八、
「おはよー」
南はそう言って教室に入った。その場にいる全員も挨拶を返したが、後ろに来る人物を見て一切の声が止んだ。
覚束ない足取りで向日葵は教室に入り、一番後ろの席を見やった。机には何事もない。だが、向日葵の目は針を飛ばすようにぎらついた。それは南しか見えてなかった。誰も気付かなかったのだ。
向日葵の目には、過去が映っていた。彼女が人と関われない原因の深い傷が。
反面、クラスメイトたちは歓迎ムードだった。普段、不思議な雰囲気、と言ったら良いのだろうが正直“近寄り難い”空気を漂わせている。
だがそのたがが外れたのだ、それが宮田の一件だった。
左の髪の長い茶髪の女子生徒は二軍。同じく右はアッシュなショートヘア。ショートヘアは元気ハツラツ、何事にも興味がいく好奇心旺盛な印象で好かれてもいる。左の女子も好かれてはいるが、向日葵は訝しげに普段思っていた。向日葵は息がしづらくなる。
しばらく質問ぜめに合っている向日葵の肩に、だれかの手が乗っかった。
香りで向日葵は察した。
「え、南くん・・・?」
南はその薄い顔ながら、色気を感じさせる雰囲気で一部の女子から評を受けていた。そんな彼も二軍に等しい存在ではあるが、あまり人と絡まない質だった。
もう肩に触れられても、嫌がらない程には心を緩めていた彼女は、俯いた目を上にあげた。
「ごめんな、こいつ気分が優れなそうだから」.
一同呆然としたなか、南は向日葵を引いて歩き出した。
ついたのは、保健室だった。南は足どり軽く養護教諭の回転椅子に腰を下ろして足を組んだ。そこに座るといいよ、南はそうベットを指差した。
向日葵は腰を落ち着ける。見回すと壁は桃色く、部屋の右角にソファ、本棚まで置いてあった。
「気にしなくていいから、ここの先生めっちゃゆるーいから大丈夫」
血色のいい唇を結んで笑う南。
犬は嬉しいと言われるまで気付かれないほど僅かに口の端が上がるらしい。向日葵はそれほどさりげなく笑った。
「俺もさ、あいつら苦手なんだよねマジで」
南は文庫本を読んでいた。向日葵はその背表紙を見て、音を立てて彼を見た。
「夏目漱石・・・・・・? 」
南は目を見開いた。驚くことに南は一度も、向日葵の喋るところを見たことがなかった。
やがて彼はそこには我関せずの態度をとって、語り始めた。
向日葵は寝そべり。脱力して、大の字に寝た。南をいるのを忘れて。南は小さく笑って気付かないフリをして済ます。
窓の外には季節外れの蝉が鳴いた。それが何とも秋の憂愁をかたどる。何もかもが美化して見えた。