プロローグ:花影の騎士
「聞いたか? 花影騎士の話」
「エルセミア貴族の? そりゃあ、聞かないはずがないだろう」
北方討伐最前線。凍てつく氷の大地にて、未だ正体の明かない化物どもを相手取る義勇兵たちは浮き足立っていた。
「勝てると思うか?」
よく晴れた薄明に陰るは粗野な作りのトーチカ。ダイヤの八を捨てた兵士の言葉には、確かに期待と呼べるものがこめられていた。
「さあ、どうだろう。一昨年捨てた要塞くらいは取り戻せるかもしれん」
斜向かいの兵士はテーブルの上に粗末な義足を投げ出し、やはりいくらかの希望を言葉に含ませた。
新式のジュストー星灯は安定した光量をテーブルの上に供給し続け、捨て札の山を仄かに照らしていた。今しがた捨てたカードの上に、二枚。斜向かいの兵士がカードを重ねる。ひどく磨耗した裏面の模様から、そのうちの一枚がスペードのクイーンだということがわかった。
「進んで北方入りする貴族なんて好事家か、よほど現実が見えていない善人かとお見受けするね。──が、」
「花影騎士はそうじゃない」
ドロー一枚、札を一瞥するや期待と落胆が入りまじる。かたや、やはりダイヤの八を捨てるべきではなかった、という落胆。対岸に期待の灯は消えない。花影の騎士。北方兵士の誰もがその話題で持ちきりだ。
「花影は北方の現実を知っている。先の吹雪の中、身ひとつで軍勢を退けた。壊滅状態に陥ったリコリス公国の魔導大隊を背にして。──チェックだ、アルドール」
「──ベット。……だが、人間じゃないって噂もある。従者は半異種族だって話だ。なんともキナ臭い貴族様じゃないか、ホフマン?」
アルドールが口髭をしごきながらにやにやと笑った。この厳しい北方前線で三年も生き残る彼は、何ひとつ不自由ない身分を持ってなおこの地にとどまるゆえ、好事家の括りに入るのだろう。北方に一年でも務めれば、一生を慎ましく暮らせるほどの報酬が支給される。とはいえ、一年も経れば屍も残すことができるか疑わしい。四肢を失うくらいで済むのなら、類稀な幸運の持ち主と言えよう。
「この際だ。人間かどうかなんてどうでもいいじゃないか」
新たに追加されたチップ代わりの弾薬を睨み、ホフマンは言葉を続ける。こんなことを教団に聞き咎められたらただでは済まないだろうが、生憎、戦場に神はいない。そもそも、神などとうに人間の敵になった。今、人間が祈りを捧げる神は地中深くに幽閉されているのだという。滑稽な話だ。
「この世界を救ってくれさえすれば。滅びを回避することさえできれば。俺たちは明日を疑わなくて済むんだ」
「その通りだ。俺たちはみな英雄になり損ね、英雄を求め続けている。人間かどうか、なんざ知ったことか。『花の眼』を持っていようが、万象を映し反す奇怪な魔術を使おうが、花影騎士は俺たちの味方だ。人間の味方だ。……ところで?」
「……コール」
花影の騎士。北方前線より遠く、はるか南に位置するエルセミア王国の貴族。弱冠十五歳で爵位を継承し、北方戦線に隣接するリコリス公国を通じて北方入りしたというが、その所以は明かされていない。
三人の従者を従え、常闇の吹雪とともに襲来した軍勢を討ち払ったうら若い騎士。強靭と慈悲を携え、人間の形をした人間でない者。
「──花影の名前、なんて言ったかな」
ホフマンの宛てのない問いに、弾薬を総取りしたアルドールが答えを返した。
「ああ。なんだったっけか、確か、カロ──……」
プロローグを追加してみました。色々と、伏線を散らしています。どうぞよろしくお願いします。
2020/6/21 朱坂