美しき水と炎の鏡 ~ハイリンダの青春録~
見たことの無い鳥類が木の上で勇敢にも吠えたけび、巨大な花は誘惑の蜜を垂れ流し毒虫をその身に纏う。
──テケケケケケ……
聞き慣れぬ自然の音に耳を傾ける事も無く、道なき道をひたすらに直進する少女がいた。
時折膝が落ち、地に手を着く。見れば毒虫が脚を昇り噛んだ跡が見られた。
「…………チッ」
毒虫を弾き暫しの休息。目眩を越え指先の感覚が戻ると、立ち上がり再び歩き出す。目的地は後僅か―――
不思議な植物を編んだ冠と獣の皮を身に纏い、祈りを捧げている老婆の後ろ。ようやく見つけたその姿に、ハイリンダは静かに歩みを止めた。
「……誰か来る事は予言に出ていた」
「なら、私が何者で何をしに来たのかは、当然分かるわよね?」
老婆は振り向き目を見開いてハイリンダを覗った。茶褐色の肌に白いペイントを施し、額には太陽の刺青が神々しく輝いている。
「予言は二つ出た。一つはお前が『神を冒涜する者』と。そしてもう一つは貴方様が『神を超える者』と……」
老婆の足下には小動物の骨が無数に並べられており、様々な模様が施されていた。老婆は小さな骨を二つ手に取りハイリンダに見せつける。
「そんな物で何が分かると言うのかしらね」
「魔鏡を見に来たと出た。故に我は神の意志に従い貴方様を案内する」
「自分達に都合の良い結果になるとは限らないわよ?」
「全ては神の意志である」
「都合の良い現実逃避ね…………」
老婆はハイリンダを小さな泉へと案内した。
それは大きな岩をくり貫いて作られた小さな凹みであり、地下水が岩の下から湧き出て泉となっていた。
「あんたらの考え方は好きじゃないけれど、効果が本当ならこの泉を覗き込めば悪しき自分が映し出され、泉が浄めてくれるそうじゃない?」
「左様……」
ハイリンダはホイホイと泉へと軽歩し立ち止まる。そして不意に振り向き老婆に問い掛けた。
「で? この後、預言とやらは何て言ってたの?」
老婆は暫し沈黙の後、静かに口を開く……
「貴方様には二つの魂が宿られております。水の如く清らかな青い魂と燃え盛る炎の如き赤き魂が……」
「ふーーん……」
その老婆の予言を覆したくなったハイリンダ。『予言』という言葉の響きが何か癪に障ったのか、唯単にひねくれているだけなのか…………。
「じゃ、覗くわよ……」
ハイリンダが岩に手をかけ静かに泉に顔を近付けた。
澄んだ水を湛えた水面に綺麗に映ったハイリンダの顔は、ササササ……と波紋が広がり青い影が映し出され、まるでもう一人の自分がそこに居るかのようであった。
「……コレ私なの?」
「静かなる魂じゃ……見よ」
ハイリンダがもう一度泉を見つめると、今度は水面に伝わる波紋は燃え盛るように広がり、泉の色はその身を焦がす赤の色へと変わり始めた!
メラメラと冷ややかに燃える水面の奥からは、冷たくも激しく怒りに満ちたもう一人の自分が映し出されている!!
「……コレも私……なの?」
「怒れる魂じゃ」
ハイリンダは半信半疑でその幻術を眺めるも、突如としてソレは彼女へと問い掛けた。ザブンッと両の手が二つ水面から飛び出し、岩を掴むと一気に現実へと押し掛けてきた!!
「!!!!」
「貴方様より【静かなる魂】と【怒れる魂】が分離したお姿じゃ!!」
泉から飛び出してきたにも拘わらず二人のハイリンダは全く濡れることも無く、その身に一つの魂をそれぞれに宿らせヒタヒタと泉を抜けハイリンダに差し迫る!
「コイツらが私だと言うのなら、……なら私は一体なんなのよ!?」
予言通り彼女には二つの魂が宿っているとして……泉が本当に彼女から二つの魂を引き抜き二人のハイリンダを作り上げたとしたら……今彼女に残されている魂は一体何だというのか?
しかしその答えを問うと言う事は【予言】を信じると言う事であることに、彼女はまだ気付いていない。そして気付けるほどの冷静さは既に失われていた…………。
「……まあいいわ! どっちも殺せば良いのだから……!!」
ハイリンダはポシェットから短剣と小瓶を取り出し、小瓶の蓋を開けると中に入っていた毒を短剣にかけた。
「私の事は私が一番よく知っている! 先ずは無力化させるわ!」
短剣を鋭く突き立て、ハイリンダは怒れる魂に飛び掛かる!
