかりで、(エトワール)の名の少女の痕跡を少しも残さなかった。

 エトワールはちゃんと約束を守るのだろうか。自分の名前を無碍にすることはないだろうか? 嘘つきがもう二度と会わないことを願ったのなら、また会うことがあるのだろうか──などとぼうっと考えていら、野太い声がカロを呼んだ。


「おい、クソガキ。てめえに朗報だ」


 振り向いた先のズビがニヤッと笑う。


「『ミンミちゃん』が見つかったとよ」

これにて2章閉幕です。世界観の説明と、ロングパスな伏線と、カロの過去(?)について言及してみました。

次章はざっくり言うとシャーリー編です。ちょっと最近忙しくてお時間かかりそうですが、来週末には開始できるようにしたいです。


次章、「カロは仲間を好きになりたい」

お楽しみに!

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