一七、
棚木はそれから姿を見せなくなった。夏も過ぎてアキアカネがちらほら向日葵の住んでいる家に到来していた。冷たい風が時おり吹くようになった。
「こっちから別れを告げることもなく、か」
そばに縁側から足を出した南が座って嬉しいような寂しいような顔をして「きっと、秋だからさ」と言葉を吐き出した。
向日葵は母に言われたことを南に対しても高木に対しても言わなかった。
「田中や佐藤も来なくなったしな」
「当たり前だよあんた、私のせいさ」
「いや、俺のせいだね」
たまに奥の居間からチラチラと向日葵らを見ては夫婦みたいですねと父親に言って二人で笑う声が聞こえたが、若い男女にはバラエティ番組を見て笑っているようにしか聞こえなかった。
「アンも、姿を見せないよ」
向日葵は決まったような台詞を、こうして南に言うようになっていた。
「あいつは、まぁ」
「あんた、なんか知ってんじゃないの」
向日葵と目をかちあわせて、南は前を向いた。
「あいつ、合コンに忙しいんだよ」
「そんなバカな」
「いや、本当のことはわからない」
だからってそんな、と向日葵は脱力して首を振った。いや、信じるなよと南は笑う。向日葵が頭を叩こうとするのを簡単に南は抑えて、体を近寄らせた。
「な、なにさ」
「わかってるくせに」
顔を赤くさせる向日葵に、南は愛おしそうに唇を近づけた。親が見るかもしれないからと、後ろを気にしてなかなか手で近づかせない。じれったくなった南はそれを抑えて唇を合わせた。
「なに、一瞬だろ 」
「う、うるさい」
まったく可愛くないな、と言いながら南は頭を撫でた。それには嫌がらずに、目を閉じる彼女。南は犬かよ、と笑った。
そこにインターホンの音がする。はい、と縁側を駆けていく向日葵を見送りながら南は頭で棚木のことを絶えず考えていた。なぜあの時、自分の好かないはずの俺にことの成り行きを話してくれたのだろうか。そのことに囚われていた。だから田中が目の前に来るまで彼らの存在にも鈍かった。
「おーい、南。なにぼーっとしてんだよ」
「え、あ」
久しぶりだな、と何でもなかったのを装って向日葵を自分に呼びやって、隣に座るように言った。
「あーあ、そうやって自分の奥さんみたいにしちゃってさ。自分の家みたいに」
佐藤がわざとらしく南に恨めしい顔をして、腰を下ろすと向日葵を見た。
「綺麗になったね」
「元は綺麗じゃなかったのか」
「いや、中身は相変わらずだね」
どう言う意味だ、と佐藤に身を乗り出そうとするのを南は止めて宥めた。全く離さないという姿勢に、佐藤は怪しい顔をする。
「どうしたの急に独占欲増しちゃって」
南は少し様子がおかしい所が、向日葵にもあって彼女は彼に「何かあったのか」と言った。
「いや、何もないよ」と南はそれでも肩から手を離さなかった。
「それにしても、久しぶりだな」
「田中、声がでかい」
そっぽを向いて、田中は厳しいことを言う向日葵を無視して佐藤を押し退けて真ん中に座った。
「秋だなぁ」「田中、それじゃ爺ちゃんだよ」
こうした田中と佐藤の会話の最中、懐かしそうにする向日葵を見てもどうしても棚木が気掛かりだった。
「それで、どうしてここに来たの」
「あ、そうそう。そうなんだよ南」
佐藤がいうには、いつも通りコンビニで春夏秋冬構わず売っている肉まんを食べていたら、二十歳ぐらいの男の人がいきなり「ひまわり畑っていう所があるけど、綺麗だよ」と覚束ない足取りで帰ったらしい。
南はその話の端くれを、不可抗力に繋ぎ合わせて棚木に結びつけてしまった。南は二人に言う。「酒の匂いは?」田中と佐藤は顔を合わせた。
「なかったよな」
「うん、なかった」
代わりにコロンの匂いがしたよと、最近洒落た格好をした佐藤はジャケットの内側からスマートフォンを取り出して見始めた。田中もつられてアプリゲームを始める。そのゲームは外に繰り出して銃などを暴れさせるのが流行っていると二人は言った。
わからない顔をしていた南を見て、佐藤は「南は、いつでも小説だもんねー」と自撮りをして言う。南はそれどころではなかった。
「してないよ」
「え、じゃあ何してるの? 」
「・・・・・・何も」
佐藤は訝しげに南を見ると、ふーんと何でもなかった顔をしてスマホを覗いた。
「本読めてめーら」
向日葵が後ろから声をかけると田中がいちいちに返事をしていた。
「こら、向日葵。口が悪いぞ」
「・・・・・・はーい」
向日葵は南に怒られればしょぼくれて俯く。雲が太陽を覆い暗くなった。また雲と雲の間から出たと思えばピカピカと光る雨が四人の顔を叩いた。四人は慌てて縁側から手前の客室へと入っていった。