怒れる魂はその身より毒の霧を噴き出し、ハイリンダは咄嗟に身を引いた!
「クッ! ちょっと障っちゃったわ……!!」
痺れる右手に活を入れ、ハイリンダはポシェットから包帯を取り出し短剣を握った右手に荒々しく巻き付けた。その間にも静かなる魂は無から取り出した黒い表紙の本を片手に何か呪詛の様な言葉を呟いている。次第に静かなる魂の体から冥府色の怨念の塊が現れ辺りを暗く包み込み始めた!
(アッチの私も邪神の力が使えるのは……何故なの!?)
ハイリンダは焦った。何故ならば彼女がココへ来た目的は『自らに取り憑いた邪神の力を取り払う事』であるからだ。怒れる魂がその身から吹き出した毒の力は紛れもなく邪神の力による物。そして静かなる魂が今使った召喚の儀も邪神の力である。ハイリンダは酷く取り乱し老婆に無言の視線を送った!
「どちらも紛れもなく貴方様じゃ……」
「……ならば邪神の力は魂となっていなくて、この二人は私じゃ無いと言う事なの!?」
歯切れの悪い老婆の応えにハイリンダは息を荒くした。邪神の力を扱う二人に軽々しく近付けなくなったハイリンダは、ジリジリとその距離を詰められていく。
「予言はその先を示してはおらぬ…………」
「ホント都合の良い予言様ね!!!!」
声を荒げながらも生き延びる考えを張り巡らせるハイリンダは、一つの答えに辿り着く。
「ならば私もまだ使える筈!!」
ポシェットから呪文の数々を写し取った本を取り出し、地面に置き左手一つでページを捲る。本には手書きで書き写した禁呪やら秘法まで様々な呪文が書かれている。
「―――異なる者、孤独に栄えし汝を求め我が叫ばん!!」
ハイリンダの頭上に荒々しく空間のねじれが現れ、骨太な巨大な手が現れ二人のハイリンダを素早く鷲掴みにした!
「そのまま亜空間へ消えなさい!!」
巨大な手が二人のハイリンダは掴んだまま静かに空間のねじれの中へと消えていく。そして消えゆく刹那、二人のハイリンダが小さく口を開いた…………
「お、ねえ、ちゃ、ん…………」
ハイリンダは狼狽えた…………その姿は自分に瓜二つであったが、声は似ている程度であったから。
ハイリンダは狼狽えた…………二つの魂が生まれながらにして亡き妹達の物であったとしたら、老婆、予言、泉は何なのか。
ハイリンダは確信した…………その答えを持っているはずの老婆の姿が見当たらない事に。
ハイリンダは決意した…………コレは……嘘である事に。
──ポチャン……
ポシェットから取り出した小瓶の蓋を開け、泉へと投げ込むハイリンダ。毒は次第に泉の中全体へと広がり、泉の色が薄紫色へと変わった。
──バシャン!
酷く水面が揺れ、中から泉の主と思われる人外染みた低級悪魔が現れた。ハイリンダはすかさず悪魔の首を掴み頭に右手の短剣を深々と突き立てた!!
「グエェェェェ!!」
「よくも……よくも!よくも!!よくも!!!よくも!!!! 妹達の魂で遊んでくれたわね!!!!!!!!」
悪魔が藻掻きハイリンダの左腕に爪を突き立て抵抗する。腕からは鮮血が流れるもハイリンダはその手を緩めることはしない。寧ろ右手の力を更に込め、ギリギリと頭の傷口を剔り始めた!
「グエェーッ!!」
「全てあのババアの入れ知恵かしら!?」
「そ、そうだ!! 俺は唯の魂の運び屋だ!! だ、だから、だから許―――」
──ブシュゥッッ!!
「グッ……ガッ……アガッ……!」
ハイリンダは悪魔の左眼から脳へと激しく短剣をねじ込み、悪魔は悶絶の後息絶えた。
「許すわけないでしょ……?」
息絶え痙攣する悪魔の体を泉へと突き落とし、ハイリンダは老婆の後を追った。その跡には激しい憎悪と亡き妹達に対する愛執が漂っていた……………………
Special Thanks 砂臥 環様
挿絵を賜りましてありがとうございました。