2-04 「救われない世界の話」
魔女の間にだけ伝わる歴史があるの。
……それは歴史じゃなくてただの言い伝え、ですって? ええ、そうね。その通りよ。あなた方にとっては。唯一無二の正しい歴史はバベルの神話から連綿と続く、人間と異種族の消えない戦火、その葬列。銀聖教団によって編み上げられた、人間がかつての尊厳を取り戻すべく戦った軌跡。……意外そうな顔をしているわね。正史だって人の手によって編纂されたものよ。この世界の正史──「サニフェルミア紀」だってそう。
さて、カロ。あなたはこの正史を真実だと思う?
それとも、編纂者に都合よく作り変えられたカバーストーリーだと思う?
どちらと思っていようと構わないけれど、愚直は罪だと伝えておくわ。
あなたが罪深くも生真面目な銀聖教徒であれば、こんな神話を、あるいは歴史を信じているのかしらね。
──かつてこの世は理想郷だった。人間は神の与えし試練を乗り越え、やがてひとつに統一された。同じ言葉を話し、同じ概念を信仰し、共通の理想を掲げた。そうして幾百億の人間は発展に進歩を重ね、いくつもの特異点を突破し神へと近づきつつあった。しかしあるとき、「無限の灰色」が発生した。地を海を覆い尽くさんと広がる灰色に、人間は存続を脅かされた。そこで人間は灰色の大地から逃れるべく「天を刺し貫く無機の塔」を建てた。
すべてが溶け合い混ざり合う「はじまりの都市」バビロン。そこに世界中の人々は集い「バベルの塔」に安寧を求めた。
しかし、神はそれを赦さなかった。神の領域を侵した人間は天譴により分かたれた。分かたれた人間は異形へ作り変えられ、異能を与えられ、残った人間に牙を剥いた。始祖の異種族。天上の神はもはや神にあらず、地獄を率いる悪鬼の王となった。
……退屈そうな顔をしているわね。冒険者なら骨の髄まで叩き込まれる「大義名分」だもの。何の大義名分か、って? わからないのなら幸せなことよ。
それじゃ、退屈じゃない話をしましょう。
言ったでしょう?
魔女の間にだけ伝わる歴史がある、って。
魔女についてはよく知ってる? ……そう。精霊と契りを結んだ先天的な資質を持つ人間。──驚いた? 魔女はもともと人間よ。教団がそうと見做さないだけ。──魔女は人間と対立していたから人間と見做さない、ですって? その通りよ。でも、なぜ対立したかはご存じかしら。ふふっ。いくら調べたってわかるわけないわ。この世界の書史は人間至上主義に染まりすぎているもの。銀聖教団のプロパガンダによって、ね。
数千年前とも言われている神話時代。人間はあらゆる技術と文化を失って、ただ明日をつなぐことだけに必死になっていたというわ。異能を持つ化物相手になす術がなかったのね。異種族は集団を的確に襲ったというし……。そこから長い時を経て銀聖教団は設立されるわけだけど、そんな状態で、人間はどうやって組織を形成できるまでに再興したのだと思う? 銀聖教団によれば、世界で同時多発的に、同じ理念を有する人間が先導してコミュニティを作り上げたらしいわね。その理念こそ、今の銀聖教団の教義だわ。人間は善であり正義である。天上の神は善を侵す悪の化身である。
極端すぎると思わない?
そう考えてしまうのは楽だわ。巨大な概念を悪に堕として身を守るのは手軽なことよ。それでも、そんな思想だけで人間が再び社会を築けるようになるかしら。
いいこと? これからあたしが言うことはそういう疑念を前提として聞きなさい。
人間のコミュニティを先導したのは魔女よ。
……予想はついていたって顔ね。意外と馬鹿じゃないみたい。──魔女の力は異種族と同種の異能の力。魔女は資質のある「人間」。人間が人間のために力を行使することに何の不自然もないわ。
魔女に伝わる歴史は銀聖教団による略奪の歴史。教団は魔女から人間復権の立役者の名を掠め取って、教団の利権確立のために人間であることすら剥奪した。あたしたちが異種族の尖兵だということにしてね。ここからはカロも知ってるかしら。魔女狩りの興隆。「人間の姿形を騙る異種の化物」、だったわね? ──魔女たちは幸運にもこの世界に順応できたっていうのに、人間はあまりにも保守的だった。愚かしいくらいに、そうあるべきと命じられたみたいに。……。
もはや人間は異種族を恐れる必要がないくらいに発展したのに、この世界はあまりにも思想も価値観も統一されていて、それは銀聖暦が始まったその時から変わらない。啓蒙は許されない。異端は排斥される。どうしてかしらね。銀聖教団。異種族の核である銀粘土。堕ちた神と無限の灰色。魔女と異種族。ああ、たったひとつ、足りない欠片があるのよ。それさえわかればこの世界は変わるかもしれないのに。でも残念ながら、それはきっと人間が遠い昔に失くした文明の欠片なのでしょうね。
だから幻想に微睡む世界は終わりを迎えるの。
……気が狂れたのか? みたいな目で見るんじゃないわよ。各国の軍部とかなら察してるんじゃない? 遠からずこの世界は終わる。まどろみは覚めて幻想は掻き消える。サニフェルミアの名を冠したそのときからそれは決まっていたこと。──北方異端のことを言ってるのよ。……そう。何度蹴散らしてもその強さを増して湧いてくる正体不明の軍勢。知ってる? 国ひとつを気まぐれで灰に変えて遊んだ吸血鬼始祖──それと入れ替わりで現れたってこと。……なんでそんな怯えた顔するわけ? ……。ちょっと因縁があるのよ。ハルフィリアにはね。
そういうわけだから、人間はどうやっても潰されるようにできてるの。どうせ終わる世界よ。ねえ、カロ? 希望なんて持てるわけないでしょう? 希望を持ったところで、サニフェルミアの──銀聖教団に従わない意は潰される。この世界は分岐しないレールを進んでいるのよ。どうやって希望を持てって言うの? どうしたら思いを果たせるって言うの。教団に劣らない力を手にしたって結局は歪められてしまった! 夢も理想も願いもどこにも届かないんだわ。良いように利用されて、しまいにはあたしみたいな憎悪の化物が生まれるだけ──……。
次回、「約束」
6/14更新予定です。
ようやく世界観の説明回でした。
ちょっとポスト・アポカリプスっぽいところのある世界観です。胡散臭さ満点の教団とか、諸々のキーワードとか、魔女のお姉ちゃんの慟哭とか、色々詰めてますがカロと冒険する際には雰囲気だけなんとなくで大丈夫です。たぶんカロもあんまりわかってない。